2話

 駅を降り、一つしかない出口を真っ直ぐ歩いていくと、川と学校が見えてくる。

 川の上に掛けられたアーチ橋を渡れば、学校はすぐそこだ。


 私立成南西せいなんせい学院高等学校。


 西洋風の赤レンガ造りの校舎は学園ドラマの撮影にもよく使われ、制服はデザインや色合いが可愛いことで有名らしく、女子からの人気は高い。

 その可愛い制服の蘇生のために朝から慣れないミシンを使い、遅刻予備軍となったが、始業式には間に合いそうで一安心だ。俺の足取りは軽い。

 橋に差しかかった時、俺は橋の真ん中にいた一人の人物に目を奪われる。

 そこには、同じ学校の制服を着ている美少女がいた。

 艶のある黒髪を結んだミドルポニーテール、健康的に締まった細長い手足、適度に膨らみのある胸、吸い込まれるほどの大きな眼、鼻筋の通った控えめな鼻。

 そして──。


 でっかい煎餅をくわえている、口。


「せ、煎餅?」


 女子高生が口にくわえる食べ物、それは相場で食パンと決まっているんじゃないのか……。

 どこでそんな煎餅売ってるんだよ。

 群を抜いた美少女と煎餅というミスマッチ加減に俺は言葉を失った。

 しかも、その美少女は俺の方を直視したまま何故か動く気配がない。

 勘違いしたくないので、すぐに後ろを振り返ったが誰もいない。

 まぁ、だいたい予想はつく。勇者くんの写真だろ?

 気は全く乗らないが、同じ学校みたいだし別にいいか。


「もしよかったら一緒に写真撮りますけど!」


 さっきと同じ作り笑顔で近付いて話しかける。


「写真? なんで私があなたと一緒に写真を撮らないといけないんですか?」


 くわえていた煎餅をパキッとかじると、美少女は玲瓏たる声で言い放った。


「え? あ……え? いや、こっちを見てたからてっきり……」

「あなたを見ている人、皆が皆、写真を撮りたがってると思っているんですか? ナルシストなんですね」

「あ、いや、さっき同じようなことがあったから、つい……」


 なにこれ、めっちゃ恥ずかしいんだけど……。

 発言だけを切り取ると確かに俺に反論の余地はない。

 初対面にも関わらず、ハッキリと物を言う美少女に少したじろいでしまう俺。


「あなた、剣賀剛くんですよね?」

「……そうだけど」

「どうして、そんなに驚いたような顔をするんですか?」


 初対面で俺の名前をフルネームで呼ぶ人はいない。

 勇者くん、あの剣の人、大体この二つのどっちかだ。


「合ってるけど、少し違うからな」

「どういう意味ですか?」

「『けんが』のアクセントが違う。『け』じゃなくて、アクセントは『が』だ。『け』だと、剣が強し! みたいに聞こえるからな」


 他の人からしたらどうでもいいかもしれないが、これは俺にとって非常に重要なポイントだ。

 そんな、自分の武器に誇りを持った武士みたいな名前ではない。

 ちなみに俺の名前を略すと「けんし」になるが、断じて「剣士」ではないからな。


「そうだったんですね。それは失礼しました」

「お、おう」

「……………………」

「……………………」


 なにこれ、めっちゃ気まずいんだけど。

 美少女は黙ったまま、俺をなめるように見ている。ムダに緊張すんだろ。


「あなたが思う『勇者』とは何ですか?」


 ようやく用件を伝えてきたかと思えば、それは封印されし勇者の剣の最終試練で、剣を司る女神が投げかけてくる明確な答えのない哲学のようなものだった。

 この美少女、厨二病の類いだろうか。


「えーっと、勇気ある者のこと」

「言葉の意味は聞いていません! あなたの解釈を聞きたいんです!」


 手裏剣を投げるように、右手をしなやかに胸の前で振り、俺の発言を却下する美少女。

 なんでこんなことで朝から初対面の人に怒られないといけないんだよ……。


「じゃあ、可哀想な人」

「どういう意味ですか?」

「えーっと、『可哀想』というのは」

「そういう被せはいりません。その解釈に至った考察を聞いてるんです」


 お笑い用語にも精通しているらしい。ますます、この美少女の内面が謎めいてくる。

 まぁでも、そこまで本気で聞いてくるなら俺も一人の人間として真摯に答えるべきだろう。


「勇者っていうのは、国や民を守るために命懸けで悪い奴らとと戦わないといけないだろ? 勇者として生まれたら、それ以外に道はない。生まれた後に勇者を志して、勇者になったとかならまだ分かる。だけど、実際そうじゃない。魔王を倒す勇者なんていうのは、決まって生まれた時から特別な力を持っている選ばれた者だ。勇者として生を受けた時点で、過酷な戦いが待ってるなんて理不尽で不憫すぎるだろ? だから、勇者というのは可哀想な人なんだよ。ま、空想の世界の話だけどな」


 俺が普通の高校生なら、勇者という言葉に漠然とポジティブな印象を抱いていただろう。

 だが、俺はハッキリ言って勇者が嫌いだ。勇者として頑張っている人のことではない。

 創作物の中の勇者には多少のシンパシーを感じるし、応援できる。

 俺が嫌っているのは勇者という言葉が持つ意味だ。


 『皆を守るために悪と戦う勇気ある者』


 多くの人がこういうイメージを抱いているだろう。そのイメージのせいで、勇者として生まれた人間というのは勇者であることを強いられる。偏った考えかもしれないが、俺は実際そうだった。勇者くんという愛称が付いたせいで、俺は常に周りから品行方正で正義感あるキャラクターを求められた。そのイメージにそぐわないことをすればメディアで叩かれる。 

 俺も勇者という言葉に苦しめられている被害者の一人なのだ。 


「これで満足か?」


 高校生にもなって、女子に勇者について真面目に語ったことが少し恥ずかしくなってきた。

 この場を早く立ち去りたい。


「もう用がないんだったら、これで──」

「はぁ……」


 ん?


 美少女、いや変更しよう、煎餅女は大きなため息をついて、さもガッカリという顔で俺から視線を外した。

 どうやら俺から満足のいく答えを得られなかったらしい。

 にしても、仰々しいため息だな。

 残りの煎餅を切り刻んで、あられみたいにしてやろうか。

 いや俺はもう高校生。寛容な態度で接しなければ。


「ま、まぁとりあえず、お互い新入生みたいだし、これからよろし──」

「それでは、私急ぐので。あなたも遅刻しない様にせいぜい頑張ってください」

「あ! ちょ、おい!」


 人に聞いたのなら、自分の勇者論も語るのが礼儀じゃないのかよ、全く。

 左右に揺れるポニーテールが遠のいていくのを、俺はしばらく呆然と眺めていた。


「って俺も急がないと!」


 煎餅女の思惑に考えを巡らすより、遅刻を避けることの方が大事だ。

 初日から遅刻して余計に目立つわけにはいかない。 

 俺は右肩に剣を乗せ、走って学校へと急いだ。

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