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 「何で、話さないの? 何で、書けるのに言えないの? 書くより言う方が楽でしょ?」


「家ではしゃべってるんでしょ? 話せないわけじゃないんでしょ? 何で、学校では言わないの?」


「黙ったままじゃ、先生もどうしていいか困っちゃうの。頭の中で思っていても、言葉で言わなきゃダメなのよ。ちゃんと言って」



 もう、何回言われたコトバだろうか。

 自分だって、どうしてなのかわからない。頭の中では、わかっている。言うのが大事なことも知っている。

 でも、でも、どうしても、口からコトバがすぐに出てこないんだ――――







 ぴちょんぴちょん――――


 真っ白に侵食していく、修正液のような沈殿物。

 ある場所では真上から一粒ずつ、ぽちゃんぽちゃんと落ち続け、水溜りのように広がっていた。


「うわぁ……。ここは、だいぶ消えちゃってるなぁ。片岡さんの言った通りになってる。踏まないように、気をつけないと」


 そう言いながら、その真っ白な水溜りをぴょんっとジャンプするアオバ。

 片岡からは、特殊な液体が広がっている所へはできるだけ近づかないように言われている。

 それに触れると、消えてしまうかもしれないから。


 ぴちょんぴちょん――――


 目的地は、もう少し先。

 片岡から教えてもらった“目印”を頼りに、消えかけのページを渡り歩いていく。

『希求筆記帳』の中へ入った瞬間、一緒に入ったはずの三人は別々のページへと飛ばされてしまい、アオバはひとり、このページにたどり着いていた。

 色も音も何もない、真っ白な世界に体全体が飲み込まれていく感覚。

 これは、何て言ったらいいんだろう。

 まるでエレベーターに乗った時のように、あの空間がぐらつくような感じ。


 ふわり。ぐらり。


 平衡感覚の不安定さを感じながらも、とにかく前へと進んで行く。

 真っ白なページにひたひたと付けられた、自分より小さい黄緑色の足跡を辿って――――




 足跡を辿り、かなりの距離を歩き続けるアオバ。

 しかし、あるポイントまで来ると、その足跡がプツリと途切れているのが見えた。


「あれ? ここで消えてる……。どうしよう。どっち行ったらいいかわかんなくなっちゃった……」


 長時間歩き続けたせいで両足に痛みが広がり、体全身が疲労感でいっぱいいっぱい。

 立っているのもしんどくなったアオバは、その辺の空いている空間にぺたんと腰を降ろすことにした。


{りょうたくん、どこにいるのかなぁ……?}


 ふぅっとため息をつき、頭の中でりょうたのことを思い浮かべる。

 その思いは声には出さず、頭の中だけで呟いたつもりだった。

 しかし、発したはずのないそれは、突如自分の目の間に『文字』となって現れた。

 よくある漫画の、吹き出しの台詞のように。


「――――な、何っ!? これ!?」


 目の間に急に現れた吹き出し台詞に、慌てふためくアオバ。

 しかし、今声に出した言葉は文字化されず、先ほど頭の中だけで思った内容のみが台詞となって浮き出ていた。


「ど、どうなってるの……? 『あーあー』。うーん、しゃべってる声は特に文字にならないなぁ。あっ、じゃあ――」


 試しに頭の中で言葉を呟くアオバ。

 すると――――


{たくさん歩いたから、もうお腹減っちゃったよ〜!}


 ぽわっ。

 空気が膨らんだような音とともに、今心の中で思ったことが吹き出しになって再び浮き出てきた。


「え、ええーーっ!? 凄いっ! 思ったことが出てきてるー! あっ、このビックリマークみたいな文字まで。面白〜い!」


 頭の中の思いが次から次へと文字化され、吹き出しとともに表記されていく光景にすっかり大はしゃぎのアオバ。

 吹き出しの種類は、丸形や長方形のものもあれば、ギザギザした形のものや雲のようにふわふわとしたものまである。

 頭や心の中で思う感情によって、吹き出しの種類が変化しているようだった。

 アオバはその目の前の現象に目を輝かせ、どんどんと台詞を頭の中で呟いていった。


{りょうたくんと戻ったら、カレーを一緒に食べたいな}

{余ったカレーのリメイク料理も楽しみ!}

{あ〜、もうっ! お腹鳴っちゃいそう〜}


 ふわりふわりと出てきた、吹き出しの台詞たち。

 消えること無くこの空間に留まり続けているそれらは、風船のように浮いたかと思うと吹き出し同士がくっつき始め、また大きな形へと進化していったのだった。

 まるで、一つの大きな願いのように。


 頭の中の考えが、心の声が文字化される不思議な世界を体感し、アオバはふと、りょうたのことを思い浮かべた。


{もしかして、ここはりょうたくんが本当に想像したかった世界なのかな……}


 これまでの学校作りにおいて、りょうたはどちらかと言えばアオバの側で一緒に出来上がった学校体験を楽しんだり、思いついた断片的なアイディアを紙に書き出したりすることが多かった。

 りょうた一番のお気に入りの『お話がいっぱい作れる学校』は、創作活動の授業を主に行い、完成したものは自分でその世界を体験できるという、まさに『作中作』を行える学校だった。

 ただし、その学校はりょうた一人で思い描いたというよりも、りょうたが書き出したアイディアを皆で話し合って、全員で作り上げたもの。

 もしかすると、りょうたの心の奥底にある本当の思いは、この世界だったのかもしれない。


 頭の中で考えている思いが、言葉に出さなくても、“出せなくても”、文字となって見える世界を。



 ぴちょん。パリッ。パリッバリッ。バリッバリバリッ。


 座りながらそんなことを考え事をしていると、真上からバラバラに千切れたものが落ちてきた。


「――――えっ!? な、何っ!? あっ、これ……」


 よく見ると、そこには吹き出しのマークのものと、文字のようなものが書いてある。

 アオバがバラバラになったものを手に取ろうとすると、フッと軽い風が吹き込み、千切れたもの同士がくっついて吹き出しの形となって再生された。


{言うより、書く方が楽なのに}


{何で、言わなきゃいけないの}


{頭の中にあるコトバが、見えるようになるといいのに}


{何で、みんなわかってくれないの}


{コトバが必要な学校なんて、行きたくない}


{声なんか、消えてしまえばいいのに}


{コトバなんか、なくなってしまえばいいのに}


 吹き出しの台詞はどんどんとつなぎ合い、目の前には大きな大きな山となっていった。


 りょうたのコトバ。

 心にある、本当の思い。


 空から降り続くりょうたのコトバに、アオバは胸を詰まらせる。


{つらかったよね。うん。わかるよ、りょうたくん。アタシも……同じだもん}


『出来て当たり前のこと』ができない辛さ。

『そんなことで悩むなんて』とわかってもらえない虚しさ。

 そんな思いを抱えたまま、毎日を過ごすのはどれだけの苦痛だったことか。

 でも、ここでは一人じゃない。自分のことをわかってくれる仲間がいる。


{ひとりじゃないよ。りょうたくん}


 アオバは、心の中でりょうたにそう問いかける。

 すると、最後の一枚であろう台詞が、ふわりふわりとアオバの目の前へ浮かんできた。


{僕がなくなればいいのにって思ったせいで、みんなの大事な学校が消えちゃった。僕のせい。ごめんなさい。ごめんなさい……}



 ぴちょんぴちょん――――


 最後の台詞の後には、真っ白な液体が一粒ずつ落ちてくる。


 まるで、涙のように――――――



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