第15話 失われた記憶
「私の探し物は――私の記憶です」
どこか遠くで木々がざわめいた。
「――え?」
こんな間抜けな声しか出せなかった。
「ふふっ、ヨウもびっくりしますよね、こんな話。でもね、ヨウ。私には失った記憶があるんです。一ヶ月前になくしてしまったん記憶が」
一ヶ月前。何があったんだろう。一ヶ月前の記憶なんて朧げだ。何も思い出せない。
――何も思い出せない? この何でも憶えられるヨウが? しかもたった一ヶ月前のことを?
「――私は、その失われた記憶を探してこうやって毎週金曜日の夜に彷徨い歩いているんです」
記憶を探しているって。記憶ってそもそもどうやって見つけるのか。
疑問は尽きることがない。一ヶ月前に、何があったんだろう。どうして、その失われた記憶が何故学校にあるのか。どうやって記憶を探すのか。記憶とは探せるものなのか。探せるものなら探したい。
「ふふっ、このまま死んだら私、この学校の七不思議になってしまうかも。毎週金曜日の夜中に、記憶を求めて彷徨い歩く七不思議に」
ヨウが沈黙したからか、シノは笑いながら茶化して言葉を付け足す。
「……ちょっとまって、シノ。記憶ってどうやって探すの?」
「その方法を探しているんです」
「え?」
「ねえ、ヨウ。何か知りませんか」
全てを見透かしそうな深い瞳がヨウを捉える。そこに光はなかった。暗く冷たい深海が見える。吸い込まれそうだった。そして堕ちた先にはきっと何もない。
――どうして、ヨウに訊くの。どうして、ヨウが知っていると思うの。
それは言葉にならなかった。何よりも深い瞳がヨウを捉えて離さなかった。感情なんて読み取れない。口の中が渇く。瞬き一つ出来ない。全ての物音が遠ざかる。ここはどこかなんてどうでもよくなった。
もう目の前の瞳しか見えない。シノしか、見えない。
そこにあった感情は畏怖だとか恐怖だったかもしれない。
「なんて、ヨウが知るわけないですよね。すみません、変なことを言って」
存外シノはあっさりとヨウから視線を外した。途端に、身動きがとれるようになる。何が起こったかわからなかった。だって目の前には、いつものように柔らかく微笑んだシノしかいなかったのだから。
「ううん、大丈夫。……ごめん、何も知らなくて」
あはは、とさっき抱いた感情を誤魔化すように笑う。シノも笑った。
「こちらこそ突然訊いてすみませんね。少し宝探しが進退窮まっていて。卒業までにこの記憶を見つけないといけないのに、なかなか成果が上がらないから少し辟易していたところだったんです」
「卒業?」
今、二人は中学三年生だった。今は夏休み前。余裕であと一年を切っている。
「ええ。卒業までがタイムリミット。それを過ぎたらダメなんです」
ダメってなんだろう。
「どうして」
「約束をしたんです、ある人と。でも、そのある人も思い出せないんです。きっと彼女は失った記憶の中にいます」
彼女は。どうして、女だと判ったんだろう。
でも、これは口にしない方がいい気がした。理由はない。ただの直感。
「そっか。約束なら、仕方がないね。急いで探さないと」
こういう謎の多いことには下手に口出しをしない方がいいのだ。経験で判っている。
「ええ、だからヨウにも協力してもらえると助かります」
「いいけど……でも、どうしてヨウにそんな話をしたの? っていうか、してよかったの? 他にも適任はいたんじゃ……」
「そう思いますよね。迷惑だったらすみません」
すっくとこちらを見据える。先程の洞のような瞳ではなく、今度は様々な感情の渦巻いた瞳。でも、器用にそれを全て混ぜ合わせていた。だから、綺麗だった。
「――でも私は誰かが一緒に探してくれるなら、ヨウ、貴方がよかったんです」
そういってこちらの手をスルりと掴んでくる。いつぞやの日と同じだ。これでは逃げられるはずがない。こんな綺麗な顔に頼まれたらなんでも引き受けてしまう。
もし、私が男だったら、恋に興味があったなら、恋に落ちていたのかも。
なんて思うくらいにはシノは距離の詰め方が上手だった。
そもそも恋に興味がなくてよかった。でなければ間違った感情を抱いてしまいそうだった。でも、少なくともどきどきはする。これが、シノの魅力だった。これは別格。自分の魅せ方を解っている美人は最強なのだ。
「……、そんな、大袈裟な……。でも、いいよ」
神は出来ない試練は与えない。
これを初めに言った人は誰だっけ。
取り敢えず、これはヨウに課された試練だ。この試練からは逃れられない。逃れてはいけない。何となくそう思った。
何となく? 何故?
わからない。けれど、確信にも近かった。まるで、何かの経験に基づいた判断のような感じ。でも、どんな記憶か皆目思い出せない。
――ヨウにも、失った記憶がある。
以前にも思ったことが確信に変わってゆく。むしろ、記憶を失っているのはヨウの方かもしれなかった。
でも、今はそんなことは関係ない。そんなことに引っ張られるようでは、ヨウの望む大人にはなれない。ヨウはどんな大人になりたいか?
そんなことはこどものヨウにわかる筈もなかったけれど、少なくとも自分のことにばかり焦点が行くような大人にはなりたくない。勿論、自省は大事だけれど。
「うん、ヨウでよかったら協力するよー」
「まあ、ありがとうございます」
ぱああとシノは表情を明るくする。
「ヨウならそう言ってくれると思っていたんです。だから話したんですけれど」
この少女はヨウに欲しい言葉を的確に与えてくる。
――シノは、ヨウに何を期待しているんだろう。
そう思うほどにはシノはヨウを信頼しているように見えた。あくまで主観だけれど。そう信じたいのかもしれない。
所詮、承認欲求。誰かに自分の存在を認められたいだけなのだ。
貴方にしかできない、貴方だからできる、貴方じゃないとダメ。ただ、そう言われたいだけなのだ。でも、その感情は行きすぎると毒。だから蓋をする。ヨウは賢くありたいから。
「出来ればこの話はご内密にお願いします。まあ、多分誰かに言っても何を言っているのかと一蹴されて終わりそうですけれど」
「大丈夫、言わないよー。いうメリットもないし」
「ふふっ、そうですよね。ありがとうございます」
「で、まだ半信半疑なんだけど、記憶ってどうやって探すの?」
そういうとシノは小首を傾げる。
「あれ、忘れてしまったんですか」
「何を……」
――何を、言っているの。忘れたって?
そう言おうとして、言えなかった。口が渇きすぎていた。
「私とヨウは、以前一緒に過ごしたじゃないですか」
それさえも忘れたんですか。
そういってシノは愉しそうに笑った。
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