第6話 ゆうしゃを考察する
セギョンは領主の畑の麦の刈り入れ作業に駆り出されている。
セギョンの茶畑は無事なのだが、ジヒョが両親と一緒が良いというので帰る訳にも行かない。
「ダンジョンの七層目まで攻略したぞ。あと三日もあればダンジョンは消滅する」
村人に囲まれたイノウエが得意な様子で言う。
ここのだんじょんが消えた所で元の村のだんじょんはまだあるのだろうし、そうである以上ジヒョが領主の直轄領を離れる事はなく、セギョンもこの土地を離れる事ができない。
――余裕があるなら一気にだんじょんを消滅させればいいのに――
セギョンは遠目にイノウエを見て内心で呟く。
セギョンの視線に気付いたイノウエが手を振って来る。
セギョンは小さく手を振る。手を振り返したくなどないが、万が一のためにイノウエを敵に回す事は避けておきたい。
いずれにせよだんじょんが消滅すればイノウエはこの土地でやる事も無くなるのだし、新しいだんじょんを探して旅にでも出てくれるだろう。
夕暮れまで働いたセギョンは他の農夫たちと一緒に食卓を囲む。
本来であれば家に帰りたい所だが、集団で領主の居候になっているようなものなのだから仕方ない。
「セギョン、毎日良く働くね」
調理の手伝いをしていたジヒョが言う。
「私は独り者だから」
セギョンには両親がいない。16才の頃に結婚しろと口うるさく言っていた両親は茶葉を卸しに行く途中で崖から落ちて死んでしまった。
それからセギョンやセギョンの茶畑を狙う者は多かったが尽く撃退してきた。
セギョンはやや大人びた所があるが、それにはそういった事情も関係しているのかもしれない。
「うちの両親が私の結婚を諦めてくれればいいんだけど」
ジヒョが苦笑を浮かべて言うが、何か致命的な理由でもできない限りジヒョの親は諦めはしないだろう。
「ねぇ、二人は結婚しないの?」
突然イノウエが話しかけて来る。
「その必要を認めないとだけ答えておきます」
セギョンは答える。心ではジヒョととっくの昔に結婚しているのだ。
「もったいないなぁ。俺だったら放っておかないんだけど」
「結婚などしたら茶畑の経営が傾きますから」
セギョンはイノウエの追及を躱して言う。
「そっかぁ。まぁセギョンやジヒョと結婚したら村の男たちから恨まれるか」
笑いながらイノウエが言うが全く面白くない。
「勇者様、そいつらは昔っから男っけが無いんで有名なんですよ」
村人が酒の入ったカップを掲げて笑って言う。
「そうだ。勇者様、腕相撲大会をしましょう。俺たち農家も力じゃ負けませんぜ」
「ふぅん。ま、いっけど」
イノウエが腕まくりをして男たちの方に向かって行く。
一見すると腕は細く色白で、宮廷の宦官のようだと言っても過言ではないだろう。
イノウエが倍以上腕周りのある男と手を握り合わせる。
「よーいどん!」
誰もが農夫の勝利を疑わなかっただろう。
しかし、一瞬の後にイノウエは腕相撲に勝利していた。
「イノウエさんあんなに腕が細いのに力持ちなのね」
ジヒョが言うがセギョンはそうは思わない。
腕まくりしたイノウエの腕は見直しても貧相だし、腕相撲で勝った時にも筋張ったように見えなかった。
つまりはあの細腕で全く力を使わなかったという事だ。
――そう言えばあの腕で両手剣をふりまわしているのよね――
それも際限なく湧いてくるまものを片っ端から斬っているのだから尋常なスタミナではない。
別の男がイノウエに挑んで赤子の手をひねるように敗北させられる。
男たちは熱狂しているが、セギョンは頭が冷えていくのを感じる。
――何かがおかしい――
何かがおかしいのだが、その何かをはっきりと思考として浮かび上がらせる事ができない。
――ゆうしゃというのが職業ではなく何か特殊な能力なのだとしたら?――
セギョン自身妄言のようだとしか思えないが、イノウエという人物の輪郭を定義する時、それは一つの可能性として否定されるものではないように思われる。
現に毎日まものが溢れるだんじょんに入っていき、近々制圧するのだという。
――イノウエは万に一つも自分が敗北し、死ぬという事を考えてもいない――
彼の気楽な様子を見る限り死を身近に感じる切羽詰まったものは感じない。
まおうはゆうしゃだけが倒す事ができる。
その逆でまものやまおうはゆうしゃを傷つけられないのだとしたら?
しかしそれでは農夫を相手に腕相撲で勝利している剛腕の理由には結びつかない。
セギョンは一人の老人に近づく。
村一番の碁の指し手だ。
「セギョン、何か用か?」
「あなたは囲碁の腕では村一番ですよね」
「わしゃあ戦略家じゃからの」
カツカツと老人が笑う。
「それではゆうしゃに囲碁で勝てますか?」
「あんな若造一ひねりじゃわい」
その気になったらしい老人がイノウエに向かって行く。
セギョンは老人の荷物から囲碁の道具一式を出してついていく。
「勇者様、力が強いのは分かりました。ここは一つ知恵比べと行きませんかな」
老人が下手に出て言う。
「俺は勇者ですよ。誰も俺に勝利する事はできないですよ」
イノウエの言葉に触発されたのか老人が気合を入れて盤面に音高く碁石を打つ。
「俺にはグーグル検索があるんだ」
イノウエが言って碁石を置く。
セギョンは碁の戦いを注視する。が、幾らも差さないうちに老人は敗北した。
――イノウエの碁の筋を掴めるほど見る事はできていない――
セギョンは敗北して打ちのめされた様子の老人を眺める。
――イノウエは本当に囲碁の力で、己の知恵で老人を破ったのだろうか?――
セギョンは既に赤ら顔になっている酒豪の男性の元に向かう。
「ごきげんよう」
「これはこれはご機嫌うるわしゅう」
芝居がかった口調で言った男が笑い声を上げる。
「あなたは腕相撲大会には出なかったんですね」
「俺は自慢するほど腕力がないからな」
言ってカップの酒を水のように飲み干す。
「なるほど。でも酒の強さならゆうしゃに勝てるのではないですか?」
セギョンが言うと男が笑う。
「俺があんな青白いのに負ける訳が無いだろう」
セギョンは小さく頷き、
「それでは本当に勝利する所を見せてもらえますか?」
「あたぼうよ。勇者様ぁ、俺と飲み比べをしちゃあもらえませんかね?」
男が言うとイノウエが自信に満ちた顔でやって来る。
「日本のリーマンをナメてもらっちゃ困るなぁ」
イノウエがなみなみと焼酎の注がれたカップを手にする。
「乾杯!」
次々に杯が空けられ、男たちが驚嘆の声を漏らす。
セギョンは二人の様子を観察する。
恐るべき事に二人にとって酒は水と同じであるらしい。
――この勝負はやるだけ無駄だったか――
セギョンが思った時、酒に強い男の上体が揺らいだ。
椅子から転げ落ちてそのままいびきをかいて眠り始めてしまう。
「これは俺の勝ちだな」
勝利の祝杯とばかりにイノウエが酒を呷る。
――酒の強さと体格がイコールという事もないんだろうけど――
イノウエは一見してそこまで酒が強そうではないし体格も大きい訳ではない。
酒を水と考えてもキャパシティをオーバーしているはずだ。
――イノウエは一体どうなっているんだろう?――
イノウエに問いただした所でゆうしゃだからというような漠然とした返答しか返って来ないだろう。
腕力、囲碁、酒の強さでこの村一番の人間を立て続けに破った。
どんな高名な将軍でもこの三つを同時に満たすのは難しいだろう。
――それがゆうしゃ?――
納得しかけてセギョンは頭を振る。
それは思考停止というものだ。ゆうしゃとイノウエを切り分けて考えるとどうだろう。
イノウエは一応毎日だんじょんに行ってまものを狩っているらしく、ここ数日はまものはだんじょんから出ていない。
これは評価しても良いだろう。
だが、それはまものないしまおうに殺されたり傷つけられたりする事が無いという確信に裏付けられたものであるかもしれない。
この無敵性はゆうしゃという能力なのかもしれない。
毎日の酒宴を楽しんでいるのは、仕事上がりの晩酌のスケールがやや大きいという事になるだろう。
同時に何のかんのとセギョンとジヒョを口説こうとするのもイノウエの性分という事になるだろう。
――女を口説く時には無敵性は発揮されない?――
そう考えないと辻褄が合わない。
つまりゆうしゃという能力は恋愛に関しては力を発揮する事がないのだ。
――ゆうしゃという能力は意外に限定的なものなのかもしれない――
まものと戦う時、腕相撲で競う時、囲碁で競う時、酒で競う時……。
――違う――
これを理解する時、競うを戦うと置き換えて考えるとどうだろう。
イノウエが「これは戦いだ」と、認識すればゆうしゃの能力が確実に「勝利」させる。
つまりゆうしゃとは「戦いに勝利する」という「結果」に作用する能力なのだ。
そう考えれば全てに辻褄が合う。
荒唐無稽な話ではあるが、だんじょんやらまものやらといった存在が荒唐無稽なのだからあながち不自然ではないだろう。
――どの道何日かすれば出ていくんだろうし――
あらゆる戦いに勝利すると考えられるイノウエと事を構えても仕方ないし、その必要もない。
セギョンは席を立つとジヒョを誘って寝所に向かった。
早く自宅のある茶畑に帰りたいものだった。
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