残光
皇帝の
私という
『ウド』
陛下は病弱な身ながらよく笑う御方で、自室で二人きりになるとこう気安く私に話しかけられ、
『楽しいな』
と、陛下の謀略で反乱に追い込まれて敗死した政敵の献上された生首を見て、まるで虫を潰して喜ぶ子供のような無邪気さで笑うのだった。
生真面目なバークレイ殿下はそうした態度に度々苦言を呈されたが、私には陛下のそうした御姿が真に
――しかし、その陛下が身罷られた。
「陛下、敵が突撃してきます!」
近衛兵の声に意識を戦場に戻した私は、輿の上で立ち上がり前線の動きに目を遣った。すると、こちらの陣列の薄くなった部分を突いて、赤い軍旗に率いられた騎馬の群れが「ハイラーン!」の
「防げ、防げ!」
この突撃に気付いた後衛の部隊が急いで陣列の隙間を埋めるように集まるが、
汗が流れる。
一団を率いる旗は真紅。
それはこちら――私の元に真っ直ぐに向かって来ている相手が、
冷たい緊張の汗。
心臓が、迫り来る馬蹄の響きに急かされるように早鐘の鼓動を刻む。
私は皇帝ではない。
本来ならば私は、このような帝国の命運を賭けた決戦の舞台で、敵の王と対峙し得る人間では決してないのだ。
親の名も知らぬ孤児の生まれ。
陛下という
そう、私はただの人間なのだ。
『ウド、お前が皇帝だ』
だから、バークレイ殿下が陛下の遺言を聞いた直後に仰られた言葉は、私を深く
『ここで皇帝の崩御が知られれば軍が動揺し、ここまで築き上げた兄上の作戦が水泡に帰す』
殿下の仰る理由は理解できた。けれど私にはそれは無理だと感じられた。
『
『皇帝ならざる身で皇帝として戦えば、それが敗因となります』
神に偽物であることを見抜かれ、あの御方がここまで成し上げたものを壊してしまう。それを私はひどく恐れた。
なによりあの傲岸不遜で大胆不敵な、自身が神に愛された存在であることを寸毫も疑わない、生来の絶対的な君主として
「陛下を御守りしろ!」
「集まれ! 防げ!」
「輿をお下げしろ!」
近衛兵が慌ただしく動く。迫る
これが陛下であれば、巧みな指揮で陣列に穴を空けるような用兵は行わず、このように敵に肉迫させる隙など与えなかっただろう。
しかし私は凡人だ。
やはり神は――その思考の間隙に、衝撃が身体を走った。
「陛下!」
近衛兵の悲鳴。
身体が傾ぐ。
肩に矢が突き立っている。
射られた。
迫る敵。
自分を射たと思しき、屈強な戦士が敵団の先頭を駆けてくる。
豪奢な赤染の帽子と外衣を纏い、立派な編み髭をした男。
この男が、二の矢をつがえようと矢筒に手を動かしている。
死を感じた。
陛下は亡くなられた。
ならば私も死ぬのだろう。
それが自然の摂理のように思えた。
けれど――、
『ならば』
バークレイ殿下はあのとき、出会ってから十五年来変わらない、その謹厳な顔で怯える私に迫り、
『神をも騙せばいい』
と、神をも恐れぬ言葉を言い放った。
『兄上は――陛下は『勝て』と言ったのだろう?』
さらに殿下は一歩迫り、
『つまり、『神を騙せ』と言ったのだ』
両肩をがっしりと掴んで私の目を
『嘘は暴かれるまで真実だ。神ですら暴けぬ嘘ならば、それはもはや本物だ。本物の皇帝となれ――ウド!』
傾いだ身体が踏み止まる。
「神を騙す――」
口にした言葉の重みに潰されそうになる。しかし、陛下は『勝て』と言った。それは陛下が自身の策が成り、勝利を確信していたからだ。陛下の死がそれを失わせるならば、私は陛下として生き、必ず陛下の手に勝利を掴ませなければならない。
あの日、陛下は言った。
『
この言葉は、まだ残光のように私の中で輝いている。
陛下の残した光が、まだ私を影として生かしてくれている。
ならば生きねばならない。
生き尽きるまで生きねばならない。
偽物である私は、本物の残した光が尽きるまで、影として生き抜かなければならないのだ。
だから――、
神よ――私に騙されろ。
「
足を踏み締めて身体を支え、戦場の喧騒も、劣勢の動揺も、私を怯えさせる惰弱な心も、すべてを吹き飛ばすように腹の底から叫んだ。
私の発した大声に周囲の近衛兵たちが振り向く。
彼らはうなずくと、先までの動揺を払ったように一斉に声を上げた。
「
そして抜剣した近衛騎兵を先駆けに、彼らは口々に「
「
近衛騎兵の突撃は
「
彼らもまた口々にそう叫びながら、矢を射掛け、槍を突き出し、剣を振るい、さらに続々と集まって突出してきた
「
いつしか味方の上げる
「――
そこで私を引き留める、天空を貫く矢のように鋭い声が飛んだ。
先に私を射た、赤染の衣装を纏う編み髭の
男が私に狙いを付けて矢を引き絞る。
張り詰めた弓。
けれど――そのとき私はこの男の後ろに見えた光景に心を奪われていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます