第55話

「あれは……強すぎるのでは?」


 カケルさんとヒカリさんの息がある程度整ったのを見た俺が、話を切り出す。


「つまり特殊個体か上位種、ということかい?」


 少しだけ疲れを顔にのぞかせるカケルさんが一気に渋い表情になり、強い口調でそう答えた。

 普段とは違う苛立った口調での受け答え。不安とも残念とも言えない、不思議な感情が俺の心を満たしていく。


「特殊個体でも上位種でもないとは思います。確かに、強くはありますが……」


 俺に変わって、いつもと変わらず冷静な口調でヒカリさんが言う。

 変異種の特徴と思えるものは強さ以外にはなく、何も俺だって本気で変異種だと思っているわけではない。

 ただ明らかにジェネラルオーガとは格の違いを感じるキングオーガの強さに、若干の疑問を持っただけなのだ。


(カケルさん……)


 俺たちがジェネラルオーガを倒している間に、自分はキングオーガを一歩も動かせなかったという事実が、きっと彼を苛立たせているのだろう。

 第19階層の攻略を終えた後、つまりはカケルさんの妹であるハルカさんを失った場所を通った後から、カケルさんは冷静さを欠き、まるで人が変わったようでもあった。


(所詮俺は表面でしか知ることができていない……)


 これまでの攻略をほとんど問題なく終えていた俺にとって、これがパーティー加入後最初のピンチ。

 普段の優しく、時にはどっしりと構えて皆を纏める、リーダーとしてのカケルさんしか知らなかった俺には、カケルさんの今の姿は衝撃的でもある。


「お待たせっ!」


 重い空気になりかけたところで、ミサキさんが明るい声で輪へと加わってくる。

 ミサキさんのことだから雰囲気を察して、あえて明るく振る舞おうとしているのだろう。

 助かった、というのが俺の正直な感情だった。


「お疲れ様。」


 渋い表情を崩さないまま、声色だけ和らげてカケルさんが反応し、俺とヒカリさんもそれに続く。

 少しの休憩の間にミサキさんも担当のジェネラルオーガを倒し終えたようで、しばらくして遠距離からの援護に回っていた茜ちゃんも合流する。


 遠目から状況を把握していた茜ちゃんと違い、自分の戦闘に集中して現状を理解できていないミサキさんに、カケルさんとヒカリさんが一通り流れを説明する。


「なるほど……」

「正直に言ってしまえば今回のキングオーガは底の知れない相手だ。」


 カケルさんの底の知れない相手、という表現はまさに今のキングオーガにぴったりだと思った。


(甘く見ていたのは俺の方か……)


 撤退という選択肢もあった中で、第20階層の攻略を進言したのは他でもない俺である。

 よくよく考えてみれば話に聞いた前回の戦いでも、途中まで魔法を温存できるほど、キングオーガ側に余裕があったということなのだ。

 決して攻略の進言を後悔するわけではないが、見通しが甘かったことを反省する必要はあるだろう。


「僕たちが採れる選択肢は二つ。キングオーガともう一度戦ってみるか、最終手段を使って撤退するかのどちらかだ」

「それは本当に最終手段よ、カケル」

「いや、分かってるさ……」


 ミサキさんとカケルさんの反応で、最終手段というものについてすぐにピンとくる俺。

 きっと茜ちゃんの魔力水晶で再び扉を塞ごうというのだろう。


「あかねのことなら心配いらないから……」


 俯き加減で弱々しく言う茜ちゃん。

 責任感の強い茜ちゃんのことだがら、きっと第20階層の攻略がリスタートしたことについて責任を感じているはずだ。


(撤退か……どちらを取っても茨の道かな)


 茜ちゃんの体が戻ってない以上、使用すること自体に大きなリスクが伴うことはカケルさんも十分承知していることだろう。

 そもそも撤退できたとしても、茜ちゃんの魔力水晶がどうやって突破されたかが分かっていない現状、大きな不安材料をこの場に残すことになるのだが。


「陽向くん、単独で戦うとして自信はあるかい?」

「精一杯戦いますが分からないとしか……」


 カケルさんの問いに対して俺は正直に答える。

 作戦会議のときは心配事を差し引いて90%ほどだった自信が、実際にキングオーガと邂逅して60%くらいまでに落ち込んでいるのだ。


(キングオーガの本気にどこまで耐えられるのか……)


 カケルさんの言う「単独で戦う」という言葉は、壁への吸収ダメージでキングオーガを倒し切ることを意味するのだろう。

 カケルさんとしても俺の返答は想定通りだったのか、特に表情を変えずに考える素振りを続けている。


「こうなったら全員で戦うか、撤退するかね。」


 ミサキさんが一度考えをまとめるように口に出すが、それから全員がしばらく黙り込み、静寂が続く。


 『全員で戦う』。

 言葉で聞くと簡単に聞こえるが、その作戦だと俺が出来ることはかなり限られている。

 ここまで新生のパーティーとして高めてきた連携は、全員で戦うことではなく、あくまで俺が一人でボス級を仕留めるということ。

 ぶっつけ本番で壁の能力である反発ダメージを使って、ヘイト管理をしながらタンク役をするというのは、到底無理な話だ。


「皆の疲労度合いを考えると長期戦にはしたくないわね。早期決着を狙って最大火力をぶつけるのが一番良いと思うけど……」


 ヒカリさんの方をチラチラと見ながら、ミサキさんが呟く。

 茜ちゃんが本来の力を発揮できず、俺の能力にもさほど期待できない今、単純な瞬間火力でいえばヒカリさんの右に出るものはいない。


(………………)


 ヒカリさんは苦い顔をしつつも、キングオーガ一点だけを睨むように見続け、言葉を発さない。

 闘志は切らしていないようだが、他のメンバー同様にキングオーガ戦に対する不安が残っているようだ。


 再び3分ほど場が静まり返ったところで、ついにカケルさんがこう切り出した。


「……撤退しよう」


 一人一人の表情を確認していたカケルさん。

 撤退を告げる声は、明らかにいつもよりも低いものだった。


 またしばらく静寂が続くが、反対意見が出る気配はない。


「撤退……分かったわ。」


 ミサキさんがカケルさんの決定を呑み込むような感じで、声に出して答える。

 真剣な声ではあるが、明るい声音。場の雰囲気を悪くしないように意識しているのだろう。


(結局撤退か……)


 悔しい。

 とても悔しいのだが、同時にほっとする気持ちがあるのも事実。

 他のメンバーについても、表情を見るに俺と同様の感情を抱いているようである。


 メンバーの精神状態が万全とは言えない中で、強大な敵を前にして撤退という選択肢があるのなら、それを選ぶのも仕方のないことである。


 いくら回復薬があるとはいえ、即死級のダメージがあるこのダンジョンにおいて、命は何よりも重い。

 特にメンバーを失ったばかりのダンジョンゲーマーズにとって、そこは何よりも意識するところなのだろう。



――――――



 撤退を決めてから2時間ほどが経過しただろうか。

 第19階層のポータルから遺跡型ダンジョンの入口まで戻り、攻略拠点まであと少しというところだ。


すぅすぅすぅ……


 すぐ近くから聞こえてくるのは茜ちゃんの静かな寝息。

 第20階層の入口を魔力水晶で塞ぐためにギリギリまで魔力を使った茜ちゃんは、俺の背中の上で泥のように眠っているのだ。


(視線が気になるっ……)


 残り体力やパーティーでの役割を考えて、自然と俺が茜ちゃんをおんぶする役になったわけだが、静寂の中でも茜ちゃんを心配する視線が定期的に飛んできている。

 ミサキさんの見立てでは、いつものようにしばらくしたら起きるだろうとのことだが、ギリギリまで魔力を使った今回はそのしばらくが長くなりそうとのことで、皆心配になっているのだ。


(はぁ…………)


 至るところから聞こえる溜め息のような音。

 2度目の攻略失敗にボスを残したままでの撤退、今もダンジョン内を徘徊しているかもしれないキングオーガの存在。

 報告しなければならないことが山積みとあって、当然重苦しい雰囲気になっている。


 ほとんど会話のないこの道中、俺は考えをまとめるように今日という1日を振り返りながら、色々なことを考えていた。


 結果的にリーダーであるカケルさんに振り回された形だが、全責任が彼にあるかと言われると、もちろんそうではない。


 最初から撤退を選んでいれば、俺がキングオーガと戦うことを押し通せていれば……

 反省するとキリがないが、物事は流動的で、事態が動いたときに最善の選択をするというのは、とても難しいことである。


 自信のなさ、遠慮する気持ち。

 これらをなくすためにも、まずは自分自身が強くなる必要がある。

 それだけは確かなのだが、今回に関していえば限られた時間の中でやれるだけの事はやったという思いがあるのも事実だった。


 そんなことを考えながら歩き続けると、相変わらずたくさんの攻略者で賑わう攻略拠点へと辿り着く。

 割と顔が通る茜ちゃんを背負う俺に視線が集まるが、雪のお陰でこの類の視線に慣れている俺としては、特に気にならなかった。


 俺たちは人の多い取引所を経由することなく、そのまま攻略拠点を出てダンジョンビルへと向かい、関係者に今日の出来事を報告する。

 カケルさん主導で話を始めた俺たちだったが、入院しているときにも会ったダンジョン部門の責任者である栗原さんの判断で、一度解散して、明日に再び詳細を話すことになった。

 何よりも精神的に疲労困憊だったし、我々にも頭の中を整理する時間が必要だと判断されたのだろう。


 少しずつ日が暮れて、暗くなりつつある帰り道。

 心なしかいつもよりゆっくり歩く俺の頭の中は、文字通りぐちゃぐちゃだった。


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