第4話 ダンジョン再び

「やれやれ、兵士になるような男は三十人にもならないではないか」

 領主の館にやって来てから三日後、セギョンは領主の昼食に付き合わされていた。

「私は兵とは言いましたが男だとも屈強だとも言った覚えはありません」

 セギョンは発酵茶を口にして言う。何だかんだと言っても自分の作る茶の方が美味しいと感じる。

「村人どもが転がり込んできた夜、私ははらわたが煮えくり返って眠る事もできなかった」

「私は領主様の温情のお陰で良く眠れました」

 セギョンは言うが半分以上リップサービスだ。農民たちが飲み食いして眠った後で領主が掌を返す可能性も考えて夜の間は一睡もしなかったのだ。

「だがこうも考えた。お前の知恵は千の兵士に勝るのではないかとな」

「買いかぶりです。私はただの農民です」

 言ってセギョンはジヒョのカップに発酵茶を注ぐ。

「セギョンは茶農家です」

 ジヒョが補足して言う。そこはさほど重要ではないように思われるが事実を否定する理由もない。

「で、だ。お前、私に仕える気はないか? 何なら息子の花嫁でも構わん」

「嫌です。私にはジヒョという恋人がいますから」

 セギョンは言う。その一点だけは誰が何と言おうと譲れない。

「領主の嫁より農家の方がいいと言うのか?」

「私は茶農家という仕事が好きですし、帰れるものなら今日にでも家に帰りたいくらいですから」

「欲深いのか無欲なのかさっぱり分からんヤツだな。お前は」

「ジヒョを独り占めしたいと思っているので欲深いと思って頂いて構いません」

 セギョンは答えて言う。

「それを人は愛と呼ぶのだ。お前が愛に生きているうちは私の領土は安泰だろう」

 領主が茶を傾けながら言う。

「それはどういう意味ですか?」

「そのジヒョが領地の発展を望めばお前は否応なしに働くという事だろう?」

 領主の言葉にセギョンは渋面を作って抗議する。

 しかしそれ以上の抵抗ができるものでもない。

「領主様がジヒョを大切に扱ってくれる限りはお力になりますよ」

 セギョンが精一杯の嫌味で言うと領主が笑い声を上げる。

 と、その時地面が揺れた。

 テーブルの上から落ちた茶器が音を立てて割れる。

 領主がセギョンとジヒョを抱えてテーブルの下へと入る。

「この地震……まさか……」

 領主が眉間に皺を寄せて言う。

「こんな短期間で、しかもこれほどの揺れで起きるとは他に理由も無いでしょう」

 セギョンは領主に向かって言う。

 領主の館にやって来て三日しか経っていないのにまただんじょんが現れるとは不幸以外のなにものでもない。

 だんじょんの数には上限が無いのかまものに確認したいくらいだ。

 やがて揺れが収まるとセギョンはジヒョの手を引いてテーブルの下から這い出した。

 外には巨大な塔が出現している。

「あれがだんじょんか!」

 領主が声を上げる。

「思ったより近いですね。これだと館がまものの攻撃半径に入ってしまいます」

 セギョンはだんじょんを見上げながら言う。

 だんじょんを逃れてここまで来たのに、まただんじょんが現れたのでは振り出しに逆戻りだ。

「おい、お前、まさか我々を見捨てて逃げるなどと言い出さないだろうな」

 領主がセギョンに向かって言う。

「領主様には助けてもらったんだし恩返ししないと」

 ジヒョに言われたセギョンは舌打ちする。逃げる気まんまんだったのに余計な水を差されたものだ。

「何か策はないのか?」

 領主が無責任にもセギョンに訊ねる。まものに対抗する策があるようならこんな所まで逃げてきてはいないという事が分からないのだろうか。

「堀の橋を落としてまだ青い干し草に火をつけて下さい。とりあえず地上からのまものと空からのまものの足止めにはなるでしょう」

 セギョンは言う。

「足止めをしてその後はどうするのだ」

 自分では考える気の無いらしい領主が訊ねる。

「私が見た事があるのは空を飛ぶまものだけです。牡牛を運び去るほどの力がありますがそれ以上の力は無いようです。地上からのまものを防げるのであれば、煙を焚いて家の中にいれば問題ないでしょう」    

 セギョンは形の良い顎をつまんで言う。

 地上から来るまものは姿を見た事も無いために対抗策の考えようもない。

 ひとまず橋を落としておけば泳げないまものは来ないのだし、泳げるまものも泳いで疲弊した所を攻撃できるのだから有利には戦いを進められるはずだ。

「泳いできたまものを撃退する為に矢の使える兵と槍の使える兵を貸して下さい」

「戦ってくれるのか!?」

「一応討伐軍という建前ですから」

 セギョンは言ってジヒョの顔を見つめる。

「そういう訳だから少しの間留守にします」

「ちゃんと戻って来てよね」

「何人犠牲にしようと必ず戻ってきますよ」

 セギョンは言って領主と共に館を出る。

 領主が兵士に声をかけてほとんどが農民ではあるが弓兵と槍兵を集める。

 セギョンは愛馬に跨ると領主と並んで川へと向かう。

「橋を落とせ! 敵を一歩も入れるな!」

 領主が自分で考えた作戦でもないのに大声で言う。

 兵士たちが橋を落とすと後ろ脚で立ち上がった豚のようなまものが川の向こうに集まって来る。

「化け物だ!」

 兵士の一人が悲鳴にも似た声を上げる。

「いいえ。あれはまものというものなのです」

 セギョンは訂正して言う。言葉は正しく使わなくてはいけないと思う。

 見れば後ろ脚の先が蹄になっている。あれでは水をかいて進む事などできないだろう。

「弓兵に矢を射らせて下さい。ただし矢がもったいないですから水に入って動きの鈍った所を狙わせて下さい」

 セギョンは領主に向かって言う。

「弓兵前へ! 敵が入水して鈍った所を狙え!」

 領主が声を上げる。

 まものが水に入って四苦八苦している所に矢が降り注ぎ、面白いようにまものが屍に変わっていく。

「空から化け物がぁ!」

 兵士が悲鳴を上げる。

「あれはまものなのだと何度言えば分かるのですか? 弓兵は引き続き陸のまものを、槍兵は穂先を上に向けて弓兵を守って下さい。皆頭を下げてくれぐれもまものに掴まれる事のないように」

「との事だ! 者どもまものを撃退しろ!」

 領主は遂に作戦説明という責任すら放棄したらしい。

 セギョンは前方を弓に、頭上を槍に守られながらまものの様子を観察する。

 ジヒョの父親と同程度の知性しか感じられないが、糞尿に塗れている様子はない。

 かといって入浴を欠かさないほど衛生に気を使っているようにも見えない。

 ――まものとは一体どういった生き物なのだろう――

 セギョンが考えていると鋼の胸当てを装備し、鋼の両手剣を持った男がまものたちの背後に出現した。

 両手剣を風車のように振り回し、当たるを幸い次々にまものを斬り伏せていく。

「何という戦士だ……」

 領主が惚れ惚れした様子で男を眺めながら言う。

 短時間ではあるが、今までまものから領民を守れたのが誰のお陰か確認しておく必要がありそうだ。

 男がまものを全て斬り伏せ、剣を頭上に掲げる。

「もう大丈夫だ! 橋を渡してくれ!」

 まものの群れを一人で滅ぼしてしまう戦士が敵に回ったらさぞかし恐ろしい事だろう。

「者ども橋を渡せ!」

 セギョンが忠告するより早く領主が命令を下してしまう。

 兵士たちの目にも戦士に対する憧憬にも似た眼差しがあるようだ。

「危ない所を助けていただき感謝する。私は領主のスヒョク。貴殿の名は?」

「勇者イノウエ・サトシです」

 剣を背中の鞘に収め、右手を差し出してイノウエが言う。

「ゆうしゃ?」

 イノウエの手を握りながら領主が訊ねる。

「勇者だけがダンジョンの主を倒す事ができるんです」

 それが事実ならとっととだんじょんを片付けて欲しいものだ。

「ダンジョンの主?」

 領主がイノウエに聞き返す。

「ダンジョンは魔王が治めているんです。その魔王を倒す力を持っているのが勇者なんです」

 だんじょんにはまものだけでなくまおうというものもいるらしい。

「まおうを倒すとどうなるんだ?」

 領主が訊ねる。統制を失ったまものが際限なく溢れ出したのではたまらない。

「魔王を倒せばダンジョンは消えるんです」

 どうだとばかりにイノウエが言う。

「そういうものかね」

 領主は不審な表情だしセギョンもこの山師をどう考えていいのかすら分からない。

「そういうものです」

「とりあえずまものとやらを片付けてくれた事には礼を言おう」

 領主はイノウエを酒宴に招くつもりらしい。

 セギョンはイノウエよりまものに興味がある。

 イノウエが領主や兵士に囲まれて去っていった後、セギョンはまものの死体に近づいた。

 血と内臓がぶちまけられ、早くも虫がたかり始めている。

 早急に処理をしないと非衛生的な事この上ない事になるだろう。

 セギョンは木の枝を拾うと、まものの内臓を検分してみる。

 豚や鶏を屠る事はあるのだし、まものも血を流す生き物である以上身体の仕組みが大きく違うという事もないだろう。

 特に脳みそや心臓といった重要なものは昆虫にだって備わっているものだ。

 木の枝で一番多く散らばっている腸と思われるものをより分ける。

 ――はて?――

 腸があるにはあるがその中身は空っぽ、数日絶食している腸であるかのようだ。

 他にも臓器らしいものはあるが、機能は定かではないし、そもそも同じ型のまもの同士で同じ臓器が備わっている訳ではない。

 ――どういう事だろうか?―― 

 何匹かで一匹の機能を持っているという事だろうか?

 それであれば一匹を倒せばまとめて数匹のまものを一気に葬る事ができるはずだ。

 しかし、まものは一匹一匹別々の意志を持って動いているかのように見えた。

 ――そもそも便宜上あれをまものと呼んでいるものの……――

 あれらをまものと名づけたのはどこの誰だろうか?

 イノウエはだんじょんはまおうによって統治されていると言っていた。

 何故そんな事を知っているのかと訊ねれば、恐らくはまおうを倒した事があるからだと答えるだろう。

 イノウエが自信を持ってそう言い切るのはだんじょんの主であるまおうを倒し、だんじょんを消した事があるからだろう。

 ――それが可能なのはゆうしゃだけ―― 

 本当にそうだろうか?

 少なくともまものは槍兵と弓兵でどうにかなりそうではあった。

 まおうというものがまものを支配しているのだとすれば相応の力があるという事になるが、実際の所あれほど知性の低そうなまものを調教するには相当の忍耐力が必要であるはずだ。

 ――そもそも人間を襲うというのはまおうの都合によるものかまものの都合によるものか?―― 

 まものの腸が空であった事からも明らかなようにまものは人間を餌にしようと考えて攻撃している訳ではない。

 人間も抵抗するのだからまものにとっては人間を攻撃する事はリスクでしかない。

 で、あるなら動機は支配者側であるとされるまおうにあるという事になる。

 しかし、まおうに何らかの動機があるとして、まもののように知力の低い生き物を指揮するのは困難だし、そもそも難しい命令を与える事さえできないだろう。

 ――まおうは何の為にだんじょんからまものを出しているのだろう?―― 

 目的の不明瞭なまおうと、生き物と定義できるかどうか怪しいまもの。

 ――仮にイノウエの話が事実だとして――

 だんじょんが存在するからまおうが存在するのだろうか? 

 それともまおうが存在するからだんじょんが存在するのだろうか?

 まおうはゆうしゃにはどうやっても勝てないらしいが、見る限り人間に過ぎないイノウエに勝てないようではまおうというのはたかが知れているのではないだろうか?

 セギョンはそこまで考えて頭を振る。

 得られた知識が大してないというのに、考えばかり先走らせた所で意味がないというものだった。

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