終章
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――――カラン。コロン。
小気味よい鐘の音と共に『喫茶:無限想』と表記されたウェルカムボードが、ゆらりゆらりと振り子のように動いていく。
いつもと変わらず来店客を迎えてくれる、扉の向こうのその空間。
今日もバタバタと元気な足音を立てながら、大きな声を上げる一人の女の子が入って来た。
「あ〜! みんな、いたいた! やっほー!」
「あ、アオバちゃん!」
「久しぶりね!」
「元気そうで何よりだわ。もう風邪は大丈夫?」
「やはり、あなたの明るい声を聞くとホッとしますね。ねえ、先輩?」
「べっつに。うるさいのがいない方が受験勉強は捗るんだけどな」
「とか何とか言って、先週はかなりしょんぼりしているようにも見えましたが?」
「う、うるせーよ!」
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。今、お飲み物をお持ちしますね」
「……ニッ」
「風邪はもうバッチリ治りました〜! みんなも、『ネコ』ちゃんも元気そうだね!」
いつもの見慣れたメンバーと、毎回温かい言葉で迎い入れてくれる喫茶店のマスター。
そして、黒くつやつやとした毛並みの首元に鈴付きの赤いチョーカーをつけた一匹の猫が、低くはにかんだ様子でちょこんと待ち構えていた。
『あの時のネコ』と同じく、短く、くるりと丸まったしっぽをつけ、低い声を奏でるその黒猫。
以前は近所の公園に居座っていた野良猫だったようだが、喫茶店のマスターが保護し、今は『喫茶:無限想』の看板猫として働いている。
ちなみに特定の名前はつけられていないので、来店客が好きなように呼んでいるのだが、アオバたちいつものメンバーは、この看板猫のことを『ネコ』と呼ぶようにした。
あの、不思議な出来事があってから約三ヶ月。
最初は夢だったのかと落胆しかけたが、手に握られた伝票が間違いなく自分たちが実際に体験した証となっていた。
ただ、伝票の裏面に書かれた住所に行っても離れ離れになった仲間と本当に会えるのかは半信半疑だったし、何よりあの伝票は片岡の凝り性から派生した小道具だったはず。適当に書かれた住所の可能性だって大いにあった。
それでも、唯一残された手がかりに望みを託し、ある者は自力で、ある者は保護者に頼み込んでその場所を目指した。
すると――――、あったのだ。
普段意識して歩かなければ絶対に気づかないような細い小道の奥に、ひっそりと構えている『喫茶:無限想』が。
そうして、この喫茶店へと集った六人は驚きと喜びとともに、現実の場面でも再開することが出来たのだった。
しかも、皆それぞれ通う学校区は違えども、住んでいる場所は実は近隣市町村内だったということも判明。
以来、金曜日か土曜日の午後から夕方の時間にかけて、この『居場所』に集まることがルーティンとなっていた。
本来であれば、この喫茶店はマスターが入れるオリジナルブレンドのコーヒーを来店客が静かに味わうといった隠れ家的な場所なのだが、たくさん話し合いたい六人の希望を叶えるために、マスターが特別に喫茶店奥のスペースを開放してくれた。
昔はピアノやジャズといった生演奏会も開催していたらしく、防音施設もしっかりと整っているスペースのため、ここでは多少声を上げても迷惑にならずにすむ。
そうして、六人は一週間に一回、特別な『居場所』で過ごさせてもらっているのだった。
今回はアオバは保護者からこの場所まで送ってもらったが、基本的には小学生組はさくらがそれぞれの自宅近くまで自家用車で迎えに行き、タカラたち中高生組はそれぞれバスや電車を使って喫茶店へ来ている。
そして帰りは、さくらがそれぞれ自宅や最寄りの駅まで送るというスタイルだ。
“あの日”以降、見知らぬ店の伝票を片手に急に『ここに行きたい!』とせがまれたそれぞれの家族はかなり驚いたようだったが、今まで外にも出ずに鬱々としていた表情が一変したことと、“引率”という形で現職の教員が責任を持って送迎をする約束のもと、『喫茶:無限想』への来訪許可を出してもらった。
休職中の身のさくらは、各家庭の保護者に対して自らのことを正直に話し、子どもたちと一緒に“リハビリ”を行うことと、学習支援も行うことを申し出たことも後押しとなった。
まあ、ペーパードライバーだったさくらが六人乗りの車を運転するのはかなりハラハラだったようだが。
「で? 受験勉強の進み具合はどうです? ここで藤橋先生に鍛えられたお陰で、だいぶ学習習慣が身についたんじゃないですか?」
そう言って、タカラは今も出された課題にうんうん唸っている隣の受験生に、運ばれてきた焼き立てのジンジャークッキーを手渡した。
その言葉にユタカはぐっと小さな唸り声を上げ、渡されたものをヤケクソ気味に口に運び入れる。
「もごっ……ちゃ、ちゃんとやってるっつーの! お前だって、あと二年後には同じ目にあってんだからな! 覚えてろよ!?」
「僕は、自分でコツコツ家庭学習をしているので、貴方みたいに無計画なことにはならないと思いますよ」
「んだとっ!? だいたい、アンタはスパルタ過ぎなんだよ! もう少し緩くしてくれても……」
「あら? 私は責任を持って指導にあたっているだけよ。それに、これでもだいぶ鷺巣くんのペースに合わせているわ。あっ、ほら。ここの計算はプラスじゃなくてマイナスよ」
ユタカの右側からケアレスミスの箇所にピンクのマーカーを引いて指導を続けるさくら。
その光景を見て、あさひはバターたっぷりのホットケーキをついばみながら、クスクスと柔らかい笑みを浮かべた。
「懐かしいなぁ。私も、こんな時があったわ。大丈夫よ、ユタカくん。藤橋先生は、貴方の頑張りを凄く褒めていたわよ」
「そうかぁ〜? の割には、全っ然、課題が減らねーんだけど」
「それとこれとは別よ。……まあ、でも、前に比べて見直し力も上がったし、だいぶミスも減っているわね。『高校へ行きたい』という具体的な目標ができたのも良いことだわ」
「正確には、『アルバイトができる高校に入ること』な。親には、義務教育が終わったらここでの飲み食い分は自分で払えって言われてるし。オレ、まだ将来何をしたいかなんて全然考えてないけど、少なくともここには通いたい……ってか、お前らに会いたいからさ。まあ、高校行かなくてもバイトすりゃいい話なんだけど、やっぱりさくら……先生がこんなに丁寧に教えてくれるから、やれるとこまで頑張んなきゃなって。それがオレの目標。って、恥ずっ! はい、オレの話し終わり! 次は、お前の番っ!」
真っ直ぐな目標に向かって自分なりの決意を語ったユタカは、急に照れくさくなってしまい、顔を机に伏せてしまう。
しかし、ユタカの言葉を聞いた五人は誰も揶揄することなく、心にジンっとくるものを感じながら、互いに大きく頷き合うのだった。
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