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 そんな互いの近況を話し込んでいると、トントントンと扉の向こうから軽く乾いた音が三回響き渡った。


「失礼します。お飲み物をお持ちするのが遅くなり、大変申し訳ありません。お詫びに、サクランボを一つおまけで乗せておきましたよ。皆様のお飲み物もそろそろなくなるかと思い、おかわりをお持ちいたしました」


 朗らかな声と共に、シルバーのトレイにキラキラと輝く飲み物を乗せて入ってきたのは、この喫茶店の主。

 何度見ても、あの時の“誰か”にそっくりな姿の様相だ。


「わぁ〜! ありがとう、マスター!」

「よ、良かったね! アオバちゃん」

「わざわざスイマセン」

「いえいえ。追加のスイーツもお持ちいたしましょうか?」

「ホントっ!? やったぁ~!」


 さらに喜びの声を上げたアオバだったが、それをユタカらは慌てて止めに入る。


「げっ!? お前、何言ってんだよ!? もう十分だろうが!」

「流石に、これ以上食べるとカロリーオーバーになるわ……」

「だ、大丈夫ですよマスター。まだまだ十分な量がテーブルの上にありますから」


 食べ放題の店ではないのに、自分たちのために毎回たくさんのスイーツを用意してくれる喫茶店のマスター。

 しかも、一定の使用料金のみで飲食物を自由にオーダーして構わないと言ってくれたため、こちらとしてはありがたい限りなのだが、逆に店はやっていけるのだろうかと不安にも駆られてしまう。

 しかし、そんな心配をよそにマスターはいつも自分たちが来店することで『恩恵を受けている』と言い、必要な金額以上のものは受け取ろうとはしなかった。

 そのため、現時点ではマスターの多大なる好意に甘えさせてもらっている状態となっている。

 そんな“あの時”と同じように甲斐甲斐しく自分たちの給仕をしてくれるマスターを見て、ユタカはこれまで何度も尋ねてきた文言を繰り返した。


「な〜、やっぱりマスターは『あの執事』なんだろ? いい加減、ネタばらししてくれよ〜」

「おやおや。またそのお話ですか。毎回大変興味深く聞かせて頂いておりますが、その『執事』という人物はわたくしではございませんよ? 名前も違いますしね。わたくしは、ただの小さな古びた喫茶店の店主でございます」


 マスターはそう言いながら、六人のテーブルに各々おかわり用の飲み物を配膳する。


 アオバには、鮮やかな緑色が弾けたクリームソーダを。

 タカラには、爽やかな口溶けのレモンスカッシュを。

 ユタカには、苦味と甘みの交差が絶妙のコーヒーフロートを。

 りょうたには、酸味と甘みのコントラストを楽しめるオレンジフロートを。

 あさひには、室内いっぱいに香しさが広がるフルーツティーを。

 さくらには、ほろ苦い風味とホイップクリームのふわりとした甘さの両面を味わえるカフェモカを。


 “あの時”と同じように、こちらが何も言わずともそれぞれの好みの飲み物が準備されていった。


「ほらー! 言われなくてもアタシたちの好きなメニューを出してくれるじゃん。やっぱり、マスターは『片岡さん』なんでしょー?」


 ユタカと同様に、アオバも『あの執事』と激似のマスターに対し、毎度のごとく同じ質問を繰り返した。


「いえいえ。皆様常連のお客様ですから、お好みのものは自ずと覚えているのですよ」

「いえ、偶然にしては出来過ぎですよ。僕だって、マスターが『片岡さん』じゃない証拠を見つける方が大変だって思いますからね」

「ぼ、ぼくも、そっくりだと思う!」

「皆様が仰る『片岡』という人物は、それほどまでに似ているのですね。いわゆる、“ドッペルゲンガー”というやつなのでしょうか。そこまで言われるのであれば、一度お会いしてみたいものですね」


 そう言って六人の飲み物を配り終えると、マスターはクスクス笑いながらカウンター席のあるフロアへと戻って行ってしまった。


「もー、絶対そうだと思うのに! アタシ、マスターが『片岡さん』だって証拠を見つけるもん! ね、りょうたくんっ!」

「う、うん!」

「ふふっ。『ちびっ子探偵』の復活ね。でも、姿見、雰囲気、話し口調までそっくりだから、誰が見ても同一人物だと勘違いするわよね。あれで他人の空似という方が難しいと思うわ。藤橋先生は、どう思われます?」

「そうねぇ。私もそう思うけど、あれだけご本人が否定してしまうと、それ以上追求はしにくいわよ」

「でも、マスターだけじゃなくて、使わせてもらっているこのスペースだって、なんとなく“あの書斎ばしょ”に似ていませんか?」


 そうなのだ。

 以前は生演奏会を開催するなど音楽と触れ合えるスペースと聞いていたこの喫茶店奥のエリアは、今は本棚がいくつも並べられたブックカフェのようになっていた。

 児童書や推理小説、図鑑や詩集、楽譜に料理本など、多種多様なジャンルの本がぎっしりと敷き詰められており、ここにある本は全て自由に手に取り読むことができる。

 さらには、自分の思いを絵や文字で綴れるようにと、ノートや画用紙、色鉛筆やクレヨン、ボールペンや万年筆、硝子ペンなど様々な文房具やホワイトボード、テキスト入力可能なワードプロセッサのような物まで置かれていた。

 ほとんどがマスターの私物らしいが、奥棚に置いてある物以外は自由に使ってよいとのこと。

 本や文具に囲まれたこのエリアにいると、どうしても“あの書斎ばしょ”で『不思議なノート』の作業をしている錯覚に陥ってしまう。


「オレもそー思う。だってよ、あのホワイトボードなんか、りょうたが書いてくれた物とまるっきり同じに見えるもんな」

「ねー。あっ、りょうたくん。あの時と同じようにホワイトボードに書いてみてくれない? “あの書斎ばしょ”をここに作ってみたら、謎が解ける気がするんだ!」

「う、うん! やってみるね!」

「ははっ。『名探偵アオバ』の登場ですね」

「バッカ。『探偵』に決まってるだろーが」


 明るい笑い声が幾重にも重なり、エリア一帯に朗らかな空気が広がっていく。

 自分の思いを自由に出し、受け止めてくれるこの空間も、“あの時”と同じように皆にやすらぎを与えてくれるものになっていた。

 アオバに作業を頼まれたりょうたも、嬉しそうな表情で『不思議なノート』の使い方についてスラスラとホワイトボードに書き出していく。

 番号ごとに手順を短く書き、大事なポイントは赤いペンで囲いをつける。

 “あの時”と同じように、見やすく、わかりやすい言葉で丁寧に。


「どう? りょうたくん。書きにくいようだったら、この踏み台を持っていくけど」

「だ、大丈夫だよ。うん、できた!」

「あら、上手に書けたわね。流石、柿くん。それにしても、こう見るとやっぱりそっくりだわ」

「ですね。これで、あのノートが乗っていたブックスタンドがあれば完璧なのですが」

「だよな……って、アオバ? お前、さっきから何やってんだ?」


 りょうたに作業を依頼したにも関わらず、その張本人は奥の棚で何やらゴソゴソと怪しい動きを見せていた。

 しかもよく見ると、両足を屈めて棚の下にまで手を伸ばしている。


「おい、アオバ! 流石にそこはダメだろうが! 何やって――――」

「ちょ、ちょっと! これ!? これ見て!」


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