突き進む者

 バークレイはサルテ河を下った五〇艘の舟がガルマル軍の左翼に弩による射撃を浴びせ掛けたタイミングで、右翼に前進の命令を出した。


『これで敵の左翼の動きが乱れる。この隙に舟の部隊を敵の後ろに上陸させる』


 図上演習で皇帝は右翼の駒を前に出し、ついで河の上に置いた駒をガルマル軍の背後へと移動させると、


『さて、これで敵はどう動く?』


 と、完全に聴き手になっていたバークレイの顔を見て試すような口調でそう言った。


『……そうですね。相手は騎兵です。踏み止まるより、一度距離を置いて態勢を立て直そうと図るはずです』

『うむ。ではどこに下がるか?』


 バークレイの答えに応じた皇帝は、ガルマル軍の左翼の駒を掴み上げて再び問う。


『後ろに我が軍が回り込んで来ているから……中央に寄る形で斜め後方へと動くでしょう』

『そうだな、私もそう思う。では次だ』


 ガルマル軍の左翼の駒を中央側へと動かした皇帝が、またバークレイに問う。


『この混乱に右翼のカマルムクはどう応じる?』


 この問いにバークレイは少し考え、ガルマル人の尚武の気質やこの戦場に至る経緯を踏まえて、うなずきとともに回答した。


『退きはしますまい。進むと思います』

『では、どこへ進む?』


 考えられる方向は三つ。一度後退して態勢を立て直してから攻撃を再開するか、当初の作戦通りにこちらの左翼側面への回り込みを続けるか、この状況から前進を始めるか。どれも可能性としては十分にあり得た。どれを選んでも利と害があるからだ。

 後退すれば距離と空間的余裕を得られる。敵の主力は弓騎兵であるため、これは大きな得だ。しかし左翼の混乱している状況で右翼も下がれば中央も引きずられて混乱し、全軍が総崩れを起こす可能性も否定できない。

 こちらの左翼への迂回を続けるならば、自軍の左翼が中央方向へ寄せている状況で中央を潰さずに空間的余裕を確保しながら、こちらの後方への攻撃が可能になるかもしれない。だが迂回は時間が掛かり、左翼が崩れた状況では当初の目論見であろうこちらを河に押し付けて包囲する作戦の達成は見込めず、勝敗の行方も定まらない公算が大きい。

 前進を選べば右翼とともに中央も踏み止まり、左翼の崩壊も支えられる可能性がある。けれど、こちらも前進をしている状況で正面からぶつかるならば、弓騎兵主体のガルマル軍より密集陣形テッサルトを組む近接歩兵主体の我が軍に有利であり、敵は相当の被害を覚悟しなければならない。

 この逡巡にバークレイの沈黙が伸びると、皇帝はフッと息を漏らして笑い『悩むだろう?』と声を掛けた。


『どの選択も利と害がある。ならば相手の選択をこちらの動きで誘導すればいい』


 教え諭すように話す皇帝は、自軍の左翼にある駒を指で叩いた。


『だから私が左翼にいるのだ』


 バークレイは喊声と赤土が舞う前線の戦況を見つめる。ガルマル軍の右翼に見える真紅の大軍旗が踏み止まり、崩れた左翼を支えるように中央の軍勢が動き出した。


「そうだ……皇帝はそこにいる」


 バークレイは握る手綱に力を込めた。カマルムクは前進を選択したのだ。こちらの思惑通りに。


『私を殺せば勝てる。逆境にこんな救済の光が見えれば人はそこを目指してしまうものだ。まあ、確実とは言えないが、こちらの意図通りに相手を動かす確率は上げられる。さて、それでこの狙いだが――』


 前線の動きを見据える。敵は中央の援護で左翼の後退を押し止めた。右翼はこちらの左翼の前進を防ぎつつ、同時に迂回の動きを見せて牽制を加えながら前進の機会を窺っている。


『踏み止まり前進をしようとする右翼と、後退する左翼を支えようとする中央とで逆向きの動きが生まれる』


 そこで真紅の大軍旗が動いた。右翼のカマルムクが突出してこちらの左翼に――皇帝ウドのいる黄金の日輪の大軍旗に向かって突撃をしたのだ。


「耐えろ、ウド――」


 想定より激しく押し込まれている様子にバークレイは焦燥を抱く。しかし、このカマルムクの突撃に牽引されるように敵の右翼全体が前へと押し動き始めた。


「――ここだ」


 バークレイはそこで戦場を覆う赤い戦塵が薄まる一帯を見た。前進する敵の右翼と、左翼を支えるために踏み止まる中央との陣列の繋ぎ目に太陽の光が射し込み、ここに戦塵を巻き上げる兵の薄い“切れ目”が生じていることをはっきりと指し示した。


『そこを突け。お前が偉大なる神マラバシュより与えられた突き進む者バークレイの名の通りに突き進み、敵陣を突き破れ』


 バークレイは大きく息を吸い、あらん限りの大声で麾下の重装騎兵に号令を発した。


突撃バーク!」


 号令一下に駆け出した重装騎兵の一団は、銀の半月旗を先頭にたちまちに一本の槍の如き錐行の陣を成して、「偉大なる神に勝利をマラバシュターン!」のときの声とともに、戦塵に射し込む光に導かれるように敵軍の切れ目へと突き進んだ。



   *****



 それは美しい光景だった。

 私は矢で狙われていることも忘れ、その光景に見惚れていた。

 両軍の陣列の中央付近。

 そこで彼我の兵士が巻き上げる赤土の煙が一瞬途切れ、


光輝ラートイ――」


 天から伸びる指のように射し込んだ陽光が、そこに道のあることを指し示した。

 そこに私は見た。

 敵の陣列に生じた切れ目を、

 そこに向かって突き進む騎兵の一団の姿を、

 戦塵を、雲間うんかんに走る雷光のように駆けていく銀色の半月旗を、

 バークレイ殿下が率いる重装騎兵の突撃を――!


バークレイ突き進む者!」


 私は叫んだ。


突き進めバーク、バーク、バーク!」


 私は確信した。

 自分はこの瞬間を見届けるために、陛下のウドとして生きてきたことを。

 トイに導かれるように疾駆し、突き進む者バークレイの名の通りにひた走る一本の鋭槍と化した殿下の騎兵の一撃が、深く、深く敵軍に突き刺さっていく。

 私は声の限り叫び続けた。


進めバーク進めバーク――」

「――皇帝バシオスっ!」


 そこで私を射抜く声とともに、引き絞られた矢が放たれた。

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