伍
鳥肌が止まらない。
ドラゴンの赤い瞳が、俺の赤い瞳を捉える。
その時、初めてだ。
前世でも感じたことがないほど圧倒的な恐怖が全身を襲う。
俺は死を悟った。
全身の細胞が死を予感する。
こいつには勝てないと、半ば敗北を認めている。
「ふざけるなよ」
勝手に負けを認めるな。
なんのために生まれ変わったか思い出せ。
こういう理不尽な相手にも、剣一本で勝てるくらい強くなれるように修行してきたんだ。
「やってやる!」
俺は刀を抜いて構える。
睨むは頭上。
俺の上にいる巨大なドラゴン。
果たしてどうやって刃を届かせればいいのか。
まずは近づく方法を考えよう。
「降りてきてくれたら楽なんだけどな」
とか、のんきなことを言っていた俺に、鮮烈な挨拶が繰り出される。
それは突風だった。
否、何が起こったのかわからない。
ただ激しく全身が揺さぶられ、気づけば地面に倒れていた。
「ぐっ……」
何が起こった?
何をされた?
ドラゴンは変わらず頭上で羽ばたいている。
よく見ると周囲の岩や地面がえぐれていた。
パラパラと瓦礫が、ドラゴンの尻尾から落ちる。
「……まさ……か……」
尻尾を振ったのか?
ただそれだけで、俺は吹き飛ばされた?
見ることすらできずに?
なんという速度、加えて破壊力。
兄さんの魔術がチンケに見えてしまうほど、圧倒的な強さ。
これが……生物界の頂点か。
「く……そ……」
身体が動かない。
手足はくっついているし、骨も逝っていない。
脳が揺れたせいだ。
激しすぎる衝撃に身体が対応できず、ふらついて力が入らなくなっている。
このままじゃまた……。
死ぬ。
何もできずに?
せっかく生まれ変わったのに、結局また死ぬのか?
ふざけるなよ。
こんなところで終わってたまるか。
俺を見下ろすあのドラゴンを、両断できるような強さがほしい。
特別じゃない。
剣士として圧倒的な――
「――ったく、うるせぇな! バサバサと」
「……っ」
なんだ?
誰かが立っている。
いつの間にか俺のすぐ横に。
二メートルくらいはある大男。
どこは人間離れした雰囲気、気配を漂わせる。
注目すべきは、腰に剣を携えていること。
「トカゲ野郎、ワシの眠りを妨げた罰をくれてやる」
男は剣を握る。
そして、美しい軌跡を描き、ドラゴンの首を切断した。
あまるに早く、そして綺麗だった。
俺は見惚れてしまった。
強大な敵を倒したことにではなく、その男の剣術に。
自分を凌駕する剣士の御業に。
「ふぅ、災難だったな坊主。生きてるか?」
「あ、あ……」
「お、頑丈だな? もうこんな危険な場所に来るんじゃねーぞ?」
「あ……」
男は立ち去ろうとする。
まだ頭がぐわんぐわんとしているし、ふらつく。
だけど関係ない。
俺は唇をかみしめて、無理矢理に頭を覚醒させる。
そのまま刀を握り、男の背後に斬りかかる。
「うおっと! 何だお前? 急に元気になりやがって!」
「っ……行かせない」
「は? 助けたやったのになんだこいつ! 命は大事にしやがれ」
「そんなこと……今はどうでもいい!」
俺はありったけの力で押し込む。
「くっ……」
(この小僧……魔力も使わないでなんつー力だ)
「だが青いな」
俺の力をうまくいなし、身体をくるりと翻して背を押される。
そのまま俺は地面に転がる。
しかしすぐ立ち上がり、平晴眼の構えをとる。
「お前……」
身体の覚醒は不完全。
こんな状態でまともに戦えない。
だからこそ、今出せるありったけを。
あの時よりも速く、鋭く、強く!
天然理心流奥義。
「無明剣」
元の世界では繰り出せなかった三段突き。
未完成だけど、この世界で鍛えた身体なら使える。
ほぼ同時、三回の突き。
兄さんはこれまで一度も反応できなかった。
でも、この人なら……。
「おいおい、驚いたな小僧。その年で、そこまで剣技を磨いたのか」
やっぱり躱された。
いともたやすく。
「見つけた」
「あん?」
俺は刀を下ろす。
「なんだよお前、斬りかかってきたと思ったらシュンとしやがって。というより何だ? 最初から敵意がまったく感じなかったぞ」
「……見たかったんだ。あんたの強さを」
確かめて、ハッキリした。
この男は強い。
理不尽なほどに、今の俺よりもずっと。
「あんたに……頼みがあるんだ」
「ん?」
「俺を……弟子にしてほしい!」
「――は?」
男は驚いて目を丸くする。
予想していなかったのだろう。
けれど俺は本気だ。
確信に近い予感がある。
この男の下で学べば、俺はもっと強くなれる。
本物の武士に、最強の剣士に近づけると。
「おいおい、急にどうした? 今あったばかりの怪しいおっさんに出し入り? 正気か?」
「俺は本気だ! あんたの剣技に見惚れたんだ。どこの流派でもない。きっとこの世界が育んだ戦い方をあんたは熟知している! 今の俺に足りないものを、あんたなら教えてくれると思ったんだ!」
「何を勝手にペラペラと……嫌だぞ。どこの誰とも知れないガキの面倒なんて見れるか。第一お前も、ワシみたいなよくわからん男に頼み事なんかしてるんじゃない。ワシと関わると後悔するぞ?」
「それは、あんたが人間じゃないからか?」
俺の質問に、男はびくりと反応して見せる。
「お前……なんでわかる? 見た目は普通だろ? 気配だって完璧に偽装してる」
「完璧じゃない。少なくとも俺には……あんたの気配は異質に見える。人間とは明らかに違う空気を感じた」
(こいつ……わかるのか? 魔術でもスキルでもなく、ただの経験から来る観察眼で、ワシが人間ではないことを見破る?)
「その若さで、その境地に至っているというのか?」
男は笑う。
無邪気に、新しいおもちゃでも見つけたように。
「小僧、名前は?」
「リイン・ウェルト」
「家名があるってことは人間の貴族か? つくづく面白い小僧だな。後悔するかもしれないぞ?」
「しない! 俺が後悔するとしたら、最高の剣士になれなかった時だ」
何のために世界を超えて剣術を磨いたのか。
その意味を改めて胸に呼び起こす。
「いいぞ小僧、気に入った! お前を弟子にしてやる」
「本当か?」
「おう、ただしワシは厳しいぞ。修行中に死んでも文句を言うなよ?」
「ああ、それでいい! 普通のやり方じゃ強くなれない」
「ふっ……」
男は大きな右手を差し出す。
「ワシはアガレスだ。よろしくな、リイン」
「よろしくお願いします! 先生」
こうして俺は、どこの誰ともわからない、人間ですらない男の弟子となった。
この選択が、俺の人生を大きく左右することを……この時の俺は気づきもしない。
頭にあるのは剣のことだけだった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
【あとがき】
第一章はこれにて完結となります!
次章をお楽しみに!
できれば評価も頂けると嬉しいです!!
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