残光を払う
「
「
強まる敵の圧力に限界の悲鳴を上げた親衛の叫びに、カマルムクは皇帝を狙って放った矢の行き先を見届けることなく馬首を巡らして後退を命じた。
振り向けばバシュタイル軍の銀の軍旗がこちらの右翼と中央の
「クソっ! なんたる
二〇〇騎ほどまで数を減らしたカマルムクの鉄騎隊がバシュタイル軍の陣列から脱すると、そこには「
右翼は完全に崩壊した。後方を敵に突破されて戦意を失い、秩序も消え去ったガルマル軍の兵士たちは、もはや狩り場で
「必ず――必ずこの雪辱を果たし、貴様らの骨肉で地上に
「敵将だ! 追え! 逃がすな!」
呪詛も虚しく今は追われる身のカマルムクは、敵どころか行く手に逃げ惑う味方の兵までも蹴散らしながら、なりふり構わず鞭を振るって愛馬を駆けさせる。
ガルマル軍の敗走の流れは、後方に敵が回り込んだために後ろではなく右翼の右手、段丘の崖が続く方向へと向かっていた。
「まずい」
カマルムクはこの流れに苦々しく内心を漏らした。崖にぶつかれば、これに沿う形でしか退路はない。こちらの陣を破った敵の騎兵隊が先にこの退路に回り込めば、逃げ道を完全に塞がれたこちらの右翼は、崖に押し付けられる形で包囲されて全滅する。
その前に自分だけでも逃げ延びなければ――そうカマルムクが思ったときだった。
「
崖まであと二ドイ(約六六m)くらいの距離に近づいたところで、こちらの進路を塞ぐように前方右側から銀の半月旗を靡かせて駆け込んでくる、甲冑に身を包んだバシュタイル軍の重装騎兵隊の姿が現れた。
「我が名はバークレイ・コリアヌス!
先頭を駆ける優美な甲冑を着た逞しい体格の騎士が、そう名乗りを上げて槍を構えた。皇帝の弟――その名乗りを聞いて「
「
そう鋭く声とともに矢を飛ばしたカマルムクに、続く兵たちも次々と矢を放つ。
しかしバークレイは止まらない。
矢が甲冑や兜を掠めようと、恐れず、怯まず、まっすぐに突き進む。
この突進を避けるように走るカマルムクの馬の横合いに、バークレイの馬が吸い込まれるように近づいていく。
『敵陣を突破したらどこに向かう、バークレイ?』
ここでバークレイの脳裏に兄ラートイと交わした最後の会話が蘇った。
図上演習で自分を試すように質問を続ける
『そうだ。この崖のために敵の退路は限られる。カマルムクが逃げるとすれば崖に沿って走るしか――ゴホッ、ゴホッ!』
うなずく皇帝は話の途中で咳き込んで血を吐いた。慌てて介抱をしようと動くウドを手で制した皇帝は、バークレイの目を覗くように見て、はっきりとした声で命じた。
『そこをお前が討て』
有無を言わさぬ皇帝の様子にバークレイは神妙にうなずいたが、ウドの貸した肩に身を預けて寝台に向かう皇帝の背中へ、ひとつだけ質問を発した。
『この大任をなぜ私に?』
振り返った皇帝は、いつも「堅苦しい」とバークレイに苦情を言うときに見せる不満気な表情をしたが、フッとそうした感情を懐かしむように相貌を崩して微笑み、端的な言葉でこの堅苦しく生真面目な弟の質問に答えた。
『お前が次の
このときに備えてバークレイは、生まれつき病弱で子もない兄の側に在り、兄に従い、兄に学び、兄の生を見届けるために生きた。
しかし、バークレイは
自分にできるのかという迷いはあった。
万事に如才ない皇帝としての兄の才能に恐れすら抱いていた。
けれど、
この残光が照らす
本物の
「
バークレイは馬に拍車を掛け、一心不乱に逃げるカマルムクへと迫る。
一馬身の距離。
バークレイの槍が腰へと引かれ、
「
カマルムクが唾を飛ばして叫び、
「
突き出された槍が、その横腹を貫いた。
衝撃にカマルムクの身体が落ちる。
失われる――そうカマルムクの思考が切れた糸のように漂っていく。
地位も、名誉も、
帽子を飾っていた赤染の鷹の羽根が舞い、伸ばした手が虚しく空を掻いて、衝撃が肩から半身を叩き、鼻と口に広がる血の臭いに屈辱の味を覚えながら、自分の脇腹に深々と刺さる槍を突き立てた者の背中が遠ざかっていくのを、憎悪のまなざしで見送ったカマルムクの意識は、続く馬蹄の響きに踏み砕かれて絶えた。
こうして、
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