12話

 振り返ると、窓ガラスを割った犯人がこちらを見ていた。


 犯人という言い方は、もしかしたら間違っているかもしれない。


 そこには全長二メートルほどの巨大ナメクジがいた。


 形状はナメクジだが、全身は黄色く、体の上部を黒いドロっとした粘液が覆っている。

 ぱっと見はチョコバナナ、よく見るとグロテスクだ。

 なるほど。ナメクジなら三階まで登ってくることが出来るし、これだけ大きいならあの割れ具合も納得できる。


「……ってナメクジかよ! うわっ、気持ち悪っ!」


 まさかの登場キャラに驚きすぎて、リアクションが遅れる。

 我に返った途端に心臓の鼓動が急激に速くなり、バクバクと音がうるさい。

 ちょっと待て、冷静になれ俺……。

 こいつは本当にナメクジなのか? 新種? それとも亜種?

 どちらにしろ、ここは未開のジャングルじゃなくて日本の高校だぞ?


「グオッ」


 え。今、こいつ不気味な声出さなかった? ナメクジって鳴かないよな?

 いや、ナメクジの生態より先に、この状況をどうするか考えよう。

 まずは職員室に行って、先生に報告するべきだろうか……。


『先生! すぐに教室に来てください! ガラスを割った犯人が分かりました! 巨大ナメクジです!』


 ……ダメだ。信じてもらえる気が全くしない。

 仮に教室に来てもらっても、その時までナメクジが教室に鎮座している保証もない。

 その場合、俺は職員室内で「ナメクジ少年」という新たな呼び名をつけられるだろう。


「…………」


 俺が逡巡している中、ナメクジは何をするでもなく、依然として俺を見つめている。

 襲い掛かってくるような気配も特にない。


「な、なにしに来た? 用がないなら帰ってくれ!」

「…………」


 一縷の望みにかけて話しかけてみるが、やはり反応はない。

 マニルなら、こいつとも話せるのだろうか。

 二度も侵入してくるなんてどれほどの目的があるのかと思ったが、たいして行動を起こそうともしない。ここまでの様子からだと人を襲うような生き物でもないみたいだし、なんか大丈夫そうだな。

 ……よし、家に帰ろう。

 窓ガラスを割った犯人を捕まえる義務は特にないしな、うん。

 俺は再び後ろの扉に手をかけて横にスライドさせた。

 廊下に一歩踏み出す直前で、一つの疑問が口を衝いて出る。


「二日連続ってことは、明日も来るのか?」


 そうだとしたら逃げていい……のか?

 誰かが倒さない限り、またこうやって窓ガラスを割って入って来るんじゃないか?

 放課後じゃなくて、もし授業中に入って来たとしたら?

 

 〈授業中に来たパターン〉

 巨大ナメクジが授業中に窓ガラスを割って入って来る。

 教室がパニックになる。皆が逃げる。俺も逃げる。

 警察に連絡がいく。ニュースに取り上げられる。

 勇者くんの学校ということで、マスコミが余計殺到し、連日テレビカメラに追われ続ける。


 非常にマズい。


 俺の平穏な学校生活をナメクジ一匹に邪魔されてたまるか。

 それに、割れたガラスの破片で誰かが怪我をして、大事になっても困るからな。

「おい、そこにいる巨大ナメクジ。一度は見逃してやろうと思ったが、気が変わった。お前をここで駆除する!」

 俺はナメクジの方に向き直って、スマホを取り出し検索した。

 

『巨大ナメクジ 倒し方』

 

 …………。

 検索の結果虚しく、今この場で試せそうな方法は見つからなかった。

 スマホをポケットに戻して心を決める。吊り橋理論は嘘っぱちだ。

 鼓動の高鳴りは感じるが、こいつに恋愛感情どころか一ミリの愛着すら湧いてこない。

 鞘を取り外し、剣を向ける。ナメクジは動く素振りさえ見せない。


「冥土の土産にお前に一つ良い事を教えてやろう。俺は一度もこの剣で、人や動物を斬った事はない。鞘まで装着して、常に細心の注意を払っているからだ。だから喜べ! お前が俺の剣撃をくらう第一号だ! 俺の名前は剣賀剛!」


 自分を鼓舞しようと近くの机の上に立ち、武士のような口上をしてみたが、なかなか恥ずかしい。もう二度としない。


「いくぞ!」


 左手を右手に添え、俺は机の上を走って渡る。机に上履きの跡が付くが、今はどうでもいい。

 辿り着いた巨大ナメクジの手前で思い切りジャンプして、剣を高く振りかぶった。


「おりゃぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!」


 真っ直ぐ振り下ろした剣は、見事に相手の眉間に直撃。


「せいやぁぁぁぁ!」


 そのまま真っ二つにする勢いで、俺は剣を振り抜いた。我ながら初めてにしては上出来な攻撃。思わず笑みがこぼれる。

 が、


「……へ?」


 目の前の巨大ナメクジは真っ二つになるどころか、かすり傷すら付く事なく、その場に健在している。


「確かに剣は当たって、斬れた感触もあったはず……」


 動揺した俺は「ナメクジ危機一発」かのごとく剣を抜き差しした。

 体が上に飛んでいく事は勿論ないが、ダメージを一ミリも与えられていない。


「ま、まぁ、お前も反省したようだし、今日は帰っていいぞ。後日、場所を改めて戦おう。それじゃ、俺はこれで──」


 剣を抜いて、距離を取ろうとする俺。ダサすぎる。今までの人生の中で一番恥ずかしい。

 パンツを晒した醜態が可愛く思えてくる。麻帆との決闘の時みたいに、見物人がいなくて助かった。こいつの対策は家に帰ってから、考えることにしよう。

 くそっ、覚えてろよ!


「ぐおおおぉぉぉ!」

「何っ⁈」


 今までダンマリを決め込んでいた巨大ナメクジは、大きな口を開けて、背を向けた俺を急に襲って来た。

 すぐさま剣で口を塞ぐ。見たくもない口の中を見ると、軟体動物のくせに鋭い牙がある。


「くっ! なんて力だ。どうなってるんだよ!」


 余裕の笑みから一転、俺は想定外の状況と咬合力のダブルパンチで、絶体絶命のピンチに立たされた。

 やっぱり、こいつはここで倒さないといけない。


「あなた、それでも剣士ですか?」


 教室前方の扉が勢いよく開けられ、聞き覚えのある声がした。

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