第3話 領主の館へ向かえ
「領主の館に兵士が集められているそうだぞ」
様子を見てきた村人が言う。
「領主が農民を助ける事なんてないんじゃないか?」
別の農民がもうだめだとばかりに言う。
「見なさいジヒョ。これが愚かな人間の見本です」
セギョンは後ろに座っているジヒョに向かって言う。
「セギョン、そんな聞こえるような声で言わなくても……」
ジヒョは過度に周囲の人間に気を使っているようだ。
「領主が兵を集めたとしても三十人が限界。そのうち二十人は私たちと同じ農民です。対する私たちは若い男だけで百人はいます。実質百人の人員で十人を縛り上げればいいだけなのに、助けを乞うという考えが理解できません。私たちは助けを求めに行くのではなく、風雨から身を守り当面の食料を手に入れる為に領主の館に行くのです」
セギョンが言うと村人たちが困惑した表情を浮かべる。
「どうしてこうも愚鈍なのでしょうか。余裕があれば哀れみも感じますが非常時では腹立たしいだけです」
セギョンは優柔不断な農民たちに向かって言う。
「そこまで言うならお前が何とかして見せろ!」
ジヒョの父親が怒鳴り声を上げる。
セギョンは大げさに溜息をつく。大声を出せば他人が恐れ入ると思っている人間の何と愚かな事だろう。
「分かりました。私が領主に話をつけます。ただし条件があります」
セギョンは周囲の村人を見回す。
「男も女も松明を持つ力がある者は全員松明を手にして下さい。さしあたりそれだけで充分です。この要求が受け入れられない場合、私が交渉に失敗するだけでなくあなた方は謀反人として処刑される事になるでしょう」
セギョンが言うと村人たちが囁き声を交す。
「無駄な議論は望みません。三つ数えるうちに決断して下さい」
言ってセギョンは大きく息を吸い込む。
「さん」
村人たちが困惑した視線を交しあう。
「に」
村人たちの視線が村長に集中する。
「いち」
セギョンが言うと村長が歩み寄って来る。
「確認させてもらうがただ松明を持っていればいいんだな?」
「何を指示した所で実行できるとも思っていないので最低限の事だけ守って下さい。ではごきげんよう」
セギョンはジヒョを後ろに乗せたまま馬の腹を蹴って走り出す。
「セギョン、返事を聞いていないけど大丈夫?」
ジヒョが不安そうな声で言う。
「彼らには他に選択肢がありませんし、実行しなかった場合は私が言った通り謀反人になるので相応の報いをくれてやる事もできます」
セギョンは馬を走らせながら言う。
「みんなが松明を持たなかった場合私たちはどうなるの?」
「さあ?」
セギョンはとぼけて言う。プランは幾つも考えてあるが今より状況が悪くなる選択肢は無い。
少し馬を走らせて小高い丘に上った所で村人たちが松明を灯すのが見えた。
老人や子供も含めてその数四百。
村人の寄せ集めだと思って見ると中々に壮観な景色ではある。
「みんな松明を持って行く事にしたみたいだね」
ジヒョの言葉にセギョンは小さく舌打ちする。
これでまた当面ジヒョの家族と行動を共にしなくてはならない事になる。
「とりあえずは何とかなりそうです」
セギョンは馬を領主の館に向けて走らせる。
「所でジヒョ、村から逃げて来る時に奇妙な事に気付きませんでしたか?」
「奇妙な事?」
ジヒョの言葉にセギョンは頷く。
「だんじょんというあの塔からは生活臭がしませんでしたし、まものと呼ばれるあれらも特に糞便の臭いがする訳でもありませんでした」
「それが妙な事なの?」
ジヒョが質問してくる。
「私たちだって用を足すのに川に行くでしょう? しかしあのだんじょんが地面の下にあったならまものたちの糞便はどうなるんです? あの塔の半分以上が汚物で埋まっているのだとしても、臭いに蓋はできないはずです」
「セギョンは変な事に気が付くのね」
ジヒョが特に関心したという風も無く言う。
が、これはセギョンにとっては見逃せない点だ。まものから糞便の臭いがしなかったという事は、だんじょんの中でまものは生活していなかった事になる。
しかしだんじょんが現れるまでこの世にまものなどいなかったのだ。
――だんじょんとまものは同時に生まれた――
だとすればまものは一瞬で生まれ、成長した事になる。
そして餌にするわけでもないのに人を襲う。
――まものとは一体何なのだろう?――
セギョンが考える間に道の先に槍を手にした男たちの姿が現れる。
「村の使いだ! 領主に話がある!」
セギョンは声を張り上げる。
「ここを通すなとの領主様のご命令だ!」
「私たちがここを通れないのは構わないが、国境を超えて来た蛮族の群れは造作もなくお前らの生皮を剥いで通り過ぎるだろう」
セギョンは制止の声を上げた農民らしい槍を持った男に向かって言う。
「嘘だと思うなら丘を上って見下ろしてみればいい。奴らは手にした松明でお前らの村を焼き尽くし、全てを奪い去るだろう」
セギョンが言うと槍を持った男たちが不安そうに顔を見合わせる。
「私の話を信じない。ここを通さないと言うなら構わない。私はお前らをここに残して安全な地まで逃げるだけだ」
セギョンが馬の腹を蹴ると馬が嘶く。
「待て待て! お前の話は本当なのか!」
「信じないなら信じないで別に構わないと言ったはずです」
セギョンが言うと男たちが不安そうに顔を見合わせて囁き合う。
小声で何やら囁き合った所で状況は変わらないのだから無駄な事をするものだ。
「もういい、私は領主に会いに行く。お前らは蛮族に守りを破られたとでも言い訳すればそれでいい」
セギョンが馬を駆けさせると男たちは制止する事もなく呆然とした様子でその姿を見守る。
「セギョン~また敵を増やすような事ばっかり言う」
ジヒョが呆れてものも言えないといった様子で言う。
「私たちが平和に生きて行けるなら敵が増える事に問題はありません」
「私は嫌われ者にはなりたくないなぁ」
「大丈夫です。嫌われ者になるのは私だけですから」
「そういう問題じゃなくてさぁ……もう少し人に好かれる努力をしてたらお父さんたちも私たちの事をここまで反対しないと思わない?」
「思いません」
セギョンが言うとジヒョが背中をつねる。
「痛い痛い痛い! ジヒョ! 何をするんですか」
「本当はこんなもんじゃ足りないんだから」
ジヒョが拗ねた様子で言う。
ジヒョだけでなく村人も助けてやるのだから少しは感謝して欲しいものだ。
ややあってセギョンの目の前に兵士に守られた領主の館の門が現れる。
「止まれ! こんな時間に領主様に何の用だ」
「こんな時間と言うならどんな時間なら良いのですか?」
セギョンは兵士に向かって言う。
「農民が領主様に何の用だ」
「その農民が一揆を起こしたのでお伝えに来たのです」
セギョンが言うと兵士たちが顔を見合わせる。
「先ほど会った辻を守っていた兵隊も同じ顔をなさいましたよ。ご自身の村の村人も一揆に加わっていると言った所、意気揚々と守りを放り出して一揆に加わりました」
セギョンが言うと兵士たちが動揺した様子で囁き合う。
無能な人間とはどうしてこのようなテンプレ的行動を取るのだろうか。
「領主に会わせて下さい。一刻の猶予も無いはずです」
兵士たちが困った様子で右往左往していると門が開いて領主が姿を現わした。
「農民たちが一揆を起こしているとはまことか?」
「私ならそれを未遂に終わらせる事ができますが、お時間を頂く事はできませんか?」
セギョンが言うと領主は館に入れとでも言うかのように顎をしゃくった。
セギョンは馬から飛び降りるとジヒョの手を取って地面に立たせる。
領主に続いて館の中を歩く。
「一揆を止められるというのは本当なのか?」
「本当です」
セギョンは領主に向かって言う。
「どのようにして止めるのだ」
「私とこの子が無事に戻らなければ開戦だと伝えて出てきましたから」
セギョンが言うと領主が目を見開いて口を開閉させる。
「私を脅す気か!」
「まさか。事実を申し上げているだけです。既に決起した四百の兵が館に向かっています。周囲の村々が館が焼かれるのを見たらどちらに味方すると思いますか? 四百の兵は明日には千に、明後日には二千にも増える事でしょう。領主様の手勢は三十ほどと見受けますがどのように鎮圧されるおつもりで?」
セギョンが言うと領主の顔が蝋人形のように蒼白に変わる。
「お前を帰らせれば反乱は収まるのか?」
「まさか。手土産もなく帰れば私も領主様共々焼かれる事になるでしょう」
セギョンが言うと領主が眉間に皺を寄せる。
「条件があるという事か」
「そもそもこの度農民たちが一揆を起こしたのはだんじょんが現れ、まものが村を襲うのに領主様が救援を寄越さなかった事が原因です。村を焼かれた農民たちの為に蔵を開き、雨風を防げる屋根と壁とを与えたなら農民たちは領主様の館を焼くどころか、その深い温情に感謝する事になるでしょう」
セギョンが言うと領主が思案気な表情を浮かべる。
「しかし、一つの村を救えば他の村もそれに習うだろう。際限なく農民を助けるなど……」
「もちろんそれも一つの考え方です。しかしまものに襲われた村の村人にはもう失うものもなく死を覚悟で領主様に立ち向かうでしょう。それを見た他の村の住人はまものに襲われても助けてくれない頼りない領主を見限って一揆に加わるでしょう」
「悪いのはまものとやらなのに、どうして私を攻撃するんだ!」
納得できない様子で領主が声を上げる。
「日頃年貢を収めているからです。年貢で贅沢な暮らしをしていながらいざとなれば我が身可愛さで領民を助けないとなれば、領民の取る道は一つしかありません」
セギョンが言うと領主がぐうの音も出ないといった様子で項垂れる。
「どうします? 私を無礼打ちにしますか? 私はそれでも構いませんが、この首は領主様の館の門の上にかけておいて下さい。例え死んだとしても一千を超える大軍が押し寄せ領主様を火あぶりにする姿を見て見たいですから」
崩れ落ちた領主が大きく息を吐く。
「……蔵は開こう。必要なものがあるなら言うがいい。ただし、他の村の連中がまものに襲われた時にはお前たちが私の兵になるのだ」
領主の言葉にセギョンはそう来たかと考える。
だんじょんのように大きなものが都市の露店のように次々と現れるとは考えにくい。
しかし次のだんじょんが近くに出現し、その近隣の村人が逃げてきたらどうなるか。
「私たちが領主様の兵になる事は構いませんが、それならば条件があります」
「蔵を開かせておいて条件をつけるのか!」
領主が顔を赤くして言う。この短い時間でよくも顔色をここまで変化させられるものだ。
「私たちにまものを倒すための討伐軍という名目を頂きたいのです」
「どういう事だ?」
領主が理解が追いつかないといった様子で言う。
「私たちは領主様の兵という事で問題ありません。しかし、領主様の兵と村人が戦ったのでは領主様の寛容さが疑われる結果を招きかねません。ですが私たちが討伐軍という事であれば、敵となるものが仮に村人であってもそれはまものの手先になったと見なす事ができます。村人を虐待するのか、領主様を裏切り、まものの手先になった者どもと戦うのかでは領主様の大義名分も大きく変わって来るでしょう」
セギョンが言うと領主が低い唸り声を上げる。
「なるほどな……私がまものとやらと戦う討伐軍を指揮する……悪い話ではない」
「私はこれでも良い知らせを持ってきたつもりなのですよ」
セギョンが言うと領主がフンと鼻を鳴らす。
「小娘が欲をかきすぎるな。だがだんじょんとやらが今後も出て来るならお前の話は悪い話ではない。そこでだ」
領主が一旦言葉を切る。
「小娘、まずは村人の武装を解除させろ。このままではおちおち眠る事もできん」
「領主様の民を思う懐の深さに感謝致します」
セギョンは領主に頭を下げる。
兎にも角にもこれで村人との約束も守れるし、当面の安全は確保できる。
――村人が無事だという事はジヒョの親も無事という事なんだよな――
セギョンは誰にも見えないように小さくため息をついた。
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