第34話
俺の返答を待っているのか、桐生さんが静かに俺を見つめる。
二人だけの広い闘技場に一切の物音はない。
桐生さんが言うには太刀筋に雑念が混じっているらしい。
思い当たる節はあるものの、目標であり雪の同僚でもある桐生さんにどのように言葉を返せばいいかを測りかねている。
俺が黙っているのを見かねてか、今度は優しい口調で助け舟を出してくれた。
「良い目をしている。それだけにその濁った太刀筋をどうしてももったいなく感じてしまうのだ。ゆっくりでいいから話してみなさい、雪の兄殿。」
驚くことに桐生さんは俺が雪の兄であることに気付いているようだった。
俺は顔を少し上げて、俺よりも少し高い位置にある桐生さんの顔をじっと見つめる。
テレビでよく見てきた顔、目標としている人物が目の前にいる。
(話してみてもいいかもしれない。いや、きっと話すべきなんだろう。)
桐生さんは人生の先輩であることは勿論、能力者としても様々な修羅場をくぐり抜けてきた人物であり、きっと何かしらのヒントを得ることができるだろう。
さきほどの言葉と優しいまなざしに心の落ち着きを取り戻した俺は、ポツリポツリゆっくりと話し始める。
能力が開花したきっかけ、『全てを守る壁』という能力、トラウマをかかえているために能力が制限されていること……。
どうしても戦闘のイメージが強い桐生さんだが、意外にも聞き上手で何とも言えない包容力があった。
「なるほど。少し話は聞いていたがそういう事情だったのか。会議が煮詰まって気分転換にでもと思ったのだが、たまには訓練場にも来てみるものだ。気になっていた悩める若き才能の持ち主と出会え、そして話を聞けるとは。」
「若き才能の持ち主……。いや、俺は何もなしえていませんし、ただの能力者のうちの一人でしかありません。」
桐生さんの返答に俺はただただ困惑だった。
桐生さんの言う“若き才能の持ち主”は、まるで今の俺とは違う姿。
憧れの人物ではあるが、その人から直接かけられたその言葉すら、今は素直に受け入れることができそうになかった。
「陽向くん、聞きたまえ。若いうちに悩むことはとても素晴らしいことだ。しかし今の陽向くんのように悩んで自分を卑下したり歩みを止めてしまったりしては何事も成されない。その能力は君だから得られたもの。君の、君だけの能力だ。」
俺は思わずハッとした。
桐生さんの言葉がまるで図星だったからだ。
昨日はゴブリンジェネラルに挑まずに歩みを止め、つい先程は自分を卑下していた。
能力に覚醒したのが何故俺だったのかと考えることもあった。
「時たま私の能力があれば誰でも最強になり得るという輩がいるが、私はそうは思わない。どれだけ強い意志を持ち、どれだけ強い覚悟を持てるか。能力を与えられた人物には、その能力に応えられるだけの強さがある。」
それもそうかもしれない。
桐生さんの能力は確かに最強ではあるが、今最強たり得ているのはもともと土台があったからなのだ。
そもそも雪や桐生さんのいる攻略最前線は死と隣り合わせになることも多いはずで、そんな場面でも常に実力を最大限に発揮し、そして相手を恐れずに戦うというのは、例え強力な能力を持っていたとしても容易なことではない。
(だけど俺は、どうなんだろうか。)
そう思いかけた俺を見通したように、桐生さんが続ける。
「もちろんそれは陽向くん、君も例外ではない。絶望の中ゴブリンジェネラルに最後まで立ち向かい、そして生き残った強さ。周りと比べる必要は何もない。ただ己を顧み、自分がやるべきことは何かを自覚しなさい。」
怒るようで、それでいて優しい口調だった。
確かに俺は周りと自分を比べてしまうことがある。
専属の能力者として大活躍する雪はもちろん、戦いの際は俺の何倍もの働きをしているように見えるダンジョンゲーマーズのメンバーたち。
能力者の力というのを目の当たりにして到底かなわないような気になっていた。
「陽向くんの能力は『全てを守る壁』か。今野もまた変わった名を付けたものだとは思う。だが今野が能力名に込めた思いは分からんわけでもない。陽向くんのその能力には間違いなく最強たり得るポテンシャルがある。」
『全てを守る壁』。
この名前も重荷に感じるところがあった。
今の俺は全てを守るはおろか、一体の敵を倒すだけで苦労している。
桐生さんは俺をじっと見つめたまま、こう続ける。
「……恐らく今回の私たちの攻略はかなり厳しいものになるだろう。しかし私は自身の命を賭してでも雪を含めたパティ―メンバーを必ずここに帰してみせる。」
それはとてもとても強い覚悟を感じる言葉だった。
これまで楽々と攻略を終わらせてきた桐生さんにここまで言わせてしまうのが今回の攻略なのだ。
俺の表情が強ばったのを見てなのか、少しだけ表情を和らげた桐生さん。
「よくよく思い返してみると、ここで君に会えたのは偶然ではない。陽向くんの能力には無限の可能性があり、陽向くんにはそれを扱えるだけの強さがある。悩み、進み、そして強くなりなさい。」
表情を和らげても、桐生さんの思いが強烈に伝わってくるのを感じる。
「自分で言うのも恥ずかしい話ではあるが、私に何かあった時この国は相当混乱するだろう。それだけではない。次第に分かってくるだろうが、ダンジョンには必ず何かある。今はまだ私の推測でしかないが、遠くないうちに再び世界を混乱に陥れる出来事が起こるだろう。」
ふっと息を吐いてから、桐生さんが一瞬遠くを見つめるように目を細めた。
(様になるとはこのことを言うのか。)
俺はその姿に見入ると同時に、俺を含めた闘技場全体が彼の言葉に引き込まれているような感覚になっていた。
離れたところに立っていた桐生さんがゆっくりと、ゆっくりと俺の方に近付いてくる。
映像で見るより大きく感じる姿は、決して身長や体格のせいだけではないだろう。
しばらくして静かな闘技場に響いていた足音が止み、俺の右肩には桐生さんのごつごつした大きい手が置かれた。
「もしその時に私が居なければ、それに対応するのは君を含めた次世代の能力者たちだ。もしかしたらその筆頭は陽向くん、君になるかもしれない。」
(俺が……)
何か言葉を返すべきなのだろうが、言葉は喉の奥底まで深く深く沈み込んでいる。
戦闘系の能力者としての実力は下から数えた方が早いはずの俺に、どうして桐生さんがここまで期待しているのかが分からなかった。
ただ桐生さんの眼は真剣そのものであり、言葉が決してお世辞ではなく、本気そのものであることを指し示していた。
ただ考えても考えても内心は複雑そのもの。
桐生さんの言葉に勇気づけられたのは事実だが、それを鵜呑みにできるほど自分に自信を持っているわけではない。
だが桐生さんの助言は、悩んで堂々巡りになりそうだった俺の何かを変えるきっかけになりそうな予感もあった。
「桐生さん、ありがとうございます。桐生さんが何で俺にそこまで期待してくれているのかは分かりません。今の俺はまだまだ弱くて、パーティーメンバーについて行くだけで必死です。だけど少しだけ何かが分かった気がします。」
桐生さんが持つダンジョンの存在についての疑問は、俺も常々思ってきたこと。
だからこそ桐生さんの危惧は理解できるし、世界が混乱に陥る出来事が起きるかもしれないことも想像できる。
もしその時、俺に力がなくて大切な人を失うことになったら間違いなく俺は後悔するだろう。
(……後悔だけはしたくない。)
今を見るのではなく未来を考える。
今どうあるべきかではなく、将来どうなりたいかを考える。
今の俺に必要なのはこれだと思った。
「よし、良い表情だ。」
桐生さんが肩に置いていた手をそっと離す。
「もう少し時間がある。何かアドバイスができるかもしれないから、陽向くんの能力を見せてくれないか。私も少し体を動かしたいからな。」
桐生さんはそう言って俺の返事を待たずに、腰に下げていた日本刀を抜いて構える。
いきなりニカッと笑顔を見せた桐生さんに俺は驚いたが、本来の目的は体を動かすことだったのだろう。
(桐生さんと模擬戦……!)
普段とても忙しく過ごす桐生さんと模擬戦をするというのは誰もがうらやましがることであり、能力の経験値を高めたい俺にとっても断る理由はない。
本物の日本刀を構える桐生さんではあるが、誰もが認める達人であり、怪我をさせない程度に手加減をすることは容易だろう。
(よし、全力で行く!)
気持ちが一気に晴れた俺は、憧れの人と手合わせできることに興奮する気持ちを抑え、右手の前に『全てを守る壁』を発動させる。
(左手……)
未だに解決していない左手問題。
近くにはついさっきまで素振りをしていた木刀があるが、到底持つ気にはなれない。
桐生さんは世界最強とも言われる能力者であり、その強者相手に、初心者レベルの左手の木刀を使って戦うのは重しにしかならないという考えがあった。
(いや、何も持たずに行こう。)
しばらく考えた俺は、そう結論を出す。
機動力を重視して壁のみで戦い、それだけに集中するという作戦だ。
俺は少し離れた場所に木刀を静かに置いて再び元の場所に戻り、『全てを守る壁』を構えて桐生さんをじっと見つめ、そして深く深く深呼吸する。
桐生さんは俺が木刀を置いたことに驚いたような表情を見せたが、戻ってくるときの俺の様子を見て納得したように2回頷いた。
剣を選んだきっかけになった桐生さんとの模擬戦で剣を置く、ということにきっと意味があるはずだ。
「さぁ始めよう。陽向くんの全力を見せてほしい。未来へとつながる君の全力を。」
相変わらずの低く渋い声で、桐生さんがそう言葉を発した。
もう二度とないかもしれない機会であり、負けて当然の戦いでもある。
俺はもう一度気合を入れて、胸を借りる気持ちで桐生さんへと突っ込んでいった。
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