第10話 ゆうしゃ対農民
――遂にジヒョが俺のものになった――
ジヒョと愛を確かめ合ったイノウエは鼻歌を歌いながら夕食の為に村の食堂を訪れた。
あれほど釣れなかったジヒョが変貌したのは、ようやく自分の魅力に気付いたからか。
異世界ものの小説やアニメではヒロインは一人とは限らないのだから、クーデレのセギョンにも魅力に気付いて欲しいものだ。
「店主、酒をくれ。めでたい日なんだ」
「あんたに出す酒は無いね」
店主がそっけなく言うと、示し合わせたかのように店内の村人たちが非友好的な視線を向けて来る。
何が起こったのか分からない。ダンジョンから戻れば毎日歓迎ムードだったではないか。
「みんなどうしたっていうんだ? 俺はジヒョと結婚する事になったんだ」
イノウエが言うと奥から村長が出て来る。
「勇者様、この村を出て行ってはくれんか」
村長の言葉にイノウエの背を氷塊が滑り落ちる。
自分は何か恨まれるような事をしただろうか。
「ダンジョンは俺たちで何とかするから勇者様にはもう村を出て行って欲しいんだ」
村人の一人が声を上げる。
「ちょっと待ってくれ。俺がこの村に何か悪い事をしたのか?」
イノウエは言う。感謝される事はあっても恨まれる事などない。
現にジヒョもイノウエを必要とするようになったではないか。
「お前さんにはどんな勝負事にも勝てる特殊な力があるんじゃろう?」
村長の言葉にイノウエは衝撃を感じる。確かに勇者のスキルは「ありとあらゆる戦いに勝利する」というものだ。
それで低レベルの魔物から狩り始めて、今ではカンストして魔王をも倒せるようになったのだ。
「昨日までジヒョはお前さんの事を鼻にも引っかけて無かった。それが領主様が婚姻の申し入れを行った途端この有様だ。人の心まで操るような化け物はこの村に必要ない」
イノウエは村長の言葉に驚きを感じる。ジヒョについてはスキルが発動すると考えていた訳ではない。
だが、言われてみれば領主が現れた事で能力発動条件が揃ったのは事実なのだ。
――じゃあジヒョは本当は……――
領主との戦いに勝つ条件としてジヒョがイノウエに惚れたなら、領主が退いたらどうなるのか?
そもそもジヒョは自分の事を何とも思っていなかったのだろうか?
――そんな……そんな事って……――
イノウエは傍らのジヒョに目を向ける。スキルのお陰で一時的にジヒョに好かれたのだとしたら元の木阿弥だ。
――それでも俺は村に必要な存在であるはずだ――
村人は農民ばかり、ダンジョンを攻略することなど到底できないし魔物の群れに襲われれば容易に全滅するだろう。
「でも俺がいないと困るだろう? 魔物が出てきたらどうするんだ?」
イノウエは訴える。自分は勇者なのだ。村人に迫害される事などあり得ない。
「善意も押し売りするなら悪意と変わらん。出て行けと言ったら出て行けと言うんだ!」
村長が交渉の余地もないと言った様子で言うと、食堂に集まっていた人々が次々に罵声を浴びせて来る。
――俺が一体何をしたってんだ――
自分はダンジョンが現れたというから魔王の討伐に来ただけだ。
ダンジョンが消えて喜ぶのは民衆であるはずで、自分は賞賛されてしかるべきではないか。
その過程でのロマンスはむしろお約束とでも言うべきものではないだろうか。
どうしてこうも忌み嫌われなければならないのか。
「出て行け!」
村人の一人がスープの入った椀を投げつけて来る。
イノウエは腸が煮えくり返るのを感じる。農民の分際で勇者にスープをかけるなど許されない事だ。
「よくもやったな!」
――村人は敵になった――
イノウエは勇者のスキルを発動しようとする。
戦いであればイノウエは決して負ける事が無い。
――勇者のスキルが無くても原始的な農民になんて負けるものか――
イノウエが剣を引き抜こうとすると、
「やれるものならやってみるがいい。この村の村人は子供の一人に至るまでお前に抵抗して戦うだろう」
村長が鋭い声で言う。
その声に冷や水を浴びせられたようになり、イノウエは激発するきっかけを失って手を止める。
――こんな農民どもなんか本気を出すまでもないけど――
こんな村は魔物に襲われて無くなってしまえばいいのだ。
「ジヒョ行こう。こんな奴ら相手するだけ無駄だ」
イノウエが手を引くと青白い顔をしたジヒョが身体を硬直させる。
「どうして私があなたと行かなくちゃいけないの? どうして私があなたと一緒にいるの?」
ジヒョの言葉にイノウエは舌打ちする。
ゆうしゃのスキルの影響が解けたのだ。そもそも領主が退いてしまったのだから勝利の条件は満たしてしまっている。
――勝利の後は力は継続しないのか――
それでも何一つ得られないままこの村を去るなど納得できない。
異世界転生してものの一か月程度でこの有様など受け入れられない。
――せめてジヒョだけでも――
「ジヒョ! お前は俺の妻になると言っただろう!」
イノウエはジヒョの手を引く。少なくとも一度は妻になる事を了承したのだ。
それを今更撤回されてたまるものか。
「私はあなたの妻になんてならない!」
叫ぶようにして言ったジヒョがイノウエの手をふりほどいて村人たちの輪の中に入っていく。
「クソおぉぉぉぉっ!」
イノウエは叫ぶ。
――何がどうなっているんだ!――
状況が分からないがこの村で毛虫のように嫌われるようになったのは事実らしい。
村人たちがジヒョを守るように輪になって敵意の視線を向けて来る。
――こんな村は魔物に滅ぼされてしまえばいい――
イノウエは視線を弾き返すように胸を反らして酒場を出る。
自分を受け入れない非友好的な村は滅びてしまえばいい。
イノウエが村道を歩く間にも、道行く人々が腫物でも見るような視線向けて子供を守ろうと身体の影に隠す。
――どうして俺がこんな目に遭わなきゃならないんだ――
自分は勇者であるはずだ。この世界で最も強く最も尊敬される存在であるはずだ。
――こんな異世界ものがあってたまるか――
と、目の前に堂々とした様子のセギョンが現れた。
「セギョン?」
「魔王イノウエ。私があなたの相手になります」
イノウエにはセギョンの言っている事が分からない。
「俺が魔王だと!? 寝言を言うな! 俺は勇者だ!」
イノウエは剣を抜いて叫ぶ。
この異世界に来るまで散々苦しんできたのだ。
この新天地でいい思いをして何が悪いというのか。
「魔王は元々村人全員から嫌われるような人間で、なおかつ人知を超えるほどの力を持つ人間がなるのだとあなたは言ったはずです。今のあなたはこの条件を全て満たしています」
冷然とした視線と淡々とした口調でセギョンが言う。
「そんな馬鹿な……俺が恨まれてる……俺が魔王?」
――冗談じゃない。俺は勇者だ――
イノウエは自分の両手に目を落とす。どこからどう見ても人間の手だ。
色もどす黒くないし爪も尖ってはいない。
「俺が魔王なものか! 究極魔法メテオを食らって蒸発しろ!」
イノウエは剣を掲げて力を溜めようとする。
が、力が溜まっていく様子は無い。むしろ持っている剣が重くて支えられないほどだ。
――何が起こった?――
イノウエは剣を握る手に力を込める。こんな事がある訳がない。
――俺は勇者イノウエ・サトシだぞ!――
「人間が魔王になった時はレベル1で農民よりも弱いのでしたね」
諭すような口調でセギョンが言う。
――レベル1の魔王は農民より弱い――
確かにそんな事を言った覚えはある。しかしそんな事が簡単に現実になるものだろうか?
重さに耐えかねたイノウエの手から両手剣が落ちて地面に転がる。
本当にレベル1の魔王になってしまったのだろうか?
レベル1の魔王だなんて……
――嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ――
異世界に来てまだ一か月。大して美味しい思いもしていない。
国家を揺るがすような壮大な冒険もしていなければハーレムも作っていない。
異世界ものの王道的なイベントはまだ起きていない。
ただ少しばかり……
――ダンジョンを攻略して少しは感謝されて……――
それで満足していれば良かったと言うのだろうか?
それでは勇者になっても得な事など無いではないか?
――アニメや小説で見た異世界の勇者はもっと……――
多くの人に愛されて幸福になっているではないか。
自分と異世界ものの主人公と一体どこが違うと言うのだろうか。
「おしゃべりはこのくらいにしておきましょうか」
セギョンがナイフを手に取る。
イノウエの両足が恐怖で竦む。生まれてこのかた人に刃物を向けられた事など無い。
イノウエは動悸と呼吸が浅くなるのを感じる。
――それでも相手は女だ! 腕力ではまだ負けていないはずだ……ナイフを奪って逆に……――
だが腕が言う事をきかない。身体の芯が竦んで足が震える。
何がそんなに恐ろしいのか? どんなに自分を叱咤しても両足が地面に縫いつけられたように動かない。
「レベル1の魔王はレベル5の農民に決して勝てないのです。勇者がどんな戦いにも負けないという力を持っていたように」
セギョンが無感動な口調で言ってナイフを突き出して来る。
自分の言った事が全て現実に……
――そんな馬鹿な……――
全てがスローモーションのようにゆっくりと動く中、避ける事もできないままナイフが首に突き刺さる。
「かっ、くはっ」
イノウエは血を吐きながら首の傷を押さえる。
元の世界で死んでこちらに勇者としてやって来たが、異世界で死んだら自分はどうなるのだろうか?
――元の世界だけは嫌だ!――
揺らぐ景色の中でイノウエは声にならない悲鳴を発し、そのまま命を失った。
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