第31話

 待ち合わせ時刻であった19時の5分前になって、制服姿の雪がホームの扉を開け、部屋の中へと入ってくる。

 妹を部屋にいれる許可はカケルさんにもらっているため、無断で連れ込んでいるわけではないことを一応ではあるが申し開いておこう。


(あれ?)

 

 俺はすぐに雪の表情がいつもと少し違うことに気付く。

 何というか曇っている感じ、とでもいえば良いだろうか。


「お兄ちゃん、ごめん。待ち合わせ時間ギリギリになっちゃったね。」


 焦った様子で額に汗を浮かべている雪は、開口一番に謝りの言葉を発した。

 声はいつもより小さめで、心なしか力がこもっていないように思える。


 特に待ち合わせ時間に遅れたわけではなく、俺には雪が焦っている理由がいまいち分かっていない。


「いや、ここで優雅に待っていただけだから全然問題ないさ。それよりもこれから何をするか詳しく教えてもらってないけど、もちろん普通に攻略するわけではないんだろ?」

「そう、だね。お察しの通り今日は明確な目的がある。とりあえず私についてきてほしいかな。」


 そう言い残して、雪はソファーに腰を掛けて一休みすることもなく、先ほど通ったばかりの扉を再びくぐって外に出る。


(もう出発!?)


 妹の予想外の行動に、俺は慌てながらも少ない荷物を素早くまとめ、外で待つ妹に続く。


 雪が部屋に入ってきたときから感じていた違和感は勘違いではなかったのだろう。

 表情といい態度といい、いつもとどこかが違うことを兄として感じることができていた。


 扉の外で棒立ちして待っていた雪に、俺は思ったことを伝える。


「学校終わりにダンジョン協会の本部に寄ってから直接ここに来たんだろ?外は寒かっただろうし、少しの間だけでも休憩して良いんだぞ。……いつもと様子が違うように見えるけど、今日何かあったのか?」

「うーん……。いや、行こう。」


 それだけ言い残し、雪は俺の次の言葉を封じるように、無言で、そして早足で歩き始めた。

 話を濁した一方で、表情は何か言いたげな感じ。


(どうしたんだ?本当に何があったのだろうか?)


 明らかに朝とは様子が違うことが分かり、不審に思う。

 今日の一日の行動を考えてみると学校か、もしくはさきほど寄ったはずの本部で何かあったのか。

 タイミングを考えると新エリアの攻略関連で何かしらの進展があったと思われるが、雪の纏っている雰囲気的に俺が掘り下げていいものではなさそうだった。


(とりあえず今はついて行くしかないか……。)


 俺と雪は会話を交わすことなくダンジョンビルの建物内へと入り、人ごみの中をかき分けながら進む。

 ここ数日は裏口から入っていたため、今まで通い慣れた道なのに何とも不思議な気持ちである。


「あ、あれって能力者の雪さんじゃないか?」

「そうっぽいな。声かけてみるか?」

「い、いや、止めておこうよ。何か怒られそうな気がする。」


 今日は変装をしていないためすぐに気付いたのだろう、少し先の高校生っぽい集団からそのような話声が聞こえてくる。

 この高校生たちだけではなく、周りの人も雪の雰囲気を感じ取っているのか、いつものように声をかけてくることなく、遠目で見守っている感じだ。


 そのまま誰にも声をかけられることなく人ごみを突っ切ってダンジョン内部に侵入すると、取引所の受付からチラッと顔を覗かせたセイラさんが俺と雪に気付き、笑顔を浮かべながら嬉しそうに手を振ってくる。

 俺は恥ずかしい気持ちを抑えてセイラさんに手を振り返すが、雪に反応はない。


(……これはやっぱりおかしい。)


 俺も雪もセイラさんとは仲良くさせてもらっているし、お世話にもなっている。

 例え進行方向でなくとも、受付に顔を向けてセイラさんが居るかどうかを確認するのは、ここを訪れた際の恒例行事だ。

 

 セイラさんも忙しくなる時間帯だから今話すことは出来ないはずだが、せっかくセイラさんからも気付いてもらえたのだ。

 手は振らないにしろ、せめて会釈ぐらいはと思い小声でそのことを雪に伝えるが、またしても反応はない。

 

 俺は仕方なく申し訳なさそうにセイラさんの方に数度お辞儀をしてから、少し先を進む雪に続く。

 セイラさんは不思議そうにしながらも、笑顔でゆっくりと頷き、先へ進むよう促してくれた。



 そして数十分後。

 辿り着いたのは何日ぶりかに訪れる、遺跡型ダンジョン第3階層のボス部屋の扉前。

 扉の先に待ち構える部屋の主は当然、ゴブリンジェネラルだ。


(考えないようにしていたけど雪がここに連れてきた意図は分かる。)


 ここまでの道中は連携のれの文字もなく、現れた敵は雪が魔法で瞬殺。

 明らかに俺の実力が見たいとか、能力の実験をしたいというわけではなさそうだった。


 雪がここまで連れてきた目的を道中で察した俺は、全く戦っていないにも関わらず、すでに息が詰まり、少しずつ動悸が増してきている。


 そして扉前でゆっくりと立ち止まった雪が、俺が予想していた通りの言葉を放つ。


「お兄ちゃん、ゴブリンジェネラルとソロで戦って。能力を手に入れた今なら楽に勝つことができるはず。」


 今度は俺が無言になる番だった。


 悪い予感はしているが、確信はできていない。

 雪の方を向いて、自分の心を落ち着かせるように、ゆっくりと大きく頷く。


(大丈夫、きっと大丈夫だ。)


 唱え続ける言葉とは裏腹に動悸はさらに激しくなり、手が震え始めているのも感じる。


(雪の言う通り今となってはそこまで恐れる相手じゃない。俺の能力との相性も決して悪くはない。なら、やるしかないだろう?)


 そう自分に言い聞かせて覚悟を決めた俺は、扉に手をかけ開こうとする。


 しかし、そこまでだった。

 自分の思考とは裏腹に体が動かなくなっている。

 俺の腕は鋼鉄に固まったかのように、それ以上扉を押し込むことができなくなっているのだ。


 俺の中の悪い予感が確信に変わった瞬間だった。


「ゆ、雪。無理だ。開こうとしても手が言うことを聞いてくれない。雪の意図は分かった。ゴブリンジェネラルが能力制限の原因だと思っていたんだろう?」


 震えた声で雪に伝える。


「正しくはゴブリンジェネラルと戦った光景、なのかな。」


 雪の言葉に、忘れようとしても忘れられないあの日の光景が、走馬灯のように蘇る。


 そう。

 あの時、俺は一度“生きること”自体を諦めた。

 

 体はボロボロで立っているのがやっとの状態。

 能力の発動がなければ、間違いなく俺はここにいない。

 いや、俺だけではない。

 あの場にいた全員が同じ結末に終わってしまっただろう。


 俺に力があれば救えたはずの命もあった。

 あと少しのところでゴブリンジェネラルの大剣によって無惨にも奪われた命。

 死ぬ直前に魔道具の支配から解き放たれた女子の口から聞こえてきたのは最愛の家族を呼ぶ弱々しい声。

 その声は今でも俺の耳にこびりつくように残り続けている。


 ゴブリンジェネラルは次々と先回りを繰り返し、俺のことを嘲笑うかのように、いとも簡単にサークルメンバーの命を奪っていった。

 あの瞬間、俺に力があればとどれほど強く願ったことか。


 しかし皮肉にもほとんどのメンバーが力尽き、俺が生を諦めた時に、あの能力は発動したのだ。

 確かに結果的には自分の命とメンバー4人の命を救うことができた。

 だが、当然のことながら失われた命はもう二度と戻らない。


「お兄ちゃんは悪くない。」


 そう。

 客観的に見れば俺は悪くない。

 むしろ完全なる被害者と言っても過言ではない。

 

 悪いのは魔道具を使った宇田であり、それを与えた人物だ。

 しかし俺が命を救った彼も魔道具の影響で廃人寸前。

 ついでに言えば彼のターゲットは俺でもあった。


「お兄ちゃんは最善を尽くした。」


 そう。

 あの場での最善は尽くしたと言えるだろう。

 人を守りながらゴブリンジェネラルと戦うのは一般の攻略者には難しい話だ。

 そもそも能力覚醒前の俺にとっては、ゴブリンジェネラル自体がかなりの強敵なのだ。


 だが力が足りなかったせいで、能力の発動が間に合わなかったせいで、片手の指以上の人の命がすぐ目の前で失われた。

 

 悲しみ、怒り、後悔。

 俺の深くに浸透したこれらの感情をぶつける相手であるゴブリンジェネラルはすでに倒され、肝心の宇田は感情があるかさえも分かっていない。


 宇田に話を聞けず、詳細が分からないままの今、ああなった原因が俺にあったのではないかと、どこかで自分を責める部分があった。

 あの時俺が言い返していなければ、素直に攻略拠点に行っていれば、きっと違う未来があったのかもしれない。

 そう考えること自体に意味がないことを分かってはいても、頭の片隅に燻り続ける何かがある。


 気付かないように、考えないようしていただけで、ゴブリンジェネラルの俺をあざけるような笑みは、倒された後も常に俺の目の前にあったのだ。


(……俺は弱い。)


 能力がどうこうという話ではない。

 間違いなくあの光景がトラウマとなって能力は制限されている、そんな確信が俺の中で生まれつつある。


「雪、来週もう一度時間を取ってここに来ることは出来ないか?それまでに気持ちの整理を……」

「だめ。だめなの。」


 雪の涙の入り混じったような声に驚いて、俺は下を向いていた顔を上げる。


(なんで、何で泣いているんだ?)


 俺を慰めるため、励ますためではないだろう。

 泣いている雪を見たことで、俺はここまで抱いていた違和感の正体を聞かざるを得なかった。


「……どういうことだ?」

「新エリアの攻略日程が早まった。開始は明後日。何度でも、何度でも付き合うから、今日乗り越えてほしい。お兄ちゃんのあんな姿もう二度と見たくないから。」


 涙ながらに話す雪。

 俺は言葉を出すことができなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る