第10話 不用意な発言とその結果

足元で聞こえる呼吸音と、すぐ傍でもぞもぞと動く巨体が、ユリアの睡眠を妨害する。

極力意識しないようにしているつもりだが、そう思えば思うほど、耳は身じろぎする度に起こる微かな音やほとんど聞き取れないような小さな呼吸音まで拾ってしまう。


(ああ、何て馬鹿だったの……)


ユリアは眉間に皺を寄せ、堅く目を閉じて、先程交わされた会話を思い返す。






布団を持ってくるよう指示され、まるで無垢な子供のようにその通りにしたライナルトを前にして、ユリアは内心動揺していた。

確かに布団を持ってこいと言ったが、いざそれを目の前にすると戸惑いが隠せない。


「あの……」


抱えた布団を片手で支え、どうにか扉を閉めたライナルトは、困惑しきった顔でそれだけ言うと、口を閉ざす。

 

ユリアは頭が痛くなるのを感じながら、壁の隅、窓辺、椅子などに目を走らせた。

どこがライナルトの寝床として適切だろうと室内を見回すが、どう考えたって良い寝床何てあるわけがない。ふいに手を置いていた寝台の感触が意識され、ユリアは腰を下ろす寝台に目を落とす。


この部屋で唯一くつろげる寝床があるとすれば、このベットに置いて他にない。

けれど、もしこの寝台を譲ってしまった場合、ユリアはどこで眠れば良いだろう。


「やっぱり、廊下に行くよ」

 

黙りこくるユリアに、当惑したような表情を浮かべたライナルトは、軽く息を吐き、肩を下げると、布団を抱え直してから、また背を向けて扉の握りに手を掛けた。


「待って!」

 

布団を持ってこいと言ったのはユリアで、このまま廊下に行かせたら、何だかいじわるしたみたいな気がする。ユリアはライナルトを呼び止め、寝台を開いた手でばんばんと叩いた。

大きな声に、びくりと肩を揺らしてから振り返ったライナルトは、ユリアが寝台を叩いているのを見、ぎょっとしたようにユリアの瞳を見つめた。


「ここ! ここで寝て。頭は廊下側にしてもらって、外側向いて。私は、窓側に頭で、壁を向くから」

 

一人用の寝台とはいえ、それなりに広い。体を横にして眠れば、十分広さは確保できるはずだ。

それに、頭と足が逆になれば、男女が床を同じにするという怪しげな雰囲気は一気に覆る、はず。


「い、いや。ちょっと、待ってよ、ユリアちゃん。さすがにそれは……道義的にどうかと思うな。君はうら若き女の子なわけだし、俺は……この間まで婚姻も禁止される仕事に就いてたけど……そんな気はさらさらないけども……世間一般的に見れば、立派な男なんだよ……?」

 

ユリアのかーっと血が上った。

そんなことは言われなくてもわかっている。

わかっていても、ここは譲るわけにはいかないのだ。

たまたま出会った見ず知らずの小娘に、当たり前のように手を差し伸べ、その後も心配だから付き添うと申し出て、またも危機に駆け付けてくれた——そんな人に対して、当然払うべき敬意というものがある。

 

正直、お節介だと思うし、保護者面なんて迷惑だとも思う。

けれど、実際、ライナルトがいなければどうなっていたかわからない。

潜在的な能力は秀でていても、実戦経験のないユリアが、魔法で太刀打ちできたかはわからないのだ。

 

ライナルトが来なければ、あるいは、実戦の場において、自分の能力の如何を知ることができたかもしれない。

そういう意味では、ライナルトの助けは有難いというよりはむしろ、決意を砕き、肩透かしを食らわせた、大迷惑行為である。


だが、一か八かに掛けて、泣きを見た可能性を考慮すれば、彼の手助けにより、無事に逃亡できたことは、感謝してもしきれないことなのだ。


それに、そこをどうにか切り抜けたとして、今夜のような襲撃が何度も続けば、確実にユリアは囚われていただろう。見知らぬ土地で、魔法を使い逃げ続けるなどという芸当は、ユリアには到底できなかったろうから。

 

いうなれば、ライナルトは命の恩人である。

その恩人を、夜間、冷たい廊下や隙間風吹き込む窓際に寝させるわけにはいかない。


(違う。寝ずの番をするつもりだったんだ!)

 

見張るということは、一睡もするつもりがなかったと言うことだ。

その当たり前の考えに行き当り、ユリアは唇を噛んだ。

それでは猶更、せめて柔らかい寝台の上、暖かい布団の中で過ごしてもらいたい。そうすれば少しは身体も休めることができるだろう。つい眠ってしまうなんてこともあるかもしれない。

 

ユリアは勢いよく立ち上がり、強い光を湛えた碧い瞳で、じっとライナルトを見つめた。

決意を漲らせた熱い視線を受け、若干怯んだように一歩足を引き、ライナルトはごくりと喉を鳴らす。


「信用してるから。私の言う通りに、さっさと寝て」

 

睨むような瞳と、怒ったような低い声。裏にある気持ちなど伝わらなくてもいい。とにかく、これ以上、ライナルトに迷惑を掛けたくない。

ユリアはその一心で、ライナルトを射るように見つめていた。



そして、今現在、ユリアとライナルトは上下逆さま、背中合わせという格好で、一つの寝台に横になっている。

ユリアは目の前の壁を睨みつけながら、祈るように睡魔が訪れるのを待っていた。

 

が、一向に眠くなる気配がない。体はいち早く眠りを所望するのに、目が冴えてしまい、気が遠くなる思いだ。

 

背中に神経を集中すると、ライナルトもまだ眠っていないようで、呼吸が不規則になったり、落ち着かなげに手足の位置をずらしている。

 

ふたりして起きていると感じると、ユリアは余計に背後に横たわる青年を意識せずにはいられなかった。鼓動は早まり、かーっと体が熱くなる。


(もういっそ気絶しちゃいたい。そうすれば、何にも考えなくて済むのに‼)

 

胸の前で握り合わせた拳にぎゅうっと力を込めていたそのとき、ふいに身じろぎしたライナルトの足が軽くユリアの背中に当たった。


(っ‼)

 

それまでどうにか接触を避けられていたのだが、ここにきてついにぶつかってしまった。

ユリアはびくりとして身を縮こまらせると、すぐに這って壁に張り付いた。



「ごめん」

即座に謝罪を口にしたライナルトの声は裏返っており、ひどく狼狽していることがうかがえた。


「き、気にしないで!」

 

ライナルトの動揺が伝染したのと、もともと焦っていたことも相まって、ユリアの声もひどく吊り上がる。

やや不自然な沈黙の後、ライナルトが小さく息を吐いてから、軽く笑った。


「なんで、笑うの?」


「ごめん、単純にこの状況に。俺、何でこんなことしてるんだろうって思ったら、笑えてきちゃって」


「後悔してるってこと?」

 

今になって、ライナルトはユリアを助けたことを悔やんでいるのではないか。

成り行き上、つい手を出してしまっただけで、時間が経過して冷静になれば、助けなけらば良かったと思い始めているのではないか。

 

ユリアは暗闇の中、視線を彷徨わせ、カーテンの隙間から差し込む微かな光を天井に見出し、縋るようにそれを見つめた。

 

突然、どこか見知らぬ場所に放り出されたような、誰の助けも得られない陰鬱な闇の中に放り込まれたような、そんな気持ちになって、胸の奥に差し込むような痛みが走る。

考えてみれば当然だ。

見ず知らずの生意気な小娘の命を、旅人であるライナルトが、守ってやる義理なんてどこにもない。正直なところ、今頃気がついたのかとなじりたいような気もするが、一方的に庇護されているだけのユリアが、彼を責める資格などどこにもなかった。

 

ユリアは胸の前に置いていた手を弱々しく広げると、眼前の壁にぴたりとつけ、その上に額を寄せ、瞼を閉じる。


「後悔……?」

 

いかにも得心行かないという響きのつぶやきを漏らしたライナルトは、おもむろに体を起こし、じっとユリアの背中を見つめた。


「後悔なんてしてないよ」

 

背中に向けられた視線を感じ、ユリアは身を丸くする。


「だって、何でこんなことしたのかって考えたんでしょ? こんな小娘、守って馬鹿みたいって。やっぱり、やめておけばよかったって。見殺しにすれば楽だったのにって……」

言ってしまってから、ユリアははっとして口を噤む。

今の台詞は言い過ぎた。


壁に付けた手に力が入り、気づけば壁を傷つけるほど爪を立てていた。

良かれと思って、手を貸してくれた命の恩人に、酷い言葉を投げつけてしまった。

けれど、一度口にした言葉は取り戻せない。

良きにしろ悪きにしろ、口から離れた言葉は、宙で弾け、相手の心に届いてしまう。

 

ユリアが息を殺して黙り込んでいると、ライナルトは一言も口を利かぬまま、背を向けて床に足を下ろした。


(怒らせた……!)

 

このまま立ち上がり部屋を出て行くと思われたが、予想に反して、彼は寝台縁に腰を落ち着けたまま、ぼんやり部屋の隅に立て掛けた十文字槍の方に顔を向けていた。


「ねえ、ユリアちゃん」

 

しばらくして、ライナルトが発した第一声は、湖面が凪ぐように穏やかだった。


「教えてくれないかな? 君の事情。ユリアちゃんの様子を見ている限り、詳しいことはユリアちゃん自身知らないんだろうなとは思うんだけど。少しは心当たりとかあるんじゃない?」

 

ユリアは知らず知らずに入れていた力を全身からふっと抜いて、身を起こし、ライナルトの背を見る。

 

暗闇の中にぼんやり浮かび上がるその背中はとても広く、つい縋ってしまいたくなるような、そんな安心感があった。ユリアは不意に込み上げてきそうになった感情に目を細めたが、それをぐっと押し戻すように息を吸う。

 

わかる範囲で良いから、説明しよう。それが、自分の返せる精一杯の誠意ではないだろうか。

そう心に決めて、ユリアは口を開いた

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