41話

 全校集会から一週間後、謹慎明けの月曜日。剣が抜けた嬉しさか、それとも外出したい欲が溜まっていたのか、俺は誰よりも早く教室に着いた。初めての感覚だった。

 駅まで歩いている時、電車に乗っている時、誰一人として俺が勇者くんだと気付かなかったのだ。指を差されることも、写真を撮られることも、話しかけられることもなかった。

 やはり、勇者くんというのは俺の人間性ではなく、剣を持っているという事実で成り立っていたのだと再認識した。これで俺は勇者くんを晴れて卒業である。


 俺のもとへ平穏が訪れる時がやってきた。




 ……一週間ぶりの学校は平穏とは程遠かった。


 今日、俺は学校で何人もの生徒から「クリティカルソード!」という台詞と共にマイムで斬りかかられた。

 要するに、めちゃくちゃイジられたのだ。

 盾石との自室での対決に負けて密かに考えていた俺の必殺技。実際口に出すつもりはなかったが、戦いの際に湧き出たアドレナリンが俺の判断を狂わせてしまった。その他にも、何人もの生徒から、次回作の展望を聞かれた。


 次回作? そんなのあってたまるか!


 という気持ちをぐっと堪えて、適当に濁したがな。


 剣を抜けたという事実も、また校内で話題になっており、入学式の日と同じくらいの人が教室に来た。

 そして現在、放課後。

 俺は憔悴しきった担任の先生に反省文を提出するため、職員室に来ていた。


「はい、受け取りました……。ちゃんと真面目に学校生活を送ってくださいね……」

「もう問題は起こしません。安心してください」


 剣が抜けた今、もう俺が問題に巻き込まれることはない。

 先生が小さく頷いたのを確認して、職員室を出た。

 時間を確認しようとスマホを探すが、バッグにもポケットにも入っていない。

 ……そういえば引き出しに入れたんだった。俺は教室へと向きを変えた。




「今日で何人目〜?」

「十人です……」

「射奈、モテモテだね!」

「断るのが大変なんで、全然嬉しくないですよ……」

「射奈の下着はモンスターを悩殺するほどだしね。ぷっ」

「ちょっとマニルちゃん! や、やめて下さい! お二人もカッターシャツ越しとはいえ、下着見えちゃってたんですからねっ!」

「え! そうなの!」

「麻帆、気付いてなかったの? 顔赤くして可愛い〜」

「……てことは、剛も見たのかな?」

「見てたと思います……」

「見てるに決まってるじゃん。だって、剛が家に入れてくれなくなった理由知ってる?」

「何ー?」

「え、何ですか?」

「そういう本とかDVDを山ほど部屋に隠してるからだよ」

「えっ⁈」

「なになに? なんのことー?」


 非常に入りにくい……。

 教室の中で、マニルと麻帆と射奈がガールズトークに花を咲かせていた。他に人がいないとは言え、そんなことを大声で話すなよ。

 俺みたいに廊下で盗み聞きしている人がいる可能性を少しは考えて欲しいものだ。


「そういえば、護梨遅くない?」

「後で話すって言ってた話って何だろーね!」

「これからの勇者活動についての話って言ってましたけど……」


 ──よし、帰ろう。

 ここで教室に入れば、俺もその話し合いに参加させられそうだ。

 別に一日ぐらいスマホがなくても、困らないしな。

 勇者くんを卒業したわけだし、エゴサーチをする必要も特にない。

 盾石センサーを最大レベルに設定し、俺は教室を離れた。



 正門を出て橋の上を歩く。橋の下の川面に目をやると、夕陽が綺麗に映えていた。

 昼の通り雨の影響だろう。川のほとりの草には雨露がまだ付いていた。


「風も気持ちいい……」


 この俺が自然を愛でるとは、それほど今は心に余裕があるのだろう。これこそ俺が望んだ平穏だ。


「ここで何してるんですか?」


 俺が思わずスキップを始めそうになった時、後ろから奴の声が聞こえた。


「……しまった」


 気を抜いていて気配に気付けなかった。


「しまった、ってなんですか! 失礼ですね。こっちを向いて下さい」


 仕方なく後ろを振り向くと、むくれ顔をした盾石がこちらを睨んでいた。


「な、なんだよ」

「なんだよ、じゃないですよ! メッセージ見てないんですか? 勇者活動についての話し合いをするって言いましたよね!」


 スマホを忘れてラッキーだった。


「教室に忘れたんだよ。嘘じゃない。バッグの中、それに俺の身体中を隅々まで調べてくれてもいい」

「いえ、それは結構です」

「そうか。じゃ、俺は急いでるから!」

「行かせませんよ!」


 立ち去ろうとす俺の首元をものすごい力で引っ張る盾石。


「おい、お前、やっぱり馬鹿力だろ……」

「あなたが謹慎している一週間、私たちは四人で毎日プール掃除していたんです。それに感謝の一つもないんですか?」


 ギリギリと首が絞まっていく……。

 そういえば砂だらけになったプールをすっかり忘れていた。


「そ……それは、悪かったな」

「てことで、勇者活動の話し合いに行きましょう」

「ま、待て! それとこれは話が違う。そもそも魔王は倒されたんだ。もうやるべきことなんてないはずだ!」


 盾石の手を振り解いて、正論を主張した。今の俺は一点の曇りもない目をしているはずだ。


「いえ、あります! 今の私たちがすべきことは、この世界でまたモンスターが現れた時の対策です!」


 ……え?


「剣が抜けただけで、魔王がどうなったのかは実際のところ分かっていません。生きているならまた襲ってきますし、生きていなかったとしても、また新たな脅威が生まれる可能性は大いにあります。なので今、最優先ですることはその対策なんです!」

「た、対策って何だよ!」


 嫌な予感がして、動揺が声に出る。


「モンスターが現れた時にどういう行動を取ればいいのか、そういう啓発活動を込めて私たち本当の勇者が動画を撮るんです! いずれ異世界に行くのもいいでしょう。それを配信サイトで公開して、後世に語り継がれるようなマニュアルを作っていけば今後の対策として多くの人に活かしてもらえるはずです!」


 これ以上ないといったような自信満々な表情で盾石は話す。非常にヤバい……。


「断る! 絶対嫌だ! 俺はようやく剣が抜けたんだ! これからは平穏な生活を送るんだよ!」

「発起人は剣賀くんですよ?」

「……発起人?」


 言葉の意味は分かるが、身に覚えがない。


「あなたが、全校生徒の前でABILITIESというチャンネル名を名乗ったんじゃないですか!」


 あれか……。

 あの場では、そうするしか他になかったから名乗っただけだ。


「確かに俺はそう言った。それは認める。ただ一つ、お前は重要なポイントを見逃している」

「何ですか?」


 そう、これこそが一番大事なことだ。


「剣が抜けた今、俺はもう勇者じゃない。お前らのその活動に参加する資格はそもそもないんだよ」

「はぁ……マニルさんや射奈さんから聞いてましたけど、剣賀くんって本当に面倒くさいですよね」


 盾石はいつしかのような大きいため息をついた。


「なにがだよ……」

「確かに剣が抜けた今、あなたは勇者くんではないのかもしれません」


 勇者くん、の『くん』を強調しながら盾石は話す。


「聞きますけど、マニルさん、麻帆さん、射奈さん、それに学校の皆を守ろうとした、あなたの行動は一体何だったんですか?」


 サーレムに突っ込んで行く直前、俺は似たような疑問を抱いた。

 ただ、あの瞬間、俺には迷いというものがなかった。

 それはきっと、あの行動が平穏を求める自分のブレない心に純粋に従った結果だったからだろう。

 自分の利害を無視して、人を助けようなんて思うのは、俺が嫌いな勇者という概念だ。

 だから、あの時もそうだったはずだ。


「俺の求める平穏のために俺は戦っただけだ」

「そうですか。では、あなたは『誰よりも平穏を望む人』ということですね?」

「ん? まぁ……そうだな。そういうことになる」


 よく分からない部分を強調されたのが気になったが、間違ってはいない。俺はそういう人間だ。


「いつしか、あなたが思う勇者とは何か聞いたことがありましたね」

「あぁ……あったな」


 忘れもしない。

 初対面にも関わらず、入学式の日、この橋の上でされた質問だ。


「聞いただけで、私は自分の意見を言っていませんでした」


 さっきから回りくどい話し方をするのが、やけに引っかかる。

 盾石は息を整えると、俺の目をしっかりと見た。


「私が思う勇者とは『誰よりも平穏を望む人』です」


「……おい、意味分からないことを言うな。お前……俺を説得するためにわざと言ってるだろ? 言っとくけど、それだと勇者っていうのは自分の利益だけを追求する人間ってことになるぞ?」 

「はぁ……違いますよ。平穏というのは自分の中だけで完結するものではありません。周りの人々も平和であるからこそ、自分もそう思うのです」


 そんなことも知らないんですか? と言ったような口調で盾石は続ける。


「私が世界を守りたいという使命を持っているのは、世界中の人々が楽しそうに暮らせる平和な世の中を作って、私自身が平穏な気持ちで人生を過ごしたいからです。後付けではありません。私はあなたに言われる前から、誰よりも平穏を望む人として生きてきました」

「……詭弁だ」

「それはこっちの台詞です。あなたが、ああだこうだ言うせいで、最初はあなたのことを誤解してしまいました。けれど周りの人の話を聞いたり、行動を見ていれば自ずと分かります。あなたは誰よりも平穏を求めて、そのために努力できる立派な人です。剣があろうと、なかろうとそれは変わりません」


 思えば、俺がモヤモヤとした気持ちになったのは、自分のためだけの行動だと頭で決めつけていた時だったのかもしれない。


「反論はないですね?」

「…………」


 悔しいが反論する余地はない。

 頭で理解していなかっただけで、心では理解していた。

 俺がサーレムと戦っていた時、素直になれたのは皆を守りたいという自分の気持ちを認めたからだ……。


「ないですね?」


 盾石が顔を近付けて念を押してくる。


「まぁ、とりあえずは……」

「はい! てことは、あなたは私にとっての勇者ということになります。言質は取りましたからね? さぁ、教室に行きましょう!」


 盾石はそう言って俺の手を取った。


「ちょ……ちょっと待て!」


 何か上手い感じに言い包められている様な気がするんだが……。


「私が秘密にしていた二つ目の目的を教えてあげましょうか?」


 ファミレスでそういえば、そんなこと言ってたな。


「なんだよ……」


 手を引きながら前を歩く盾石が、俺の方を振り返り表情を緩めた。


「あなたに勇者だと自覚させることです!」

「……そういうことか! ずるいぞ、お前!」


 通りで、台本を読んでいるかのようにペラペラと淀みなく話していたわけだ。回りくどい話し方も、言質の取り方も最初から計算されていたのか。


「そこまでしないと、剣賀くんは認めないでしょ?」

「……やっぱり俺は勇者が嫌いだ!」

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