第9話 それぞれの事情②

 ライナルトはおもむろに立ち上がり、今まで背を向けていた椅子を片手でくるりと回してトンっと置き、そこに腰を下ろす。そして、乗り出すようにして、ユリアを見つめた。


「俺はエンガリア王国から来たんだ。友人が結婚したっていうから、そのお祝いでイーリアまで来た。港に着いたのが今朝で、友人の住むラァナ村に向かってる途中、ユリアちゃんが黒いローブを着た人たちに囲まれてるのを見つけた」

 

 ユリアは洟をすすりながら、自然とライナルトの話に耳を傾けていた。涙はいつの間にか止まっていた。


「エンガリアから?」

 

 中央大陸を治めるエンガリア王国は、女神セングレーネに守護された神聖な国だ。

 海に浮かぶ全ての大陸の中でも、一際大きく、各大陸に囲まれた、世界の中心に位置している。

 ここイーリアとエンガリアを行き来するには、航路を利用するほかないのだが、それは数日を要すると聞く。


 イーリアとエンガリアの使う言語は、共通点も多いが、別の言語。

 だが、エンガリアから来たというライナルトは流暢なイーリア語を話している。

 ユリアの物問いたげな表情を見、ライナルトは何を勘違いしたのか、苦笑した。


「非常に言いにくいんだけど、今は求職中で」 


 突然発された言葉に、ユリアはきょとんとしてしまう。

 なぜ今その話題なのか。ユリアが目を瞬かせると、ライナルトはますます困ったように眉を下げる。


「大の大人が何で無職なんだと思うよね……実は、先日までは神官だったんだ。知ってるかな? エンガリアには国を見守る聖女様がいて、俺はその下で働く神官の一人だった。でも、事情があって、やめたんだ。だから、次の仕事に就く前に、友人のところへ遊びに行こうと思ってね」

 

 事情があると言ったとき、ライナルトの目にはかすかだが思いつめたような色が浮かんでいた。だが、次の瞬間には、それはふっと消えてしまい、ユリアは戸惑う。

 何か言うべきかと思ったものの、具体的にどう問えば良いのかわからない。

 

 そのとき、窓の外からほーほーと梟の鳴く声がした。

 近くの森から響いてきた声のようだった。

 それが合図だったかのように、ライナルトは立ち上がり、椅子を卓に脇に戻す。


「そろそろ寝た方がいいね」

 

 それから寝台縁に座るユリアを見つめた。


「どうする? 窓からの侵入者が心配であれば、窓辺にいるし、俺がいることに抵抗があるなら廊下で待機する ユリアちゃんに任せるよ」

 

 まっすぐに見つめられ、ユリアは目を伏せ、思考を巡らせた。


 本当なら部屋に戻って布団で寝てほしい。

 ユリアのために何かをするという行為自体、遠慮願いたいのだ。

 けれど、これまでのライナルトの行動や言動から察するに、ここで「部屋に戻って」とお願いしたとしても、素直に受け入れてくれるとは思えない。

 ユリアがそう言った時点で、部屋から追い出しにかかったと思って、廊下の扉前で座り込むだろうことは容易に想像ができる。季節柄温かいといっても、隙間風の入る廊下は冷えるだろう。

 だからといって、「部屋にいて」というのも、何だか清純な乙女としては恥じらいがないというか、意味深というか、非常に言い出しづらい台詞だ。


 しばし逡巡していると、それを部屋にいてほしくないという意思表示と捉えたのか、ライナルトはすたすたと歩き出し、部屋の隅に立て掛けられた十文字槍を手に取ると、さっと部屋を出て行こうとした。


「ま、待って!」


 ユリアは立ち上がり、咄嗟に呼び止めてしまう。

 扉の握りに手を掛けていたライナルトが驚いたように振り向いた。

 目が合い、気まずい沈黙が訪れる。


(ああ! もう‼ こうなればやけだ!)

 

 ユリアはぎゅっと瞑ったあと、その目を大きく見開いて、半ば命令するように、


「自分の部屋から布団持ってきて‼」

 

 と叫ぶと、ドキドキする心臓を落ち着かせようと、胸に手を当て、服をくしゃっと握りしめる。

 いきなりの大声に、目をぱちくりさせていたライナルトは、言葉の意味を反芻するかのように「布団……」と呟くと、意味をようやく理解できたのか、ばっとユリアを見て、顔を赤らめる。けれど、こくこくと頷くと、半ば放心したように、ゆっくり扉を開けて、のろのろと廊下に出た。


 ややして、隣の扉の開く音がして、がさごそと大きな物音が響く。

 ユリアは自分の発言に、頭を抱えつつ、どさっと寝台に腰を下ろすと、そのままばたんとやけっぱちな動作で仰向けになった。

 今夜は安眠できるだろうか。

 

 ユリアは何を呪えば良いのかわからず、目の縁を赤らめ、視線を彷徨わせて布団と槍とを抱えたライナルトが現れるまで、ただただため息をつき続けた。


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