24話

「どうしてだよおおおおおおおおおおおおおっ!」


 気付けば俺は廊下を全力で走っていた。話の途中で教室から逃げ出したのだ。

 本能と言ってもいい、勇者に対しての拒否反応だ。情けないこと此の上ない。


 そして、この反応こそが物語っている。自分は本当の勇者かもしれない、と俺が少なからず考えていたことを……。


 事実を突きつけられ、ようやく気が付いた。今なら分かる。俺はその可能性に蓋をして無意識の内に意識の奥底へと葬っていたらしい。勇者の可能性がある人間でなければ、勇者にだけは絶対になりたくない、とは思わない。否定するという行為をしている時点で、頭の中にはその選択肢が出来ている。

 勇者を否定していたのは、俺が勇者くんとして被害を受けていたから。


 確かにそうだ。


 ただ、俺は勇者くんを演じることで、本当の勇者でないということを自分の潜在意識に対してカモフラージュしていたのかもしれない。

 仮説を考える中で、勇者やモンスターに関わる説がなかったのも、そういった考えを無意識に排除していたからだろう。


 だって、そうだろ?


 剣を持って生まれ、同級生に同じようなやつがいて、モンスターが現れた。この現代でアニメ、ラノベ、漫画、ゲーム、なにかしらに触れたことのある人間であれば、その可能性を少しくらい考えるのが普通なのだ。俺は全く考えなかった。


 ただの事実──この世界の新しい常識として受け入れた。


 本当の勇者であるということを考えないようにするために。現実とは思えない現実を俺の現実として向き合う時が訪れてしまった。準備の出来ていなかった俺は本能的に逃げ出してしまったのだ。


 モンスター、魔法陣、魔石、異世界。


 そして、王国の勇者。


 俺がどんな御託を並べても、これ以上、言い逃れは出来ない。本当の真実。俺がずっと知りたくて、知りたくなかったもの。


「ああああああああああっ!」


 階段を駆け上がり、目の前に見えたドアを勢いよく開け、俺は屋上へと出た。

 久しぶりの運動に息が切れる。額から流れる汗は風に吹かれ、ヒンヤリとして気持ちが良い。

 両膝に手をつきながら空を見上げると、いつもより近い距離に夕焼け雲が見えた。

 空はどこまでも繋がっていると聞いたことがあるが、異世界までも繋がっているのだろうか。


 ……ふざけた話だ。


 心臓は騒がしいが、心は幾分か落ち着いた。

 その証拠に感情的になって教室を飛び出してきたことが少し恥ずかしくなってきた……。


 よし、決めた。もう迷いはない。


 作戦通り──


「早まってはいけません!」


「うぐふっ!」


 屋上まで上がってきた盾石は、俺めがけて走り、勢いそのままジャンピングダイブをかまして、大の字で覆い被さった。


「いって……。俺はホテルのふかふかベッドかよ」

「落ち着いてください! 冷静になるんです!」

「それはお前だろ! 俺はこの通り落ち着き払っている」


 その証拠に、色々とアウトな体勢だが俺は顔色一つ変えていない。


「……あっ! お、屋上なんていう、紛らわしいところに逃げないでください! 勘違いするじゃないですか!」


 盾石は自分のあられもない状態に気付いたのか、急いで立ち上がり背を向けた。こいつにも羞恥心はあるらしい。


「本物の勇者だろうと俺は俺だ。自分を犠牲にするなんていう選択肢はない。絶対にな」

「女の子を置いてモンスターの前から逃げ出した人が、なに格好つけてるんですか? それにいつまで寝てるつもりですか?」


 さっきまでの照れはどこへいったのか、盾石はすぐさま振り向き、倒れている俺を見下ろした。いや、見下した。


「ここにいたか。勇者ともあろうものが、敵に背を向けて逃げ出すとは実に滑稽だな!」

「勇者イズムを人に押し付けるなよ。俺は形式的な勇者であっても、実質的な勇者ではない」


 俺は立ち上がり、屋上に現れたゴブリーダーに向かって剣をかざす。


「お! やってるやってる〜! 頑張れ、剛〜!」

「一人だけズルい! 私も混ぜてよー!」

「気分が悪いので、私は横で見学しておきます……」


 昼食の場所取りにやってきたくらいのテンションで、あいつらも屋上へと上がってきた。

 いまいち緊張感に欠ける。


「……とにかく、俺はお前に用があるんだよ。ゴブリーダー」


 一歩ずつゴブリーダーへと歩み寄る俺。


「どうした? やけになったか? 俺は頭脳派といったが、お前らくらいなら造作もないぞ? 赤子の手をひねるようなものだ!」

「異世界のモンスターが、一丁前に日本のことわざ使ってんじゃねぇよ。それに戦うつもりはない。聞け、お前にとっても悪くない話だ」

「話?」

「この魔石をお前に渡す。だから俺たちに関わるのをやめて、さっさと異世界へ帰れ」


 俺が誘拐の後に考えていた対策だ。あいつらの目的は、魔石のみ。

 勇者の殲滅が目的なら、誘拐なんてする必要はないからな。

 魔石こそが全ての元凶だ。これさえなければ、こいつらは異世界に戻り、俺たちの生活は元通りになる。

 モンスターの相手をする勇者より、SNSで騒がれる勇者くんの方が圧倒的にマシだ。


「……その魔石は剣から取り外せるのか?」

「ちょっと、何を言ってるんですか? その魔石がなにかも分かっていないのに、相手に渡すのは危険です!」


 ゴブリーダーは乗り気みたいだが、横の盾使いがうるさい。


「やったことはないが、工具でも使えば取れるだろ。時間をくれれば――」

「くっくっくっ……あーはっはっはっはっ! いやー、無知は罪だな!」

「……何がおかしい」

「慈悲深い俺様が教授してやろう。その魔石はな、一度組み込まれたら、効力を失うまで外れることはないのさ。魔石というのは魔王様の魔力の一部が込められている石のことだ。つまり、魔力の根源である魔王様を倒さない限り外れることはない。一つ例外なのは、魔法使いが持っているはずの魔石を剣士のお前が持っていることだ。魔力のないものが持つと呪われるらしいがな、ハッ!」


 魔王というワードが、当たり前のようにゴブリーダーの口から飛び出したが、想像の範疇だ。

 勇者がいるなら、魔王だっている。それより、気になるのが魔石の「呪い」だ……。

 そういえば、今朝のゴブリンたちも本当は魔法使いが持っているはず、と言っていたな……。

 ということは、俺が麻帆や射奈や盾石と違って、武器を剥き出しで持っているのは呪いのせいなのか? 

 待て……。


 つまり、どうなる。剣を抜くためには魔石の呪いから解放されなければならない。


 魔石の呪いから解放されるには、魔王を倒さなければいけない。

 結論、剣を抜くためには魔王を倒さなければいけない。


 マジかよ……。


 つくづく腹が立つ。リスクリターン、いかれてんだろ。

 異世界は現実世界以上に不条理だ。

 そもそも生まれる場所も魔石の保持者も間違っているなんて、俺たちを勇者にしたやつは、ろくでもないやつに違いない。


「……お前らがこの魔石を欲しがる理由は何だ」

「その魔石があれば魔王様は今度こそ完全復活を遂げるのだ!」


 魔王が完全復活か、俺には関係ないな……。


「さぁ、分かったなら俺と一緒に来い。日本白文字病院という場所に、人間が通れる異次元ゲートがある。ここで拒めば、朝みたいに力ずくで連れていくぞ」

「え! 私が生まれた病院だ! すごい偶然だね!」


 ゴブリーダーはなかなかの話をしていたが、麻帆の一言のせいで、ことの重大さが霞む。


 お前も今朝誘拐されていたんだぞ?


 だが、魔石の話が本当なら、俺の魔石を渡すという対策は確かに無意味だ。

 どうしたらいい……。


「剛くん、伏せて下さい!」


 見ると、射奈が弓にボールペンをセットしていた。


「いくらなんでもゴブリーダーをなめすぎだろ……。ボールペンって」

「め、目玉を潰します! その隙に剛くんは逃げてください!」


 やっぱり射奈は怒らせない方がいいな。

 バールを飛ばそうと思ったり、いざという時は何をするか分からない恐ろしいタイプだ。


「邪魔をするならお前から消してやろう!」


 ゴブリーダーが射奈に向かって、鋭利な爪で襲いかかる。


「きゃ!」

「弓屋さん! 危ない!」


 盾石が防御に行こうとするが、間に合いそうにない。

 一方、俺は頭で考えるよりも先に体が動いていた。

 スプリットステップなしに、射奈の方へ頭から飛び込み、テニスコートラインぎりぎりの球を打ち返す要領で剣を伸ばす。右手の剣を射奈とゴブリンの間に入れ込み、間一髪のところでゴブリンの攻撃を防いだ。

 この反射神経も今思えば、勇者ゆえのものか。全然嬉しくないな。


「ゴブリーダー! 交渉は決裂だ!」


 そのまま剣をゴブリンの体の方向へ振り抜き、入学式の時に披露した剣捌きでゴブリンの体を切り刻む。

 ……ことは出来なかった。


「またかよ! 何でこの剣はダメージが与えられないんだ!」

「なるほど、これがお前の剣の呪いか。無様だな!」


 俺は一体どれだけのハンデを抱えてるんだよ……。呪われた勇者の剣って矛盾してないか。


「ウインドブレーカー!」

 

 ナイロン素材の衣服の名前を麻帆が突如唱えると、風が起こりゴブリーダーの体を包み込む。


「ふっ、無駄だ! その魔法なら俺にはもう効かない!」


 ゴブリーダーはその風を片手で払い除ける。

 どうやら魔法界では、ウインドブレーカーというのは風邪をひかせる魔法らしい。


「そんなー! どうしよう剛!」

「どうもこうもない! 何もするな! ステイだ!」

「すてい?」

「きゃぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 さっきより大きな射奈の悲鳴が聞こえ、すぐに後ろを振り返る。


「どうした、射奈! って、うわっ! ちょっ!」

「見ないでぇぇぇぇぇ!」


 ブレザーの中に着たカッターシャツの真ん中が破れ、下着が露わになった射奈が必死に胸を両腕で隠していた。

 また泣き出しそうだ。

 目のやり場に困った俺はすぐに、前に向き直り、


「お、おい! ゴブリーダー! お前最低だな! 攻撃すると見せかけて服を破るなんて! 今すぐ射奈に謝れ!」

「え……いや俺は……」


 ゴブリーダー容疑者は呆然としている。白々しい奴め。


「ち、違います……。これやったの剛君ですっ……ぐすっ」


 パシャ! 

 ジャムが俺の犯行現場をスマホに収めた。


「え? い、いや俺じゃない! 冤罪だ!」

「剛君が剣を振り回していた時に、服に当たって破れたんです……」

「な……」


 慣れない戦闘で、剣捌きが乱雑になっていたようだ。

 剣の呪いのおかげか、射奈自身に怪我がなくて一安心──


「どいて下さい! この変態剣士!」


 盾石が俺を突き飛ばし、盾で射奈の体を隠す。


「悪い、射奈……。今度、昼飯奢るから」

「そのブラって新しいやつ〜? またサイズ大きくなった?」


 マニルが空気を読めない一言を放つ。

 そういう話は、男とモンスターがいない所で話してくれ!


「あ! 鼻血だー!」


 麻帆はケラケラと笑いながら、こちらを指差す。


「いや、出てねぇよ!」

「剛じゃなくて、ゴブリーダーさんの鼻血ー!」

「なにっ?」


 麻帆の言う通り、ゴブリーダーを見ると、両鼻から鼻血がタラタラと流れ落ちていた。

 射奈の下着姿はモンスターを悩殺するほどの威力を秘めていたという事か。

 これは立派な武器だな。


「な、なんだ? 攻撃されたわけじゃないのに鼻から血が……。おい! そこの魔法使い! また、お前の魔法か!」

「違うよー!」


 麻帆以外の女子から、軽蔑の目を向けられるゴブリーダー。

 すると、ゴブリーダーの鼻が突如として赤く光り、それに共鳴するかのように剣の赤い魔石も強く光を放った。


「昨日と同じ光……?」


 お風呂場での戦闘を思い出す。巨大ナメクジの弱点はお湯だった。

 ダメージを与えた時に、ナメクジの背中が光り、魔石も光った。

 弱点を突くと、体の急所が光り、そこを魔石で呪われた剣で斬れば倒せる……? 

 モンスターたちは魔王の部下、魔王の魔力でなら対抗出来るということか?


 そうすると、ゴブリーダーの弱点は鼻血? 


 いや……エロス?


「光っている場所……急所は鼻ということか」


 かまをかけるために、わざとらしくひとりごちた。

 ゴブリーダーの顔つきが変わる。俺の推測は間違っていなかったようだ。


「おい聞け、こいつの急所は鼻だ! 俺が攻撃するから援護をしてくれ」

「チッ、今日はこのへんにしといてやる!」


 ゴブリーダーは向きを変えて、屋上の扉に手をかける。

 俺は一度逃げ出したが、お前はダメだ。


『自分には甘く、モンスターには厳しく』というスローガンを心の中に掲げた。


「ジャム! お願い!」


 逃げようとするゴブリーダーの前に、マニルの肩から飛び降りたジャムが立ちはだかる。

 その身長差、約二メートル。


「なるほど……こっちの世界ではそんな姿になっているのか。くっくっくっ、可哀想に。じゃあな!」


 ゴブリーダーがジャムを踏み潰そうとしたその時、


「フラワーアレンジメント!」


 華道?


 麻帆がまたしても呪文を唱える。こいつの魔法は中学生で習う英単語を組み合わせたようなものだばかりだ。魔力は学力に比例するのかもしれないな。


「何だこの魔法は! ん? ……良い匂いがするな」


 ゴブリーダーの両肩には綺麗な花が咲いている。


「あれ効いてない? 弱点『はな』だよねー?」


 …………。


「そっちの花じゃねぇよ! こっちの鼻だよ!」

「やめてやめてー! 分からないよー!」


 麻帆の鼻を軽くつまんで、ツッコミを入れる。何がミラクル魔法少女だ。


「くっくっ、千年前の魔法使いはとても強かったようだが、今回の魔法使いは話にならないな!」


 そう言うと、ゴブリーダーはドアを突き破って、屋上から姿を消した。いい加減にしろよ。


「おい! 毎回毎回、学校のものを壊すんじゃねぇ! くそっ! おい! 追いかけるぞ! 弱っている今がチャンスだ!」


 俺が追い討ちを提案すると、射奈の横にいた盾石が、


「この状態の弓屋さんを置いていくんですか?」


 射奈が涙目で、こちらを睨んでいた。


「着替え……取りに行こうか……」

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