第8話 それぞれの事情①

 手ひどい痛手を受けた彼らが、今夜中に再び奇襲をかけることはないだろう。

 けれど、もう安全なのだと考えたところで、突然襲撃を受けたユリアは平常心でいられそうになかった。

 

 表面上は平静を装っていたが、少しでも物音がすると、びくっと肩を揺らし、警戒した瞳を音のした方へと向けてしまう。

 寝台縁に腰掛け、警戒を続けるユリアを、労わるように見つめるのはライナルトだ。

 椅子の背をユリアの方へ向け、その両脇から長い足を出し、背凭れに組んだ両腕を乗せ、そこに軽く顎を置いている。

 卓中央に置かれた燭台の炎が、隙間風でゆらりと揺らぎ、壁に映った二人の影を微かに歪ませた。


「ユリアちゃん」

 

 風で音を立てる、カーテンの掛かった窓に目を向けていたユリアは、声の主を見やった。

「怖かったよね。でも、もう大丈夫。来ないと思うよ、少なくとも今夜は」

 

 ユリアを安心させるためか、ライナルトは目尻を下げて微笑む。


「それでも不安なら、俺の部屋と交換してもいいし。俺が一晩ここで見張っててもいい。だから、今は横になるといい。疲れてるでしょ?」

 

 優しい言葉に、ユリアは戸惑いもあって、目を伏せた。

 ライナルトにとって、ユリアを助けることは何の益もなかった。


 けれど、迷うことなく、助けてくれた。本日二度目だ。

 その上、ただ怯えて何もできなかったユリアが、気遣われている。

 何とふがいないのだろう。

 ただ守られているこの現状に、ユリアは悔しくて唇を噛んだ。

 せめて、してもらったことに対するお礼を言いたい。それが己のできる精一杯だということに胸を痛めつけられるけれど。


「ありがとう。二度も、助けられた……でも、寝れないよ。体はすごく疲れてるし、精神的にもひどく参ってるけど……でも、さっきのこと忘れて眠ることなんてできない。やっぱり、怖いもの。今日初めて里の外に出たの。人生初。本来なら、華々しい門出のはずでしょう? それなのに、こんなの酷い」

 

 口を開けば、思った以上に言葉が並んだ。

 しかも、丁寧さの欠片も見えない、飾り気のない口調で。お礼だけ伝えるつもりだったのに、いらぬことまで口にしてしまった。

 素直と言えば聞こえは良いが、ユリアは馬鹿正直のきらいがある。

 思ったことがすぐ口に出してしまう。

 黙っていようと固い決意をしているときは良いのだが、一旦口を開くと、余計なことまで言葉にし、後々後悔する羽目になる。

 

 兄のアヒムや姉のアグネスには、いつも渋い顔をされ、呆れられていた。


 ——お前は一言どころか、二言三言多い。そう、べらべらしゃべるな。いつか痛い目を見ることになるぞ。


 ——時には、言葉を飲み込んでごらんなさい。きっと、上手くいくわ。

 

 兄や姉の顔が浮かび、不覚にも視界が歪む。

 ユリアは涙を流さぬよう、目を見開き、顎を上げ天井に目を向けた。

 こうすれば涙は引っ込むはずだ。

 天井にはゆらゆらとした心許ない灯りが揺れていて、まるで自分の置かれた現状のようだと思った。


「私、何してるんだろう……何でこんなところに来ちゃったんだろう?」

 

 ふいにそんな考えが浮かんだ。


「本当なら、今頃、師匠の山小屋で、フェリクスの魔法談義を暖炉の前で聞いてたんじゃないかな? 温かくて、長々した話が子守唄になって、ついつい寝ちゃったりなんかして……」


 里を出て来てからまだ一日も経っていない。

 だのに、もう里が恋しくなっている。

 これまで、ユリアは自分を気丈な質だと思っていた。どんなことがあっても動じず、上手く対処できると。里に住んでいるときは、大した困難もなかったからかもしれないが、だいたいのことは自分で対処してきた。


 それなりに自信があったし、最終的には「先祖返り」とまで言われるほどの魔力を秘めた存在だ。どうにかなると、楽観視していた。

 里では、攫おうと追って来る者たちなどいなかったし、両親や年の離れた兄や姉の庇護下にいた。人の近づかぬ山奥でも、師匠や兄弟子であるフェリクス、弟弟子のカイがいてくれ、大きな事件に巻き込まれることなど皆無だった。

 

 それがどうだろう。

 一歩里を出てしまったことで、妙な事態に見舞われている。

 いつの間にか、目尻から流れた涙が首元を伝う。

 ユリアは顔を戻し、袖口で顔を拭った。


「おかしいな。いつもならこれで乾くのに」

 

 次から次へ涙が溢れてくる。泣き虫のつもりはなかった。


「疲れてるのかな……止まらない」

 

 きっと体があまりに疲れすぎているせいだ。

 それで涙腺が弛んでしまうのだ。 

 朝から散々だと、ユリアは泣きながら乾いた笑いを漏らす。

 起きてすぐ、両親と大喧嘩した。修復不可能になるほどの暴言を吐き、家を飛び出した。

 

 今思えば、あの瞬間、ユリアは心に傷を負ったのだ。その傷を抱えたまま、その後の困難に見舞われたのだ。

 精神的に参っていてもおかしくはない状況だ。

 ぽろぽろと嘘のように溢れてくる雫を受け止めようと、袖口を目に当て、ユリアはへの字になりそうな口元をどうにか引き結ぶ。

 

 人前で大泣きするわけにはいかない。しかも、目の前にいるのは、出会って半日程しか経っていない身元不明の青年だ。泣き顔をさらすような、弱みを見せたくはないし、心を許してはいけない。そう思うのに、涙は止まってくれず、ユリアは洟をすすりながら、無理に笑って見せる。


「私、もう寝なくちゃ。ひとりで大丈夫だから、部屋に戻って?」

 

 早くひとりになりたかった。

 ひとりになって思いっきり泣いて、それで疲れて寝てしまえば、楽になれる。

 目の周りと鼻の上の赤い顔を向けると、ライナルトは敢えてなのか視線を逸らし、短く息を吐いた。


「俺のこと何も言ってなかったよね? 今、ユリアちゃんのいろんな事情を断片だけど聞いちゃったわけだから、俺も話さないとフェアじゃないよね」

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