第3話 3
音が再び鳴り始めた。
この音が思考を放棄させる。
俺は頭を振った。
死を強く認識した。
山本が死んだ。
山本は小学生のときからの付き合いだった。
いい奴だった。
人と争うことが嫌いで悪口を言わず不平を言わずいつもニコニコしていた。
短気で気難しい俺の理解者だった。
俺の親友だった。
頭の一部が冷え始めた。
怒りが湧いてきた。
覚悟を決める必要があると思った。
恐怖は覚悟の定まらないものを喰らう。
恐怖は現実から目を背けるものを喰らう。
いいか晴人(はると)。
恐怖に打ち克つ唯一の方法は、恐怖そのものから逃げ出さないことだ。
目を凝らし、恐怖の根元を見定めることだ。
祖父の言葉を思い出した。
俺の爺ちゃんは心理学者で教育学者だった。
とても理論的で理知的な人間で、だから俺は祖父を信用していた。
俺は大きく息を吸って吐いた。
この理不尽な状況と向き合う覚悟を決めた。
どのような状況であろうと思考を放棄してはいけないと考えた。
俺は息を整えると現在の状況を整理した。
部屋からは出られない。
外部との連絡も取れない。
隣の部屋から謎の音が響いている。
そして何者かがいる。
信じたくはないが、幽霊のような"何者か"がいる。
それは長い髪の毛の持ち主(恐らくは女)で、彼女は俺の足を掴んだ。
いや、もしかすると長い髪の毛の女と足を掴んだ奴は別かもしれない。
そうすると、少なくとも2人、あの部屋にいる。
それから例の真っ黒い木箱。
あの箱に触ると女が現れた。
しかし、もう一度触ると、今度は現れなかった。
そしてこの忌々しいピーピー音が止んだ。
一瞬だけであったが、確かに止まった。
箱だ。
あの箱に何かある。
この状況を打破し得る"なにか"が。
俺は半ば強引にそのように理論を作り上げた。
そうすることで希望を見出した。
俺は立ち上がった。
まずは怪我をした右手をキッチン台に置かれていたタオルで止血した。
それから残る2人、吉岡と手塚の安否を確認した。
彼らは相変わらず意識を失っていたものの呼吸はしていた。
その事実が俺を安堵させてくれた。
生きている人間がいる。
そのことが心強かった。
俺は部屋を調べることにした。
隣の部屋ではなく、今居るこちら側の部屋だ。
何か使えるものを探すべきだと考えた。
生憎、俺達のキャンプ道具は全て車に置いてきている。
俺は部屋に設えられていたキッチン棚や衣装箪笥のようなものを乱暴に調べた。
しかし、使えそうなものはほとんど無かった。
箸やフォーク、スプーン、コップ、それから食器用洗剤などがあったので、フォークを2本ポケットに入れた。
つと、その時、妙なことに気が付いた。
置いてある生活品が全て真新しいものばかりだったのだ。
誰かが使った形跡はみじんも無く、中には値段札が貼られたままのものまであった。
そういえば、先程手に巻いたフェイスタオルも新品だった。
宿や部屋はこんなにも古ぼけているのに、客用に置かれた生活用品だけはまるで俺たちのために誂えたかのように新しい。
いくらこの宿が不人気とはいえ、通常営業している民宿だ。
客が来るたびに客の使う日用品を全て買い換えるなんてことがあるだろうか。
或いは今日がたまたま雑貨を総入れ換えする日だった、ということが果たして有り得るだろうか。
何かある。
"ここ"には、何かしらの意図がある。
俺はもう一度、隣の部屋、襖の方へと目を向けた。
ピーピーピー。
音はまだ鳴り響いている。
隣の部屋 山田 マイク @maiku-yamada
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