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「すいませぇん」


 小菅生花店の前に一台のタクシーが停まった。タクシー運転手が店の入り口から声をかける。レジから出てきた店主の小菅哲郎こすげてつろうははいはぁいと甲高いハスキーな声で返事をした。


「あ、相川さんじゃないですか」

「どうもどうも、どうです?商売のほうは」


 タクシー運転手の相川は四十代後半あたりの痩せた男。やや白髪混じりの短髪。彫りが深い鷲鼻。小菅は柔らかそうな丸顔にくっついた小さな目を目一杯細めて笑った。


「さすがに、カフェのほうをやめちまってからは…」

「あ〜ね、儲かってたもんなぁ」


 小菅は妻が生きていた頃は、生花店の隣をカフェにしていた。パティシエの免許を持っており、フランスで修行した経験のある妻の作るケーキはどれも凝っており、尚且つ美味だった。ほぼカフェの収入といっても過言ではなかったが、妻を病魔が蝕み、帰らぬ人としてしまってからは完全に路頭に迷うことになってしまった。


「相川さん、ところでどうしたんです?」

「あぁ、いやね。近くを通ったもんですから」

「わざわざどうも。また一杯やりましょうや」

「んですね。男やもめどおし…」

「あ!運転手さんだ!」


 店の裏手からエプロン姿の若い女の子が入ってきた。長い髪を後ろに縛った少し色黒の女の子。笑うとできる笑窪とちらりと八重歯が見える。


真波まなみちゃん!」

「しばらくじゃないですか!」

「俺に会ってそんなニコニコするの、真波ちゃんしかいないよぉ」

「ふふふっ」


 相川の娘くらいの歳だろう。早くに妻を亡くしてしまった相川には子供がいなかった。何故か分からないけれど真波は相川の事が気に入っているらしい。真波はややファザコン気味だとは言っている。


「ちゃんとあの鉢、大事にしてます?」

「もちろんだって!ポトフだっけ?」

「ポトスですって!」


 相川はがははと笑う。それを見て小菅はくすりと優しそうな笑みを浮かべる。


「あ、そうそう。店長。知ってました?」

「へ?何をよ」

「夜叉ヶ池のおっさんですよ。死んだんですって」

「は?あいつが?」


 相川がぽかんと口を開く。


「そうそう、にしてもあんな悪い奴。死にそうにないっていうのに」

「こらこら真波ちゃん。そんな事言うもんじゃないよ。ほら、仕事するよ」

「ははは、じゃ、俺も仕事に戻るよ」

「えー、運転手さん来たばっかじゃん」

「あはは、真波ちゃんの顔見にきたんだよ。もう任務完了さ」

「またまたぁ」


 相川は背を向けてにっこりと笑い、店を後にした。小菅は伝票を整理しながらくすりと笑った。

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