第32話

【10月第4週土曜家】


 そんなことがあった次の日。

 結局昨日は、ゴブリンジェネラルに挑むことができないままの帰還となった。


 雪の精神も不安定だった、事前準備ができてなかったなどと言い訳をするのは簡単。

 それでも昨日から不甲斐なさでいっぱいなのは、誰に言われずとも戦う覚悟が決まらなかっただけというのが分かりきっているからである。


(雪とはしばらく会えなくなる。この問題を本当に自分だけで解決できるのだろうか……。)


 突然現れた問題ではあったが、その場で解決することができなかったことで、不安に思う気持ちはより一層大きくなっている。


 昨日聞いた通りに予定は早まり、雪は明日から新エリアの攻略に向かうことになった。

 もちろんいきなり新エリアに挑むわけではなく、予定通りある程度の期間はダンジョンにこもって順応し、そして新エリアの攻略を迎えるらしい。

 余裕があれば今予定しているエリアよりも先の攻略を進めることも聞いており、当分雪は帰ってこないことが予想できた。

 もしかすると雪が帰ってくる頃には、ダンジョンゲーマーズの第20階層の攻略すら終わっているかもしれない。


(あの問題を放置したままで良いのだろうか。)


 俺としては、このままの状態で第20階層の攻略に挑むのはかなり不安が大きい。

 能力が限定的なことはもちろん、もし同じような状況に置かれた時に自分がいつも通りに動けるのかが心配なのだ。

 

 今の俺はソロではなくパーティーを組んでいる身。

 自分だけではなく、他のメンバーにも迷惑をかけてしまうかもしれないことが何よりも恐ろしい。


(カケルさんたちにも言うべきなのに……。)


 ゴブリンジェネラルと戦えなかったという精神的な問題は、間違いない戦闘自体に支障をきたしかねないもの。

 となればメンバーには自ら申告するべきなのだが、打ち明けるかどうかは未だに決めかねている。

 加入したばかりの俺にとって自分の弱みをさらけ出すというのは、どことなく気が重いものなのだ。


 とはいえ自分のことばかりを考えてはいられない。

 昨日の雪の様子からも分かる通り、不安が大きいのは俺だけではないからだ。


 昨日のダンジョンからの帰り道で交わした雪との会話を思い出す。

 最初は気まずい雰囲気が流れていたが、そこは兄妹。

 少し時間が経てば、すぐに普段通りだった。


「予定が早まった理由は何と説明されたんだ?」

「準備が整っているから、とだけかな。確かに装備は問題ないし、ダンジョン内で必要になるものは全て準備されているみたいだったから。」


 前回の攻略からは少し時間が空いているため、すでに全ての装備は更新され整備も終えているようだった。

 

 しかし、そのことは事前に分かっていたはず。

 一度通達があってから日程を前倒ししたことに対しての説明が十分ではないため、不信感を覚えてしまうのも仕方のないことだろう。


「他のパーティーメンバーとは話したのか?」

「うん、全員同時に知らされたからその場で。こんなの初めてだったから皆驚いてた。唯一、パーティーのリーダーである正宗さんだけは知らされていたみたいだったけど。」


 理由は分からないが、ダンジョン協会が新エリアの攻略を急いでいることだけは明白だ。

 しかし、なぜこうなったのかを予測をしようにも情報が少なすぎる。

 今回の件について協会への不信感は募る一方ではあったが、出発日はそこまで迫っており、雪にも俺にもすでにできることはなさそうだった。


 正直なところ、第3階層の扉の前で見せた雪の涙の原因が俺にあるのかは分からない。

 今までにない攻略の前倒しという事態、先日命を落としかけた兄が問題を解決できないまま攻略に挑もうとしている現状、今はそういった複雑な事情が混ざり合っている。

 とはいえ、笑顔が似合う雪をその表情にさせている一因が自分にあるということもあり、情けなく、そして自分に対してどうしようもなく腹が立っていた。



 そして今の時刻は午前10時。

 雪はダンジョン協会本部でパーティーメンバーと作戦を詰めるために朝早くに出発しており、俺は一人ソファーの上でこのような考え事をひたすら続けていた。


 せめてやるべきことがあればよかったのだが、カケルさんに電話で妹の事情を話すと、カケルさんのリーダーとしての判断で今日のダンジョンゲーマーズとしての活動は休みとなったのだ。

 俺の都合で休みにしてしまうのは申し訳なかったので何度も断ったのだが、他のメンバーの良い休養にもなるからと強引に押し切られてしまった。

 俺としてはもやもやした気分で戦闘することが不安だったのもあり、内心ではありがたく思う部分もあったのだが。


 雪にメッセージアプリでそのことを伝えると、16時ごろに忙しい合間をぬって本部の訓練場で少し鍛錬に付き合ってくれることになり、俺はその時間までどうするべきかを悩んでいる。


(何をしようか……。)


 昨日は色々考えてしまってなかなか寝付けず、結局3時間ほどしか寝ていないが、特に眠気は感じていなかった。

 大学やダンジョンには行きたくないが、何かしていないと落ち着かない、まさにそんな気分である。


(そういえば本部の訓練場は誰でも使っていいんだったな。)


 本部には3つの訓練場があり、ダンジョン協会に能力者として登録してさえいれば自由に使うことができる。

 もし訓練場がすべて使われていたとしても様々なトレーニング用の設備があるため、やることを探すのに苦労はしないだろう。


(ここでただ考え事をしているよりはずっといい。体を動かせば気が紛れるかも。)


 思い立ったら即行動、と服を着替えて荷物を準備する。

 動くときに着るためのジャージはリュックの中だ。


「さ、行くか。」


 俺は15分ほどで素早く準備を終え、ダンジョン協会本部に向かって出発した。



 その約20分後。

 俺は電車の中で体を揺られている。


 出勤ラッシュはとうに終わり、この時間は多くの乗客が椅子に座ることができるくらいには空いていた。


「次の講義だるいなぁ……。」

「お?サボっちゃう?」

「いや、今日は普通に受けるよ。先週はサボってダンジョンに行っちゃったしね。」


 反対側の席では通学中の大学生5人組が各々スマホを覗きながら、少し大きめの声で会話を繰り広げている。


(この前までは俺もこうだったのが懐かしく思えるなぁ。)


 このような関係性の友達が居たのかどうかはさておき、ついこの間までは妹が能力者ながらも普通の大学生としての生活を送っていたのだ。


『次はダンジョン協会本部前、ダンジョン協会本部前です。』

 

 車内に妙に人間っぽい機械音声が流れ、俺は降りる準備をして席を立つ。

 後方の大学生たちは相も変わらず同じような会話を繰り広げており、どうやら目的地はまだまだ先のようだった。

 駅に着いて電車を降りると、改札に向かってしばらく進む。


(あれ?あの後ろ姿はもしかして。)


 2メートルほど離れたところに見知った顔を見つけ、その瞬間その人と目が合った。


「あ、入澤さん、ご無沙汰してます。」

「陽向くん、この間ぶりだね。元気そうで良かった。その荷物を見るに目的地は同じようだし、一緒に行ってもいいかな?」

「はい、是非お願いします。」


 そう。

 見知った顔とはあの出来事以来色々とお世話になった、ダンジョン協会本部の入澤さんである。


 改札を抜けた俺と入澤さんは、横に並んで本部に向かってゆっくりと歩く。

 駅を出ると冷たい風が何度か頬をなで、急に寒く感じ始めた。


(そういえば衣替えもしないとなぁ……。)


 ここ最近は何だかんだ忙しく、今年は10月末になった今も衣替えができていない。

 降りた駅の名前はダンジョン協会本部前ではあるが、本部は敷地自体が広いため、歩くと少し時間がかかるはずで、すでに薄着で来たことを後悔し始めていた。


「入澤さんは電車通勤なんですか?」

「いや、今日はたまたまだ。いつもは自分の車を使っているよ。」


 他愛もない雑談をしながら歩き続ける。

 入澤さんがこの時間に出勤なのは、24時間いつでも対応できるように職員の出勤時間をずらしているかららしい。

 今では24時間営業のダンジョンも多くあり、いつ緊急事態が起こるかも分からないため、常に複数人は本部に待機しているとのことだ。


(そういえば入澤さんなら新エリアの予定が早まったことについて何か知っているんじゃないか?)


 入澤さんと話をしながらそのようなことが頭をよぎるが、タイミングを見計らうのが難しく、なかなか切り込むことができない。


「ところで陽向くん、何か言いたそうな顔だね?」


 恐らく表情に出ていたのだろう。

 話していた話題がちょうど終わったところで、入澤さんがそう言った。


「そうな……」

「いや、それ以上は言わなくていい。陽向くんが聞きたいことは分かっている。本来なら関係者以外には話してはいけないのだが、今回の場合は陽向くんも関係者と言えるだろう。うん、これから話すことは私の独り言。それをたまたま陽向くんが横で聞いていただけだ。いいかい?」

「……はい。」


 真剣な表情で俺を見つめていた入澤さんは、俺の返答を聞くと再び雰囲気を和らげて話し始めた。


「と言っても実は私もそこまで詳しく時は知っている訳ではないんだ。分かっているのはダンジョン協会トップ付近から下された決定だということと、新エリアに”探し物”があると噂されていることだけだ。」

「”探し物”ですか?」

「そう。申し訳ないがこれだけしか話せない。隠しているのではなく、これ以上は不確定な話だから今は伝えるべき時ではないんだ。」


 私たちも驚いたのは同じさ、と最後に小さな声で呟いてから黙り込む入澤さん。

 その哀愁の漂うサラリーマンのような姿に嘘は感じられず、俺は納得する。

 

 入澤さんも組織の中の一人。

 能力者と常に接している入澤さんが雪と同じように不安や不信感を抱いていることは容易に想像でき、これ以上話を掘り下げる気にはならなかった。

 これまで接した感じから入澤さんが能力者に対して親身になってくれていることは分かっている。


 その後もぽつぽつと話をしているうちに敷地へと侵入する門をくぐり中に入る。

 門では入澤さんは顔パス、俺は能力者専用のカードを提示した。


「さぁ、ここでお別れかな。今日は色々と話ができてよかったよ。」

「こちらこそ。本当にありがとうございます。」

「また会う機会もあるだろう。陽向くんの幸運を願っているよ。」


 そう言って右方向の道へと進んで行く入澤さん。

 何というか、言葉に表すのが難しい、そんな感情になった。


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