第1話 助けに来た異邦人①

「ユリア・クレフ・シュバルヒ。一緒に来い。君には大いなる使命が与えられている」


 真正面に立ち塞がる黒いローブを纏った男が、声高に不遜な態度で言い放つ。


 左右、後方にも、一様に黒衣に身を包んだ男たちがおり、ユリアをぐるりと取り囲んでいた。今は、大きめの輪のように並んでいるが、じりじりと距離を詰めてきているようで、逃げ場のないユリアは、全身に冷や汗が噴き出るのを感じた。

 ユリアは周囲を取り囲む四人の男たちを睨むようにして視線を走らせ、身を堅くする。

 思わず、拳をぎゅっと握り締めると、ぐしゃりと音がして、ユリアはちらっと手元に目を落とした。


 たった今握った手の中には、兄の恋人から託された大事な手紙があったのだ。

 無残にもしわくちゃになってしまったそれを、ユリアは懐にねじ込む。


(一体全体、これはどういう状況⁉ こいつら何なの⁉)


 黒衣の集団に襲われる謂れはない。

 なぜか名前まで把握している彼らは、一体何が目的なのだろう。

 野盗や山賊という雰囲気ではない。追剥ならば、さっと仕事をして次へ行くはずだ。

 「大いなる使命」などという大げさで、胡散臭い言葉が怪しげな空気を醸し出しているが、怪しいということ以外、彼らが何者なのか見当もつかない。

 

 でも、不思議と命を取られるような、ぎらついた殺気は感じないのだ。

 だからだろうか。彼らへの恐怖よりも、行く手を遮られ、邪魔されていることへの反感の方が強い。


(こっちは急いでるの‼)


ユリアは手紙を仕舞った胸元を軽く押さえ、ぎりっと奥歯を噛んだ。

手紙の送り主の悲し気な顔が浮かび、堅く目を瞑る。


(早く、兄様に届けなくちゃ! でも、どうする⁉ 逃げ切れる⁉)


 ユリアに手紙を託したのは、兄の恋人であるカトリナだ。

 兄アヒムが〈銀海の風〉の仕事で里を飛び出してしまい、それを追おうとしたカトリナが涙ながらにユリアに託したもの。アヒムがカトリナと恋仲だとは知らなかったが、彼女がお腹に手を当てる仕草を見、ユリアはピンときた。


 ——危険な仕事だと聞いているの。だから、これを……これをアヒムに渡したくて。


 受け取った白い封筒の中には、カトリナが思いを込めて縫い上げたお守りも入っている。

 是が非でも、アヒムに届けなくてはならないのだ。

 ユリアがカトリナの腹部を見て、「兄様は知ってるの……?」と問えば、カトリナは切なげに首を横に振った。その時決めたのだ。いち早く、手紙を渡し、男としての責任を果たすよう、強く進言しなくてはならない。

 

 両親と大喧嘩の末、大荷物をまとめ、唯一の頼みの綱である師匠のところに身を寄せようとしていたユリアは、急遽予定を変更し、兄を追うことに決めた。

 カトリナからは兄の目的地を聞いているので、そこを目指して、意気込んで歩いていたのだが。

 

 あと少しで、村に着くというところで、ユリアの前に、見知らぬ黒衣の男たちが現れたのだ。

 左手側にのどかな牧草地が広がり、右手側には緑生い茂る雑木林が横たわる、おおよそ事件に遭遇しそうもない、何てことのない平凡な場所。

 にもかかわらず、ユリアは未知の敵と対峙することになってしまった。

 見晴らしが良く、突き抜けるような青い空の下、村の姿も遠目に見える。

 

 だが、往来する者の姿が一切なく、颯爽と現れて助けを申し出てくれるような人物に巡り会えそうもない。

 

 ユリアは小さく息をつき、改めて真正面の男を観察する。

 声から察するに、まだ年若い青年だろう。

 頭からすっぽりとフードを被っているために、顔はほとんど陰に隠れ、口元しか見えない。黒色のローブに隠れてはいるものの、腰のあたりに不自然な出っ張りが見える。

 

 おそらくは、剣などの武器を携えているに違いない。

 今のところ、その武器を使う素振りは見せないが、ユリアの出方次第ではどうなるかわからない。


 ユリアはゴクリと息を呑んだ。

 甘く見ていれば痛い目に遭うかもしれない。

 先程までの認識を改めねばと拳を握る。

 背丈も高く、並みの少女よりは腕力も格段に上回るであろう男たちだ。

 武道や剣術の心得のないユリアに太刀打ちできるはずもない。


 しかも、一対四。

 か弱い女の子が、武器を持った大の男四人を相手にしなくてはならないのだ。

 普通に考えて、無茶だ。

 だが、ユリアにも勝算があるとすれば——


(魔法……使ってみる……?)


 それしかないだろう。

 とはいえ、生まれてこのかた十五年間、ユリアは魔法を駆使して戦ったことなどない。

 否、そもそも戦った経験すらないのだ。

 ユリアの持つ力は、里に住む誰よりも強大だった。

 そして、他の誰の力よりも特別だった。


 けれど、それは持って生まれた力が、というだけだ。

 魔法は訓練を積まなければ、あらゆる技を使いこなすことなどできない。

 両親からはむやみやたらに力をひけらかすなと、魔法を大っぴらに使うことを禁じられ、表向きは、微弱な魔法しか使えない者として生きてきた。

 表向きは、である。

 実際は、山に住む変わり者と名高い師匠と、兄弟子の元で、魔法の基礎を身に着けてきた。

 もちろん、ユリアと師匠たちしか知らない秘密特訓だったが。


 ——せっかく、そんな力を持ってるんだ。使わなくてどうする。俺がみっちり仕込んでやる。


 顔に似合わず面倒見の良い兄弟子は、ユリアに基本的な攻撃、防御の魔法を教えてくれた。

 そのため、練習でなら、幾度となく魔法を使ってきたのだ。

 だが、その程度の実力で、実戦に耐えられるかどうか——ユリアは自信がなかった。

 とはいっても、この状況で他にどうしろというのか。

 一気に走り出し、男たちの脇を通り抜けられたとしても、すぐに追いつかれるに違いないし、結局は捕まってしまうだろう。

 それならば——先手必勝!

 こちらから攻撃を仕掛けるべきだ。


 ユリアは自分を鼓舞するように頷いてから、両手を構えた。

 山の中で何度も練習したときのことを思い出しながら。

 それから、一拍置いて、息を吐き出すと口を開いた。

 できれば、命を奪いたくはない。

 甘い考えかもしれないが、ユリアには相手の命を奪うつもりはなかった。

 この場を切り抜けられればそれでいいのだ。

 ユリアは脳裏に浮かんだ「使える魔法リスト」から、自分をぐるりと取り囲む四人全員に効力を発し、できるだけ傷つけず、気絶程度ですみそうなものを選び出し、意を決して詠唱する。


「『聡明なる風の神ヴェンツエルよ、私に力をお貸しください——吹き荒れて! 風の……』」


「えっと……お取込み中のところ、ごめんね」


 そのとき、背後から気の抜けたような声が割り込み、ユリアの詠唱は中断された。

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