第50話

 腹ごしらえを終え、少し休憩してから部屋を出た俺たちは、大地を踏みしめるようにゆっくりと歩きダンジョンビルの裏口前まで辿り着いた。

 先ほどとは異なり会話をしている間にも少しずつ緊張感が漂い始め、俺を含めてホームを出てからのメンバーにはどことなくぎこちなさがある。

 裏口のある路地に吹き込んでくる寒々しい11月の風が、緊張し始めた心を落ち着かせたい今の俺にはむしろ心地よいくらいだ。


「俺はここまでにしよう。」


 道中唯一言葉を発さず、険しい表情を崩さなかったマスターが扉の前で立ち止まる。

 マスターの能力はサポートに振り切っているため、初見の階層に挑むわけではない今回の攻略には参加しないことが決まっているのだ。


「ミツハルさん、ここまでありがとうございます。」


 マスターに合わせて全員が立ち止まり、一同を代表するようにしてカケルさんが言う。

 ついさっき喫茶店の前を通った時、俺は入り口に臨時休業の看板が掲げられているのを見ている。マスターは攻略に参加しないにもかかわらず、一度入れた客を追い出してまで時間を作って、見送りをしてくれているのだ。


「俺にとっては当然のことをしたまでだ。思いの外喫茶店が忙しくなっているが、あくまでも俺の本業はこっちだからな。」

「マスター……。」


 当然のことだがマスターの表情の奥には悔しさが見え隠れしている。

 精神的にマスターが頼りになるのは俺も含めて全員が分かっていることだが、トップパーティーともなると厳しい世界。参加を熱望するマスターをよそに、会議ではマスターが参加することで、むしろ戦闘の際の危険が大きくなるのではないかと判断されたのだ。


「陽向君、皆を頼んだよ。」

「俺、ですか?」

「そうだ。前回の攻略と違うのは陽向君が参加してくれていること。ダンジョンで頼りになるのは俺も知っているからな。」


 意外にも真っ先にマスターが声をかけたのは他のメンバーの誰でもない俺だった。戸惑う俺にマスターは右手を差し出し、俺も慌てて右手で強く握り返す。


 悔しさ、期待、そして不安。

 マスターの様々な強い思いが伝わってくるようだった。


「さぁ、行こうか。」


 カケルさんの合図で、不器用な笑顔で手を振って見送るマスターを横目に順番に裏口へと入っていく。

 一番最後尾だった俺は、他の4人と違ってあえてマスターの方を振り返ることなく4人の後に続いた。


(行ってきます、マスター。)


 マスターの右手から伝わってきた思いのように、俺の心の中では複雑な感情が渦巻いている。

 俺があえてマスターの方を振り返らなかったのは、込み上げてくる感情を抑えられる自信がなかったからだ。


 裏口から入り、そのまま職員用通路を通って洞窟へ進み、ダンジョンに入場する。

 一番ダンジョン攻略者の多い日曜のお昼時ということで人で込み合う攻略拠点を進み、目的地の遺跡型に一番近い西ルートへとつながる西門へ向かった。


「よし、ここで最終確認をしよう。まずは各自自分の装備に不備がないかを確認してくれ。」


 西門脇のちょっとした広場の隅で一度立ち止まり、カケルさんの指示のもと最終確認を行う。

 ここ最近はこの場所で最終確認を行うのが、本格的な攻略前の恒例行事となっているのだ。


 遺跡型ダンジョンでは迷路型やボスラッシュ型と同様に、第1階層のボスを倒した後に現れるポータルを通ることで、今までにクリア済の階層にショートカットで移動することが可能だ。

 一昨日までで攻略を終えているのは第18階層まで。俺以外の4人にとって辛い思い出のある第19階層を意図的に避けて攻略を続けてきたのだ。

 18階までと19階の構成に大差はないようで、その決定自体に疑問は持っていないのだが……。


(果たしてカケルさんは大丈夫なのだろうか……)


 俺が心配しているのはカケルさんを始めとした他のメンバーの精神状態だ。一昨日までの攻略では特に気になるところはなかったが、攻略失敗以来初めての第20階層となれば心配してしまうのも仕方のないことだろう。


 とにかく今日はまず第18階層からスタートし、第20階層のキングオーガに短期決戦を挑む予定になっている。

 今日は遺跡型までの道中でも訓練のために積極的に接敵していたこれまでと違い、整備されたルートを外れることなく、なるべく接敵しないようにしながらの移動となる。もちろんこれも短期決戦に備えて、魔力や体力の消費を極力抑えるための作戦だ。


「陽向くん?」

「あぁ、はい。すみません。」


 カケルさんがボーっとしていた俺の名前を不思議そうに呼び、俺も慌てて自分の装備をチェックする。

 防具、アイテムポーチ、その中のポーション類、そして新しい剣。


「良い剣だね。だけど本当にそれで良かったのかい?」

「はい。今の俺にはこれでももったいないくらいですから。」


 今俺が右手に持っている新しく買った剣は、この攻略拠点で店売りされていたもの。

 ついでに言えばマスターと雪と3人でここに来た際に価格を見て諦めた、ショーケースに入った例の剣だ。


 装飾自体は柄の部分に幾何学的な紋様が申し訳程度に施してあるくらいで、完全に実戦向きのものである。見た目は地味ながら刀身は素晴らしく光り輝いており、鋭く、そして装飾が少ない分なかなかに軽い。

 カケルさんの本当にそれで良かったのか、という疑問はその言葉通りだ。能力者が自分の主たる武器として持つ物にしては少し見劣りするものであり、一般の攻略者でも買うことのできる店頭のショーケースの中でも一番高い剣ではない。


(剣は己とともに成長する。)


 これまで剣士としてダンジョンを攻略してきた俺は、自分の懐事情や実力から自ら判断し、少しずつ剣のグレードを上げてきた。


(今回ももっと値段の高い良い剣を買っても許されただろうけど……)


 基本的に剣を握るのは、まだ慣れない部分が多い左手だ。能力者になり剣士としても色々と出来ることが増えた今でも、この剣が自分の実力に対してまだ不相応であるとさえ思っている。


「左手の剣もだいぶ慣れたみたいだからね。オーガの上位種にも十分通用していたし剣での活躍も期待しているよ。」

「はい、期待に応えられるように頑張ります。」

「そんなにかしこまる必要はないさ。もしかして……、陽向くんも緊張してるのかな?」


 おどけるようにそう言ったカケルさんに俺は苦笑する。当然カケルさんも緊張しているはずだが、リーダーとして場の雰囲気をほぐそうとしているのが分かってしまったからだ。


 しばらくして全員が装備の点検を終えると、それを確認したカケルさんが再び話し始める。


「よし。最後にもう一度作戦を確認しておこう。」


 カケルさんの表情が一気に真剣なものになり、それに合わせて場の空気もキリッと引き締まる。


「なるべく接敵しないように遺跡型まで駆け抜けたら少し休憩を挟んでそのままボスに挑む。準備運動は必要だがなるべく魔力を温存しておくように。」


 魔力を消費しないように気をつけながらも、第19階層で体が動かないなんてことがないように準備運動も同時に進める。

 簡単なことではないが今回の作戦を考えると、こんなところで失敗するわけにはいかないのだ。


「そして第20階層では茜に魔力水晶を破壊してもらった後すぐに戦闘を開始することになるだろう。部屋に残っているのはキングオーガ1体にジェネラルオーガ2体。ジェネラルオーガをミサキと俺、キングオーガを陽向くんが担当して、茜が後方から、ヒカリが陽向くんの担当するキングオーガを中心に動き回って支援する。」

「敵の数も少ないし、いつも通り報告は必須だけど基本的に戦闘中は自由に立ち回って構わないからね。」


 カケルさんとミサキさんの言葉に、俺は黙って頷く。 本来ならジェネラルオーガが3体現れるところ、1体討伐済みの今回はヒカリさんを遊撃に回せる余裕がある。

 一度討伐に失敗したボスは時間が経てば経つほど力を付けていくというのが常識だが、前回の戦闘時にそれなりのダメージを負わせていることを考えると心配するほどの強さではないだろう、というのがカケルさんの見立てだ。


「あかねの魔法はあまり期待しないでね……」

「大丈夫だ。これまで通りやれば問題ないさ。」


 うつむいて言った茜ちゃんを励ますようにカケルさんが声をかける。

 確かに攻略当日になっても茜ちゃんの体が成長しなかったのはパーティーとしても想定外のことである。今の体では大きな魔法を使うのが難しかったり、体力的な限界が訪れるのが早かったりするらしく、強いて挙げるなら茜ちゃんの状態が万全でないことが今回の心配材料といえるだろうか。

 とはいえ、ここ数日の戦いを見ても本来より威力が劣っているらしい茜ちゃんの魔法はオーガ相手にも十分通用しており、本人以外は誰も心配していないのだが。


「何か質問がある人はいるかな?」


 そう言ってカケルさんがメンバー一人ひとりの顔を見回す。


「よし。なさそうなら早速出発しよう。いつも通り道中で気になることがあればすぐに言うように。」

「あれ?今日は円陣組まないの?」

「……円陣か。あれは止めておこう。この前やったときには僕の大事な何かが失われる気がしたよ。」


 女性陣3人が輪になるように集い始めているのを見て身構えていた俺は、カケルさんの言葉に安堵した。

 一昨日までの数日間、ミサキさんの提案で出発直前に5人全員で円陣を組んで手を合わせ、『ダンジョン、ゲーマーズ!』と声出しをすることになっていた。

 暗い雰囲気にならないようにミサキさんが気を遣って提案してくれたことだと理解はしているのだが、周りに人が居る場所で行うということで如何せん恥ずかしさが拭えない。

 女性陣は不思議と乗り気だったが、俺とカケルさんはどうしても恥ずかしさが勝り、気合を入れるはずの円陣がちょっとした憂鬱なイベントになりつつあった。


「……やらないの?」


 ミサキさんが呆れたような声で呟いた後、俺たち2人の反応を見て吹き出すようにして笑い始める。


(さすがに冗談だったのか……)


 ミサキさんとヒカリさんが顔を見合わせて笑い合うのを見て、俺とカケルさんは思わずため息を付いた。どうやら1人だけ本気だった茜ちゃんにカケルさんが腕をつねられているのは見なかったことにしておく必要がありそうだが……。


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