29話

 放課後の居残り掃除が終わった後、盾石が「十分後に戻ってくるから待ってて下さい」と言うので俺は今トイレの個室で大きい方をしている。


「今日こそは魔法陣に関する手がかりを見つけないとな」


 大きなため息をついた後、トイレットペーパーへと手を伸ばす。


「うわ……最悪。紙ないじゃん」


 考えごとに気を取られて、俺としたことが事を済ませる前に紙の有無をチェックしていなかった。


「すみませーん! 誰かいませんかー? トイレットペーパーの紙がもうないんで代わりに用具箱か隣の個室から取ってくれませんかー?」


 …………。


 考えろ、俺。この状態でパンツを履くわけにはいかない。

 なぜならこの後、俺は盾石と一緒に話し合いをするのだ。

 手負いのパンツで行って、漏らしたと勘違いされるのは男子高校生のプライドが許さない。 

 よし……。トイレに人はいないようだし、この状態のまま隣のトイレに移動するか。


「全く仕方ないですね! これを使って下さい!」

 

 右の個室から聞き覚えのある声がして、そこからトイレットペーパーが仕切りの上を超えて飛んでくる。


「盾石? えっ! 盾石か?」

「聞かなくても声で分かりますよね? 早くそれを使って下さい」

「えぇぇ! ちょっと待ってくれ! ここ男子トイレだよな? 俺が間違って女子トイレに入ったわけじゃないよな⁈」

「えぇ男子トイレですよ、何をそんなに焦っているんですか?」

「お、お前、こんな所で何してるんだよ! どこかに行ったと思ったら!」

「そんな事より、ちょっとこっちに来てくれませんか? 着替えるのにスカートを降ろしたいんですけど、ジップが引っ掛かって手こずっているんです……」


 さっきから、こいつは何を言っているんだ……。

 盾石はバカ真面目で、勇者としてのモチベーションがやたら高いという変な奴。

 ……考えてみれば知り合ってまだ一週間程度しか経っていないのに、俺は盾石という人間の人物像を既に自分の中で勝手に作り上げていたのかもしれない。

 こういう大胆な一面もあったのか?


「返事がありませんよ?」 

「な、何言ってるんだよっ! 行けるわけないだろ! どこで着替えてるんだよ!」

「それをあげるんで……こっちに来てくれませんか?」


 明らかにテンパっている俺に構う気配もなく、右上を見ると仕切りの上に黒いブラジャーが掛けられる。


「え……? おい! 一体その中で何してるんだよっ⁈」


 昨日の俺の部屋での一幕が脳内で再生される。黒い下着を麻帆に見られていた盾石。


「いりませんか? 私、結構勇気を出したんですけど」


 これは夢なのか? と俺は思わない。


 なぜなら、考える前に俺は自分のほっぺたを無意識に全力でつねっていたからだ。


 考えろ、俺!


 盾石が男子トイレの個室に入って服を脱ぎ、俺にブラジャーを差し出すというカオスなこの状況。


 ……可能性は二つだ!


 一つ目はエロス。

 誘い方に関してツッコミを入れたい点はいくつかあるが、俺の知らない盾石の一面があったっておかしくはない。きっと、ここ数日の疲れを発散したいのだろう。

 二つ目は試練。

 ここで俺という人間の倫理観や貞操観念をチェックするという可能性が、今までの盾石なら十分に有り得る。勇者が仲間の誘惑に耐えられるのどうかのテストです、なんて言っているのが容易に想像できる……。


 どっちだ!


 エロス、試練、エロス、試練、エロス、試練、エロス、エロス、エロス……。

 頭の中の論理的な俺は試練と言い、非論理的な俺はエロスと言う。


 …………。


 どちらにしろ、あそこにブラジャーが掛かっているのはマズい。

 仕方ない、とりあえず取るか。とりあえず……。


「よく分からんが、そのブラジャーは一旦俺の方で預かろう」


 右手の剣で取ろうとしたその時、俺のスマホが振動した。


「誰だよ、こんな時に……え?」


 空気の読めないメッセージの送り主を確認すると、そこには盾石護梨の名前があった。

 

 盾石護梨『どこにいるんですか? 教室で待っているようにお願いしましたよね?』

 

 おい……どういう事だ?

 何がしたいんだ、こいつは……。

 

 剣賀『何で、わざわざメッセージ送ってくるんだよ。直接言えよ』

 盾石護梨『はい? 直接言えないから、メッセージしたんですけど』



「おい! 俺は今トイレにいるけど、一体どういう事だ? 何がしたいんだ?」

「……え? 何がですか?」


 なるほど、俺もバカじゃない。メッセージを送って来た盾石と、横にいる盾石は別人だ。

 問題はどっちが本物か、という事だ。横にいるのは間違いなく盾石だ。

 盾石の声がするし、黒い下着を付けている。そしてメッセージを送って来たのも盾石だ。

 盾石のスマホからちゃんとメッセージが……そういう事か! 


 剣賀『おい、お前は誰だ。盾石の携帯を奪って何してる』

 盾石護梨『すみません、そんな茶番に付き合う時間が勿体ないので早く教室に来て下さい』


 これは罠だ。俺を教室に呼び出して、こいつは何かをするつもりだ。


 剣賀『まぁいい。お前の相手は後だ。今は邪魔をするな。俺は今から仲間の黒い下着を受け取るんだ』

 盾石護梨『はい? 何言ってるんですか?』

 剣賀『残念だったな、お前のその携帯の持ち主は今俺の横にいる』


「そこにずっと掛かっていては誰かに見られて恥ずかしいので、早く剣で黒いブラジャーを取って下さい……」


 横の個室にいる本物のエロ盾石が急かしてくる。


 盾石護梨『さっきから、ずっと頭大丈夫ですか? ちなみに今日は紺色なんですけど』

 

 メッセージを無視して、座ったまま腕を伸ばして剣で右手のブラジャーに引っ掛ける。


「色欲に負けたわね、剣の勇者!」

「なっ⁈」


 右の個室から突如出てきた黒とピンクのバイカラー配色の何かに剣先を掴まれて、強い力で剣が引っ張られ、便器から体が浮き上がる。右脇でブラジャーが掛かっていた仕切りを咄嗟に挟み、なんとか体ごと引っ張られるのを避け、上から横の個室を見下ろした。


 そこにはカッターシャツを一枚羽織っただけの盾石……ではなく盾石の見た目に尖った黒い猫耳と先程のバイカラー配色の尻尾が二本付いたモンスターがいた。


「こんな物に引っ掛かるなんて、勇者も大した事ないのね! さぁ、こっちへおいで〜。この胸に顔を埋めたら永遠の眠りに落ちるわ。そしたら、その剣を魔王様に献上するの」

「ちょ、ちょっと待ってくれ! 俺はまだお尻を拭いていないんだ!」

「そんなのどうでもいいわよ! 早くこっちへ来るのよ!」


 くそっ! お尻を拭いている間に作戦を考える作戦は失敗だ。


「ということは……あっちが本物か! なら、さっきの盾石へのメッセージ……しまったああ!」

「さっきから、呑気なものね! 自分の状況が分かっているの? あなたはもうすぐ私の永遠の虜になって生涯を終えるのよ? うふふ」


 盾石へ送ってしまった先程のメッセージによる羞恥心で俺は今冷静モード、且つ戦闘モードに切り替わった。


「……分かったぞ、お前ブラデビルだな?」


 麻帆が描いていたブラデビルとは、耳と尻尾しか一致していないが姿を変えているに違いない。まさか、あのモンスター図鑑が役に立つとはな。


「あら? 私の名前を知っているの?」

「俺の幼馴染みのバカ魔法使いは、たまにミラクルを起こすからな……。お前が来る事を予言していたのさ! そしてお前の弱点までもな!」


 死角の左手を使って、数秒前からかけていた本物の盾石への電話が今繋がり耳に当てる。


「盾石か? 悪い! 細かい説明は後でする! 今モンスターと戦っててピンチなんだ!」

『モンスター? 本当ですか! 私も今すぐ行きます! どこですか?』

「いや来るな! 相手はとても凶暴だ!」


 お尻丸出しの所を見られてたまるか!


「それより俺の席の上にバッグがあるだろ? そこから中にあるブラデビルのルーズリーフを取ってくれ! そこに確か、麻帆が弱点を書いていたはずだ!」

「させないわよ!」


 ブラデビルのもう一本の尻尾で叩かれ、スマホを下に落とされる。


「残念だったわね。まぁ、そもそもその魔法使いが書いた弱点が合っているかどうかすら怪しいけど」


『えーっと……誘惑してくるブラデビルには、その上をいくエッチな言葉を浴びせると興奮して弱点の胸が光るって書いてます! ……これ信じていいんですか?』


「こ、この声はどこからしてるの! 私の弱点まで!」

「不思議だろ? 残念だったな! これはな、お前ら異世界モンスターには馴染みがない、電話の機能『スピーカーモード』だ!」


 俺はブラデビルにスマホを落とされる寸前の所で、スピーカーモードに切り替えていた。


「じゃあな、ブラデビル。女にこういう言葉を言うのは紳士として気が引けるが仕方ない。俺が大人の本で培った知識を全てお前にぶつけてやる!」

「いやぁぁぁぁん! やめてぇぇぇ!」

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