第18話 ラァナ村、弟弟子と黒い鳥③
賑やかしい店内は、アルコールと煙の臭いに満ちていた。
初めて見る光景に、ユリアは身を小さくして、フードの下の目をきょろきょろと落ち着きなく動かす。
夜空に星がちらつく前に、どうにかユリアたちは宿屋へ辿り着いた。
時刻は夕食時。
部屋で荷物整理をしていたユリアのところへやってきたライナルトが、食堂へ誘ったのだ。
「でも、私、この髪だし……」
ユリアが白銀の髪を摘まみ上げると、ライナルトは首を振った。
「覗いて来たんだけど、食堂は結構薄暗くて。あと、被り物をして食事してる人たちも見かけたから、隅の席でローブ被ってたら問題ない。部屋でひとりで食べるより、賑やかな方が楽しいよ」
そう言うライナルトに、半ば強引に連れ出されたユリアは、現在食堂の隅で食事にありついている。
湯気の立つスープを大きめの木の匙で掬い、口の前に持ってきてはふうふうと息を吹きかけ、口に運ぶ。野菜のたっぷり入った少ししょっぱい味付けのスープだった。
目の前のライナルトはというと、その体でユリアを周囲から庇うように座り、熱々のスープも気にすることなく黙々と口に運んでいる。時折目が合うと、優し気に目尻を下げて、「ね、楽しいでしょ?」と問うてくる。ユリアは曖昧に頷いて、またスープを冷ましにかかった。
そのとき、店内の喧噪に、カランカランというベルの音が混じった。
一瞬、ひんやりとした風が店内に吹き込んでくる。
ユリアは何の気なしに顔を上げ、扉の方角を見た。
そこには全身黒づくめの青年が立っていた。
毛量の多い髪は黒く、前髪も目元を半分覆うほど長いため、ぼってりとした印象を与える。
前髪の間から見えるのはややつり上がった目。瞳の色は藍色で、周囲を威嚇するような鋭い光が宿っている。薄い唇は引き結ばれ、冷酷そうにも見える。
でも、まだ少年を抜けきらない骨格で、身長もユリアとそう変わらないだろう。
だから、子供が無理して大人ぶっているようにも見えなくはない。
青年の肩には真っ黒な鳥が乗っていた。嘴も足も全身を覆う羽も全てが黒く、つるっとして見え、光沢がある。
「あれ……?」
その鳥に見覚えがあり、ユリアは目を擦る。
青年が迷わず酒で上機嫌になった農夫たちの間をすり抜けるようにして、空いた窓辺の席に腰を落ち着ける姿を、ユリアはじっと目で追った。青年は肩に乗る鳥の首辺りを片手で掻いてやり、鳥は嬉しそうに首を傾け、ぶわりと膨れている。
その光景にも見覚えがある。
師匠の山小屋で暖炉を囲っているとき、隣を見ると、いつもこの景色が見えたのだ。
「カイ⁉」
ユリアは思わず立ち上がり、周囲の状況も忘れ、大声でその名を呼んだ。
その声に、店内はほんの束の間しんと静まり返った。
驚いたようにユリアに目を向ける農夫や旅人たち。
だが、彼らはすぐに興味を失ったように、手に持ったジョッキを傾け、話に興じ始めた。 静寂が嘘であったように、店内はもとの喧噪の中に引き戻された。
「ユリアちゃん……?」
ライナルトは立ち上がったユリアの顔を見てから、ユリアの視線を辿るように、黒づくめの青年に目を移す。
黒髪の青年はまっすぐユリアを見つめていた。
その藍色の目には、驚いたような色が浮かんでいる。
ユリアは青年だけを見つめたまま、賑わう客たちの間を縫うように進み、ようやく黒づくめの青年の元に辿り着いた。
「カイ……よね? あと、エルバート」
「クワッ‼」
ユリアが尋ねると、先に口を開いたのは肩に乗った黒い鳥だった。
「お前……ユリアか? 何で、こんなところに」
黒髪の青年、カイは心底信じられないというような表情でユリアを見つめる。
「あなたこそ。何で、ここに?」
カイは視線を宙に投げ、背凭れに沈み込む。
「ちょっと野暮用で。それよりお前、髪」
後半は声を潜めて言うと、カイはユリアの頬の横に一房掛った銀色の髪を睨みつける。
「掟破りが」
ユリアは頬を膨らめ、眉を寄せる。
「仕方なかったの。急いでたし、準備も何もできる状態じゃなかったんだから。あなたはばっちりね。エルバートとうりふたつじゃない」
意地悪く口元を歪め、ユリアはふんと鼻を鳴らす。
「言ってろ。……で、そいつは?」
「え?」
カイが顎をしゃくるので、ユリアは振り向いた。
背後に大きな人影がある。
ユリアはずいっと顔をあげて、ライナルトの顔を見上げた。
ライナルトは警戒したような目で、カイを見下ろしている。
「友達?」
ライナルトらしくない低い声音に、ユリアは目を瞬かせる。
一方、カイはと言うと、睨みつけるようにライナルトを見上げていた。
「えっと、」
決して穏やかでない視線をまじ合わせるふたりの間に立っていたユリアは、二人を交互に見てから、早く場を治めようと、カイを手で指して、慌てて口を開く。
「ライナルト、この黒づくめは、私の弟弟子で、カイ。本当はふたつ年上なんだけど、私より半年後に弟子になったから、弟弟子なんだ。それで、その肩にいるのが、カイの唯一の友達で、相棒のエルバート。鳥なの、鳥。結構、賢い子で、人懐っこいんだよ。カイとは違って」
カイが舌打ちするのが聞こえたが、ユリアは続けてライナルトに手を向ける。
「こちらは、ライナルト。エンガリアから来た元神官で、現在職探し中の無職。新婚のお友達の家に遊びに来たんだって。度が過ぎるほどの親切さんで、私を悪い奴らから守ってくれたの。それで、ここまで一緒に来たんだ」
ライナルトが俯くのがわかったが、気にせず、ユリアは子気味良い音を発して手を打ち付ける。
「ということで、良い? わかった? お互いのこと」
ユリアが問うと、ライナルトは額に頭を当てて、諦めたように頷き、カイは腕を組んで、天を仰いだ。
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