第43話 シノとの思い出
結局あの後シノに紹介された会社――組織かもしれない――にヨウは何でも記憶できる頭脳を買われ、バイトをすることになった。
バイトの内容は言われた薬をマニュアル通りに精製すること。慣れてきたら、応用して新しい薬をつくることも可だった。薬剤師免許がなくてもできたということから、日の当たる会社ではないことは火を見るより明らかだった。
裏社会というものは意外とすぐそこに転がっているものなんだと他人事のように思った。
母親の血を引いているからか、ヨウは実験能力にも長けていた。幸か不幸か。
その能力は本物で、ひと月も経つ頃にはヨウの実験室が夜の学校に作られたほどだった。
ヨウは正しく天才だったのだ。それは自画自賛でもあり、皮肉でもあった。
――ヨウがつくった薬をシノに渡す。その引き換えにお金をもらう。そうしてアオにできる限り不自由ない暮らしをさせてあげられた。
アオには、バイトの内容なんて言えるはずがなかった。アオも何かを察しているのか訊いてこなかった。
♢
そうして、シノとは”友達”よりも先に、”ビジネスパートナー”という名前のある関係になった。でも、友達のようによく話した。
シノとは同じ年こともあったこともあったのか、不思議と話がとてもよく合った。
初めて話すのに、まるで十年来の友達のようだった。友達がほとんどいない、というよりかは全くいないヨウにとっては新鮮だった。
でも、シノが不思議な少女であることには変わりなかった。親しくなればなるほど謎が深まるような少女。
♢
「シノも、あそこでバイトをしているの?」
とある日、ヨウはシノに訊いたのだ。どうしてバイトを紹介してくれたのかということも併せて。
その時、シノは遠い目をして話したのである。
「ええ、私の父がこの組織を運営しているから。娘の私はバイトというより、お手伝いという形だけれど……」
「え……?」
どこから突っこんでよいのかわからなかった。まず、シノの父がこの組織のトップであるということ。まあ、そこは百歩譲って目を瞑る。しかし。
「じゃあ、シノは社長――みたいな存在のお嬢様なのに、仕事を手伝わされているの? お嬢様って働きもせずに、執事なんかを侍らせていそうなものだと思っていたけど……」
そう言うとシノはころころと笑った。話してみると、シノはよく笑う少女だった。
「ふふっ、ヨウの妄想は面白い……。でも私は女だから、そこまで大したことはないの。長男であれば、私も威張ることもできたのだけれどね……」
その時のシノはどこか達観した表情を浮かべていた。その表情に踏み入ってはいけないような気がした。そりゃあ、こんな大きな組織を動かすような家族だもの、少しくらい闇はあるのだろう。男尊女卑だとかはまだまだあるのかもしれない。
「そっか。色々あるもんね」
「ええ。子供は、無力だから……」
そのシノの言葉がすっとヨウにも染み込んでいった。そうだ、ヨウは子供で無力だった。お金一つ稼ぐのにも苦労する。早く大人になりたかった。
おとなにはなれるのに。おとなにはさせられたのに。大人にだけはなれないなんて、どうにもうまくいかない。
だから、シノと話があったのかもしれない。抱えているもの、背負っているものは対極にも近いだろうに、そこだけは通じ合えたのだから。
♢
シノとは通っている中学校が違うみたいで、夜にしか会わなかった。ある日は路地裏で、ある日は夜の学校で。
そうしているうちにも時は残酷にも過ぎていくものである。秋に出会ったのに、季節はもうすっかり冬になっていた。冷たい風が朝も昼も夜も吹きすさぶ、そんな季節。年明けの冬とは違う、師走独特の寒さ。
そんな十二月末の凍てついたある日。夜の学校の、ヨウの実験室にて。
「ねえ、ヨウ。これあげる……」
シノが徐にヨウに差し出してきたのは、青白い小さな花だった。よく見るとクラゲのような形をしている。手で仰ぐようにして嗅ぐとほんのりと甘い香りがする。
「どうしたの、これ……。あっ、もしかして、これ、シノの手作り?」
「ええ、そうよ。やっぱりわかるのね……」
よく見ると青白い花は粘土細工だった。でも、それは後付けの結論。
「だって、こんな花、存在しないんだもん」
図鑑を読み漁って、名前のついているほとんどの花を頭にインプットしているヨウだから気付けたことだった。
「まあ、さすがヨウ。正解よ」
シノは嬉しそうに微笑んだ。シノの期待に沿った解答ができたらしい。
「よかった。それはそうと、どうしてこんな花をヨウに?」
この疑問は当たり前だろう。今日は誕生日でもなんでもないのだから。シノは意味深長な笑みを浮かべた。その笑顔がまるで仮面のようだと思った。
「さて、どうしてでしょう?」
愉快そうな笑み。悪戯っぽい笑み。こういうときシノは答えを教えてくれはしないのだ。
「……ヒントが少なすぎるよ」
「ヒントならそこら中に散らばっているけれどね……」
ますます意味がわからない。シノの雲のようなとらえどころのない言葉に、些か苛立ちを覚える。ヨウにわからないことはないはずだったのだから。
それが少しだけ表情に出ていたのだろう、シノは笑みをすっと自然に消した。ヨウから視線をそらし、どこか窓の外を見ようとする。偽物の窓にその先なんてないのだけれど。
「……そうね、その理由はヨウに知られたいような、知られたくないような気がする……」
「じゃあ、ヨウが解き明かすよ。隠しても無駄だからね」
そうやって自信満々に、まるで宣戦布告のように言った。シノは一瞬驚いたというような表情を浮かべた。それから一拍置いて、泣くように笑った。
「それは、嬉しいわ」
ひどく儚い笑みだった。最近シノはそういう笑みを浮かべるようになった気がする。
♢
その日からシノは何輪かずつ花を持ってきた。それくらいしかすることがないそうな。シノは最近学校にもあまり行っていないらしい。だからといって別にヨウとシノの関係に変わりはないのだけれど。
一輪の日もあれば、花束のような量を持ってくる日もあった。ヨウが実験している隣でそれを作っているときもあった。
そうして年が明けて春が目前になろうとしている頃には、青白い花たちが部屋を一杯に埋め尽くすようになった。
とはいえ、青白い花はヨウが手入れしなくても枯れない。当たり前だ。偽物の花なのだから。でもだからこそ、その部屋で永遠に咲き続けるのだ。一際美しく。
♢
――あれから一年経った今なら、シノの行動の理由がよく分かる。
シノは、ここにシノという人間が存在したという痕跡を遺したかったんだ。
だから枯れない花を作り、ヨウに渡し続けた。
この世からも、ヨウの記憶からも消えないように。
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