第35話

 『全てを守る壁』が発動した右手を前に突き出す。


(どこを狙うべきか……)


 桐生さんの構えは、剣道でいう上段の構え。 

 上段は胴をがら空きにする攻撃的な構えだが、目の前の桐生さんには隙というものが一切ない。

 魔物との戦闘には慣れていても、対人の戦闘経験がほとんどない俺には、戦いの定石というものが分かっておらず自分の勘を頼りにするしかなかった。


(とりあえず攻撃を壁で受け止めないことには何も始まらないぞ!)


 そもそも守りに比重が置かれている俺の能力の特質上、自分から攻めて戦うことは不利なのだ。

 桐生さんが自ら動こうとしなかったのは強者の余裕だけではなく、有利に戦闘を進めるための作戦の一つでもあるのだろう。


 しばらくは隙を探し出すために牽制するような動きを繰り返していた俺だが、牽制を受けても桐生さんが微動だにしないのを見て自分から仕掛けることを決意した。


(いくぞっ!)


 牽制後の一歩引いたタイミングでいきなりベクトルを変え桐生さんの間合いへと飛び込み、まだダメージを吸収していない攻撃力の低い壁を桐生さんの右半身に当てようと動く。


 その時だった。

 桐生さんが素早く腰に日本刀を戻したかと思うと、次の瞬間、目を疑うようなスピードで壁の少し上を狙った鋭い一撃が飛んでくる。


(っ、やばいっ!)


 俺の動きを読んでいたのか、壁に攻撃力がないことを知っていたのか。

 真偽は定かではないが、ともかくこの攻撃を防がないと戦いが敗北で終わってしまうことを悟った俺は、慌てて壁を上へとずらし、寸前で桐生さんの一撃目を受け止めた。


(危ないっ……)


 安心したのも束の間、桐生さんの攻撃は始まりに過ぎず、そこから怒涛の連撃が始まった。

 鬼のような表情へと変わった桐生さんが俺の周囲を軽快に飛び回り、一撃でも貰えば死につながるような強烈な攻撃が上から下からひっきりなしに飛んできている。


(間合いに入ったのは失敗か。もっと慎重に動くべきだったのに!)


 だが今更後悔しても仕方がない。

 俺は桐生さんの動きに合わせて体、特に右手を振り回し、絶え間なく飛んでくる攻撃を壁で受け止め続ける。

 たまにひやっとするような攻撃はあるものの、能力者になり動体視力も向上しているのか、何とか受け止めることはできている。

 ただ俺はひたすらに防戦一方で、考える隙すらあったものではない。


(さすが世界最強の存在。動きが尋常じゃない!)


 桐生さんの動きは素早いなどという次元ではない。

 これまで見たどの魔物よりも速く、覚醒前の人間では考えられないスピードに、経験からのものであろうフェイントを加えた複雑な動き。

 ただひたすらにその動きに愚弄される。


 だがしかし、俺の中でここまでの戦いはある程度想定内であると言えた。

 時たま危ない瞬間もあるが、このままなら何とか受け止め続けることができるだろう。

 その上、壁は桐生さんの攻撃を受け止めるたびに吸収しており、恐らく今は、大きなダメージを与えられるだけの攻撃力となっているはず。

 更に言えば、明らかに俺よりも激しく動いている桐生さんにはスタミナ面でも負けることはないという読みもあった。


(あとは桐生さんが疲れて隙を見せた瞬間に攻撃を加えるだけ。実際に当てると危ないから寸前で止めよう。)


 なんて甘い考えをしている時が俺にもあったのだが……。



(どういうことだ……?)


 戦闘開始から15分後。

 桐生さんの攻撃は緩むどころか、ますます苛烈になってきている。

 刀の奥から見える桐生さんの表情からは疲れは全く読み取れず、それどころか戦いを楽しんでいるかのような笑みを浮かべているのが分かった。


 相手の激しい攻撃に合わせて動き続けている俺のスタミナ消費は中々のもので、桐生さんの表情を見ると先にスタミナが切れるのは俺のように思えた。

 気を張って防御を続けているせいで通常よりも疲れを感じるのが早く、体の動きが桐生さんの攻撃に付いていけなくなるのは時間の問題だ。


(このままだとジリ貧だ。)


 せっかく憧れの桐生さんと手合わせできているのだ。

 こんな貴重な機会に防戦一方でスタミナ切れという結末に終わってしまうのは、あまりにももったいない。

 そう思った俺は、反撃の機会を作るためにどうにか今の間合いからの離脱を試みることを決意する。


(よしっ、今だ!)


 これまでの戦いのように桐生さんが攻撃を終え予備動作に入ったタイミングで大きく後ろにステップし、すぐに壁を振り下ろす動作に入る。


「えっ?」


 思わず声が漏れる。

 

 タイミングは完璧だった。

 これまでの経験からすると多少の時間を稼げるのは間違いないと思っていた。


 だが俺の目の前には、刀。

 桐生さんが強く踏み込んで反転し、鬼気迫る表情ですぐそこまで迫っていた。


(間に合わない!)


 急いで刀に合わせるように右手と壁を動かすが、時すでに遅し。

 防御が不可能であることを悟った俺は、咄嗟に目を閉じてしまった。


「ここまで、のようだね。」

「……はい。ありがとうございました。」


 桐生さんが俺の反応を見て戦いの終わりを告げると、俺の口からは自然と感謝の言葉が飛び出す。


(まさに完敗、だな。)


 俺の中に悔しさは一切なく、あるのはいつか桐生さんを超えたいという思いだけ。

 攻撃する隙すら見つけ出すことができずに負けたのは事実だが、予想以上に戦い合えたことは大きな自信となっていた。


「さすがの能力だ。ここまで本気を出すことができたのはいつぶりだろうか。ここ最近は会議ばかりで体が鈍りかけていたから久しぶりに良い運動になった。今の戦いを踏まえて何か聞きたいことはあるかな?」


 なんとか乱れた呼吸を整えて、桐生さんの言葉に返答を試みる。

 良い運動と言った通り、桐生さんの表情は戦う前と全く変わっておらずむしろ血色が良くなっているくらいで、疲労困憊といった感じの俺とは対照的だった。


「はい、いくつか。まずは俺の能力について率直な感想を聞かせてください。」

「なるほど、率直な感想か。一言で言えば最強に成り得る能力、かね。自分で言うのも何だが私の攻撃をここまで防げるというのは尋常ではない。防御力という点では自信を持つべきであるし、その上壁だけで攻撃に転じられるとなれば一対一の戦いにおいてのジャイアントキリングには最適だろう。」


 桐生さんの感想も他の能力者たちと同様のもので、一対一であれば間違いなく最強だということだった。


 個人的にはこの評価は現状タンク職というのが全く流行っていないことにも関係していると考えている。

 盾を使ったタンク職の見た目が地味というのもあるが、盾があってもその後ろの体はほぼ生身で、かつ取得できるスキルも5つという制限があるためタンクとしての役割を完成に至らしめるのが難しい。

 そのためハイリスクと考えられているタンク職は一般の攻略者にはほとんど選ばれず、一部の防御系の能力者も殆どが防御特化でヘイト管理に苦戦しており、タンクとしてパーティーに加わるというのは主流でははない。

 つまりは俺の戦い方は、防御に特化しながら攻撃もできる能力の特質と能力者としての身体能力が合わさってこそ出来るものだということである。


 更に桐生さんの分析では、初見の相手と戦うときであっても、気にせず攻撃を受け止めることのできる俺の能力は稀有なものらしい。

 一概に防御系の能力といっても内容は様々であり、雪や桐生さんの攻撃を受け続けてもびくともしなかったのは知る限り初めて、とのことだった。


「戦いが終わった今だから正直に話すが、私は卑怯な戦いをしてしまった。陽向くんの能力について軽く聞いていたし、最初に仕掛けてきた様子と事前に聞いていた話から壁にダメージが溜まっていないことが分かったのだ。だからこそすぐにカウンターを仕掛けることができた上、一度間合いに入って攻撃を始めれば絶対に負けないという自信があった。もし何の情報もなかったら陽向くんの攻撃を警戒して膠着状態が続いたかもしれない、とは思うが。」

「そうだったんですね。もちろん卑怯な戦いだとは思いません。知っている情報は使うべきですし、実際に俺も桐生さんの戦い方を知っていましたから。」


 俺の言葉に桐生さんは一度深く頷く。


(たとえ桐生さんが俺の最初の攻撃を避けるという選択肢をとっていても、結果は全く同じものになっただろうな。)


 最初の攻撃で流れが違えばという次元の話ではなく、圧倒的な実力差があった。

 タイミングの差はあれど、結果的には絶対に同じような展開になったはずだという確信があるからこその俺の言葉である。


「あれ、そういえばなぜ反発ダメージを喰らっていなかったんでしょうか。今は……、吸収と反発で半分ずつになっていたはずです。」

「よくそこに気が付いたな、陽向くん。実は私の刀が壁に当たる瞬間だけ脱力するようにして大きなダメージを与えないようにしていたのだ。であるから、反発ダメージはほとんど受けていないし、実際には壁に吸収されたダメージも私にとってはそこまで痛手ではないだろう。ある程度はダメージも積もっているだろうがね。」


 桐生さんの言葉に俺は唖然とする。


 ここが桐生さんという人のすごさ。

 もちろんこれは能力ではなく、彼の技術のなせる業である。


「そんなに驚かないでくれ。そこまで難しいことではない。」


 そう言って桐生さんが軽く笑う。


 当然桐生さんの言葉を鵜呑みにすることはできない。

 技術の高さはもちろん、あのスピードで、あの強度でそれを実現するというのが常人には考えられない離れ業である。


 いつか超えたいという前言を早速撤回したくなった俺は、思わずほんのりと苦笑いをした。


 

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