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「またあのクラス、学級崩壊ですって。教室を飛び出す子も多いらしいわよ。落ち着いて授業することが難しいらしいし、担任変えてほしいんだけど」


「またうちの子だけが悪いっていうんですか!? 家では、『先生に怒られるから学校に行きたくない』って言ってるんですよ!? うちの子が不登校になったらどうしてくれるんですか!?」


「藤橋先生、学級経営がうまくいってないのでは? また保護者からクレームが入ったそうですね。もっと、子どもに寄り添った支援をしないと」



 この学校に赴任してから、何遍言われたかわからない叱責と失望の言葉。

 また、あのクラス。また、あの先生。

 そんなこと、わかってる。自分のクラスを何とかしなければいけないことだって、自分の指導力不足なことも、理解している。

 でも、でも、どうしても。

『こんなはずじゃなかった』

『あの子さえいなければ』

 そんな考えが、頭の中から追い出すことができないの――――







 ぽたっ。ぽたっ。ぽたり――――


 透明な液体が滴り落ち、体全体から止め処なく流れ続ける。

 こんなに汗をかくのは、いつ以来だろうか。

 でも、そんなことは気にしていられない。

 とにかく、このちぎり絵のようにバラバラになった世界を繋ぎ合わせないと。

 この『楽しい学校の世界』をもとに戻さないと――…………





「ハァァーー…………」


 ――――時は少し遡って。


 銀色に光るお玉を握りながら、さくらは深く、大きなため息をついた。

 そのあまりに深いため息は、炊事場どころか、このお屋敷の長廊下の端から端まで届きそうな勢いだった。


「ああ……。何であんなこと言っちゃったのかしら。そんなつもりなかったのに……」


 幻聴のように、あのピコピコ音まで聞こえてくる感じだ。


 ピピッ。ピピピッ――――


『ソクテイカンリョウ。ホンジツノ、サクラサマノ、シゲキカンカクドハ、“テイレベル”トナッテオリマス』


 こちらの世界にあの機械があれば、きっとこんな測定結果が出ることだろう。

 ただ、今聞こえた音はあの機械音ではなく、電子レンジの知らせる合図だ。

 今、さくらは昼食の準備のため、炊事場で片岡が準備してくれたカレーを温めて直している。

 あさひとりょうたには、大広間で六人分の食器を並べてもらう手伝いをお願いした。

 この屋敷の主を探すためにタカラが作った学校へ入り直した三人。

 探索が終わり、こちらの世界へ戻ってきてみると、書斎にいたはずのユタカたちの姿が見当たらなかった。

 いつも使っている作業スペースを見ると、そこで作業をしていた形跡はない。

 あの学校で探索活動をしている時に丸い球体の機械がピコピコ動きながら別の階へ行くのを見たので、もしかすると、あの三人も自分たちと同じようにこのお屋敷の主を探しに来ていたのかもしれない。

 もしくは、“あのやり取り”で怒ってボイコットしてしまったとか……。


 「やっぱり強く言い過ぎちゃったわよね。きっと、今ごろ物凄く怒ってるわ……。ハァァ……」


 このノートの世界に来る前にユタカたちとの一悶着あったやり取りを思い出し、さくらはもう何度目かわからないため息を深くついた。


 私だって、今まで作ってきた学校を否定するつもりなんてなかった。別に、『遊びで作っていた』なんて思ってない。

 確かに、最初の頃にあの子たちが思い描いたものの中には、楽しいことだけを詰め込んだ学校というものもあったので、『これを学校と呼んでいいのだろうか』と感じたこともある。

 でも、いろんな想像に触れていくにつれて気づいたのだ。自分自分が、“学校”という枠に縛られすぎていたことに。

 『学校だから』という固定概念を、自分が無意識に持っていた先入観を、あっという間に崩してくれたこの世界。

 自分が敷いたレールではなく、子どもたちの思いのレールに合わせることの大切さに気づかせてくれたこの世界。

 いつの間にか、この世界での学校作りを、あの子たち以上に夢中になって取り組んでいたのだった。

 

 でも、あの時。

『希求筆記帳』の残りページが、あと僅かになったという現実が見えた時。

“終わりたくない”という焦燥感から、心の中で感じた願いをどうしても止めることができなかった。

 言う必要のない余計な言葉までが怒涛のように吹き出し、現実世界に弾け出てしまったのだ。


 終わってしまう。終わりたくない。

 完成させたい。させたくない。

 思いを止められない。逆らえない。

 もっと、もっと、この素敵な想像の世界をじっくりと味わいたい。

 

 だって、あの日の夜、しおりの中から現れた光の情景は、まさに私が理想としていた学級なんだもの。

 あんなに生き生きと、伸び伸びと授業を受けている子どもたち。

 キラキラと輝くような学校生活は、自分が教職を志していた時の明るい未来そのものであり、目に焼き付いた光景は頭の中を離れなくなってしまったのだ。

 推測するに、あの学校を思い浮かべた者、つまり、このお屋敷の主は教育関係者、もしくは、教育分野に精通している者だと思われる。

 同じ教育現場に携わるものとして、あの世界を浮かび上がらせた張本人に、さくらは直接話を聞いてみたくなったのだ。

 だから、主張した。『このお屋敷の主を探したい』、『もっと調べさせてほしい』と。 


 でも、反発された。

 その時、不意に思ってしまったのだ。


 アア、コノコハ、“アノコ”ト、オナジ。

 アノトキトオナジ、コワイカオ。

 ワタシニ、テキイヲムケルカオ。

 ワタシノクラスヲ、コワスモノ。

 ヤメテ、ヤメテ。ソンナカオヲ、ムケナイデ。

 ソンナノハ、ワタシノクラスニハ、イラナイ。


 ごめんなさい。ごめんなさい。

 そんなことを思ってしまうなんて。

 そんなことを言ってしまうなんて。

『こんなはずじゃなかった』

『消えてほしいなんて本当は思ってなかった』

 ただ、ただ。

 ただ、ただ。

 私は、自分のクラスを明るく輝かせたかっただけなの。

『さくら先生〜!』って、子どもたちが笑顔で話しかけてくれる顔が見たかっただけなの。


 直さなきゃ。

 このノートの世界を。私が壊してしまった大事な学校を。

 直さなきゃ。直さなきゃ……。


 びりびりに千切れたページの破片がそこら中に散らばり、辺り一面を覆い尽くす。

 それはまるで、私の心の内のよう。

 日々受け持つ授業だけではなく、給食・清掃指導、子どもたちの生活・安全指導、保護者対応、校務分掌の担当や指導案作成に教材研究まで。

 毎日毎日、やることが山積みになっていくのに、それを同時に処理なんてできない。

 一つ一つ片付けたいのに、そんな余裕なんて持たせてくれない。

 何一つ達成できずに、中途半端なまま散り散りに散らばっていく日々の業務。

 千切れ千切れになっていく、自分の思い……。

 

 さくらはその破片をただひたすらに集め、それをちぎり絵のように一枚一枚合わせ貼りしていく。

 何枚も、何枚も。

 何枚も、何枚も。

 バラバラになった自分の心を繋ぎ合わせるかのように。



 ぽたっ。ぽたっ。ぽたり――――


 何度も何度も滴り落ちる、有情うじょうの汗。

 さくらは一心不乱に、消えかかったページの修復に取り組み続けるのだった。

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