第21話 新婚家庭と誘拐①
焼き立てのパンの香りが漂った家の中は、幸せで満ちていた。
アーチ型の窓からは白い光が差し込み、室内を温かく照らしている。
棚に飾られた木彫りの男女の人形は仲良く手を繋ぎ、カーテンや卓クロスはレースで縁取られた淡い桃色。出窓や卓に飾られた花も、赤、桃色、黄色と華やかな色だ。
「それにしても、お前が女の子を連れてくるとはな。しかも、白の一族の」
目の前で、腕を組み、うんうんと感慨深げに頷いている鳶色の髪と緑色の目を持つ青年が、ユリアに面白そうな目を向けた。
ユリアは目を伏せ、身を小さくする。
フードを取ると言ったのは自分なのに、その選択を既に後悔しそうになっていた。
熟睡できたからか、ばっちり早朝に目を覚ましたユリアは、支度を済ませるとすぐに、隣室の戸をどんどんと叩いた。顔を出した、寝ぼけ眼のライナルトを叱咤し、ふたりは朝食もとらないまま、朝の準備でてんてこ舞いの宿の主人や、商店通りで、店を開ける準備をしている村人に訪ねて回った。アヒムという碧い目の男を見なかったかと。アヒムのことだから、もちろん髪を黒くして出掛けたと思うが、黒い髪とは断定できなかった。銀髪のままの可能性もある。それに、ユリアや追手たちのように黒いローブで頭を覆っていることも考えられた。
そうなると、あとは大柄という特徴としかないアヒムである。
アヒムという名と、碧い目、大柄という情報しか提示できない。
宿の主人も、村の人々も、全員が全員首を捻り、わからないと答えた。
落胆するユリアを労わるように、ライナルトは肩を叩いた。
「大丈夫。きっと見つかるよ」
気休めだとわかっていても、その気持ちが嬉しかった。
ユリアは何とか気持ちを切り替え、ライナルトの用事に付き合うことにした。
そして、ユリアはライナルトの旅の目的である、友人宅にお邪魔している最中である。
部屋の中で被り物をしているのは失礼だと思い、ライナルトは無理しなくて良いと言ってくれたのだが、ユリアは銀色の髪を露わにした。
どこかに、ライナルトの友人であるなら、白の一族のことを悪く言わないかもしれないという淡い期待があった。けれど、好奇の目で見られている現在、その期待は裏切られたような気がしていた。
「しかも、年下なんじゃないか? てっきり、お前は年上が好きなんだと思ってたけど、違ったんだな」
ひとり楽しそうに話し続ける青年——この家の主、ペーター・ランケに、盆を持って歩いてきた彼の妻が声を掛けた。
「ペーター、失礼だわ。ライナルトさんにも、ユリアさんに対しても。ごめんなさいね」
蜂蜜色の髪を緩やかな三つ編みにして、肩から胸の前に垂らした、優し気な女性。
彼女が、ペーターの妻、アンネ・ランケだ。
訪問時、既に挨拶を済ませているため、自己紹介も済んでいる。
ペーターは一年程前まで、エンガリア王国、王都エンガリアブルグのパン屋で見習い修行をしていたそうだ。
ライナルトと出会ったのは、エターニア大聖堂にパンの配達に行ったときだそうで、同い年ということで意気投合したらしい。
そして、一年前程前に修行を終え、故郷に戻って来た。そこで、幼馴染だったアンネと恋仲になり、結婚に至ったということだった。
はじめ、ユリアの髪の色を見た二人は目を丸くしたが、すぐに笑顔になり、温かく迎え入れてくれた。だから、内心ほっとしていたのだが、ペーターが「白の一族」と口にし、ユリアは顔が強張ってしまった。
「悪い。悪気はなかった。言い訳がましいと思うかもしれないけど、俺は白の一族に関して、何とも思ってないからな? だから、気を悪くしたんなら謝る。ごめんな」
ペーターはそう言って頭を下げる。その隣で、カップを卓に移していたアンネも頭を下げた。
「あ、謝らないでください! 全然、気にしてないですから‼」
厳密には嘘になるが、ユリアは両手を振って、否定した。
だが、それでも下げられたままの二人の頭部を見、ユリアは助けを求めるように隣のライナルトを見やる。ライナルトは微苦笑を浮かべ、
「もう頭を上げてくれ、ペーター。それにアンネさん。そうだ、二人にこれを」
ライナルトはローブの下に隠れていた鞄から、亜麻色の布に包まれた手のひらサイズの物を取り出し、顔を上げた二人に差し出す。
受け取ったアンネが、ペーターと目を合わせ、ペーターが頷くのを見ると、卓の上に置いて、包みを開いた。出てきたのは、見事な金色の懐中時計だった。
「蓋を開けてみて?」
アンネは半ば放心したように、花の模様が彫り込まれた蓋を開く。
文字盤には濃紺の夜空が広がり、金や銀の星が散りばめられていた。あまりの美しさに、アンネは息を呑む。
「まあ……」
それ以上、言葉が出ないようで、懐中時計に釘付けのまま、どこか呆然としている。
隣にいたペーターも目を剥き、しばらく口がきけないようだった。
ユリアも、金色に輝く美しい曲線を持つ懐中時計を見て、驚きを隠せなかった。
それもそのはずで、懐中時計は非常に高価なものだったからだ。
実物を見るのはこれが初めてで、今までは本の中に描かれた絵でしか見たことがなかったくらいだ。
所有しているのはもっぱら貴族や王族。稀に裕福な商人などがいたが、庶民に手の届く代物ではない。それに、この懐中時計の意匠は実に見事だ。本物の夜空以上に繊細で優美に見える
。
「おい、お前……これは」
やっとのことでペーターが声を絞り出して、ライナルトを見ると、ライナルトは優しく微笑んで頷いた。
「ふたりへの結婚祝いだよ」
「じょ、冗談だろ⁉ こ、こんな高級品、もらえる訳ねぇだろ⁉」
「もらってくれ。俺がどんなにペーターに助けられたか。これはその感謝の気持ちと、二人の末永い幸せを祈ってのものだから」
「もらえません!」
アンネもペーターと同じように言い募るが、ライナルトは首を振った。
「返却不可だよ。蓋の内側、見た?」
言われて、ペーターとアンネ、ユリアも、卓に置かれた懐中時計を覗き込む。
「『親愛なる、ペーター・ランケとその奥方アンネ・ランケに』……?」
蓋の内側には、ランケ夫妻の名が彫られていたのだ。
ペーターは顔を上げ、いたずらっぽい笑みを浮かべたライナルトを真摯な瞳で見つめた。
「お前……ありがとう。有難く受け取らせてもらう」
「ペーター……いいの?」
「受け取ってください、俺の気持ちですから」
優しく微笑むライナルトに、アンネは一瞬戸惑いの表情を向けたものの、一度、目を伏せてから、もう一度ライナルトに顔を向けた。その顔には綺麗な微笑みが浮かんでいる。
「ありがとうございます。一生、大切に致しますわ」
無事受け取ってもらえたからか、ライナルトはほっとしたように安堵のため息をついた。
そんなライナルトとランケ夫妻のやりとりを見ていたユリアは、胸に熱いものが込み上げてきて、急いで俯き、涙を堪えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます