31話

 電車の揺れに耐えた後、俺はなんとか家の近くまで歩いてきた。

 途中に何度もえずいたが、強靭な忍耐力と不屈の精神力をもって胃袋に封じ込むことに成功。


 吐いてしまったら、それこそお店の人に申し訳ない。


 それに、吐いたところを誰かに見られてSNSで情報が拡散されたら『道でうずくまる勇者くん! 酔っ払い? まさかの飲酒疑惑!』なんていう見出しのネットニュースが流れるかもしれない。

勇者くんというキャラクターを守るためにも、俺は無事に家まで着く必要があるのだ。


「あ、やっと来た〜! 遅いよ、何してたの?」


 家の扉にもたれかかっていたマニルが、声を弾ませながら歩み寄ってきた。

 なにか言葉を発そうとするが、だめだ、何も返せない。


「なーに、黙ってるのっ!」


 トンッ!


 マニルが俺の背中を軽く叩いた。


 無念──


 自分の家の敷地内だから、ぎりぎりセーフ……ということにしておこう。




 後処理をしっかりと済ませた後、俺たちは近くの公園のベンチに座っていた。


「大丈夫〜? お水買ってきたけど飲む?」

「水……大丈夫だ。さっきも言ったけど、食べ過ぎただけだからな?」

「分かってるって! 護梨とファミレスで話し合いしてたんでしょ?」

「まぁ、今日は全然まともな話し合い出来てないけどな」


 フードファイトは引き分けに終わったが、話し合いをするような活力は互いになく、そのまま解散となった。


「……だったら、私もいていいじゃん」

「…………」


 マニルが漏らした言葉はハッキリと聞こえていたが、聞こえてないフリをする。

 なんというか……なんて返したらいいか分からないからな。


「そ、そういえばジャムは? いつも一緒にいるのに珍しいな」

「ジャムなら家にいるよ。なんかここ最近ずっと寝てるんだよね。春だから眠いのかな?」


 春眠暁を覚えず、という有名な言葉はあるが、ハムスターにも当てはまるのか?


「すごい今更だけど、ジャムって何歳なんだ?」

「私が赤ちゃんの時から一緒にいるから、私たちと同い年くらいだと思うよ?」

「……ジャンガリアンハムスターの平均寿命は?」

「えーっと、たしか二、三年くらいじゃなかったかな?」


 長生きし過ぎだ……。

 思えば五人の勇者の中で、マニルだけが武器を持っていない。

 その代わりがジャムということか?

 普通のハムスターではないと思っていたが、何か特別な力があるのかもしれないな。


「なんで、急にそんなこと聞いてきたの?」

「いや、ジャムってなんか人間みたいなことあるからさ。少し気になって」

「あー、確かにジャムは普通の動物とは少し違うね。ペットって感じでもないし、私にとっては一番の友達って感じかな〜」


 ジャムがいつも入っている胸ポケットを見ながら、マニルは微笑んだ。


「本当に仲がいいよな。ま、俺はそんなジャムに嫌われてるけど」

「フフッ、実を言うとね、嫌っているというか、剛に嫉妬してるだけなんだよ?」

「嫉妬? いつ、ジャムが俺に嫉妬することがあったんだよ」

「またまた〜、とぼけちゃって〜」


 マニルが俺の肩を肘でつつきながら、距離を詰めてくる。


「やっぱり、水くれ」

「はい」

「さんきゅ」


 渇いた喉を、マニルからもらった水で潤す。ちなみに新品の水だ。


「私が小学生の頃さ、私と麻帆と剛の三人で、学校裏にあった小さな山でよく遊んでたの覚えてる?」

「うわ、懐かし〜。あった、あった。確か立ち入り禁止の山だったよな?」

「そうそう! 麻帆が魔法の練習したいとか言ってさ!」


 俺も人目を避けながら遊ぶことが出来て、すごい楽しかったのを覚えている。


「それで、秋かな? 麻帆が、黒魔術に使うキノコを取りに行きたいとか言って、三人でキノコ狩りに行ったじゃん?」

「あー……なんか言われてみれば、行ったような、行かなかったような」


 実に麻帆らしいエピソードだ。昔は黒魔術にも手を出してたのか、あいつ。


「そこで私がね、リスと話したくて、山奥までリスを探しに一人で勝手に行っちゃったのね。そしたら茂みから猪が出てきてさ、私もすぐに逃げたら良かったんだけど、動物と話せるから大丈夫だろうって思って、近付いちゃって──」


 思い出した。


「けど、猪は聞く耳持ってなくてさ、怒って私に突進して来たんだよ。もう、思い出した? その時に守りに来てくれたのが、剛だよ?」

「守ったというか……マニルを探してて見つけたのが丁度、そのタイミングだったから、その場の成り行きみたいな感じだったんだよ」

「照れなくていいってば〜! 真剣な顔して、猪の突進を剣で防ごうとしてたんだから」

「イジるのはやめろ。結局、俺は猪に吹っ飛ばされて、まぁまぁの怪我をしたんだからな?」


 それで裏山で遊んでいるのが、バレてめちゃくちゃ怒られたのだ。


「ぷぷっ、ごめんごめん。まぁ、でもそういうこと! 私を守ったのが自分じゃなくて剛だったから、ジャムは嫉妬してるの」


 笑いながら、目を拭うマニル。


「それだけかよ……。だからって嫌わなくても――」

「それだけじゃないんだけどね。それは、きっかけ〜」

「よく分かんないけど、ジャムに言っとけ。別に俺は守ろうと思って守ったんじゃない、勝手に嫉妬するなこのハム、ってな」


 飲み干したペットボトルを、近くのゴミ箱にフリースロー感覚で投げたが、盛大に外れる。


「……ま、何が言いたかったかっていうと、私たちのことをもっと頼ってね、ってこと!」

「何でその話になるんだよ、全然関係なかっただろ」

「次は、私が剛の力になりたいの!」


 俺はベンチから立ち上がり、ペットボトルを拾ってゴミ箱に捨てた。


「それは違う。俺はお前の力になろうと思って、なったんじゃない。結果的にそうなっただけだ。だから、次は、というのは間違ってる」

「そうじゃない、認めようとしないだけじゃん」

「分かってないな、俺ほど自分に正直に生きてる人間はいない」


 今だってそうだ、世界のことなんてほったらかしで、自分の剣を抜くためだけに勇者活動をしている。


「何で護梨はいいの?」

「あいつはもとから勇者みたいな考えの奴だったし、俺と利害が一致してるからな。ただ、それだけだ」

「……はぁ。やっぱりダメか〜」


 俺がベンチに戻ると、マニルはさっきよりも近くに体を寄せる。マニルは勢いよく立ち上がると、左手を俺に差し出してきた。

 俺も立ち上がるために、その手を掴もうと、


「百十円」

「は?」

「お水代! 百十円!」

「なんだよ、奢りじゃないのかよ……」

「いつかまた言い訳に使われそうだから、剛に貸しは作らないことに決めたんです〜」

「……お金は家にある」

「じゃあ、帰ろっか♪」


 立ち上がると、マニルが先に歩き出す。

 このモヤモヤは、きっと胃もたれだろう。

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