第6話 転入生
「それじゃあ、私も学校行ってくる」
父の出社後ほどなくして、シカも家を出た。
カグヤもシカと共に学校へ通うことを望んだが、手続き上の問題が発生して却下された。
当然カグヤは不満を漏らしていたが、シカは安心した。カグヤと共に学生生活を過ごせるなら、きっといつもとは違い賑やかなものになるだろう。一切口を開かず、放課後には声が掠れるということもない。しかし周囲がそうしないことは容易に想像できた。カグヤは目立ち過ぎるのだ。人種に属しない見た目も、好奇心旺盛で無垢な中身も。学校に通うまだまだ未熟な学生たちは、親に刷り込まれた純血主義によって外見的調和を保っているが、実際は個性を前面に出したい者で溢れかえっている。髪型や服装だけでなく、髪を染めたりカラーコンタクトをすることで無所属であろうとする。親や世間の目、そして群れでいようとする孤独への恐怖さえなければ。思春期とはそういうものだ。そういった意味では、シカは羨望の目で見られていた。そして分かりやすいアイデンティティを持った嫌がらせの対象でもあった。カグヤもそうなるに違いない。
今日のドナウ川は晴れた空を反射してブルーに輝いていた。いつも通りの嫌味ったらしい景色にシカは平常を取り戻す。
橋を渡って三つ目の停車地点でバスを降りた。ギムナジウムの最寄りから一つ前のバス停だ。シカは毎朝バス停一つ分、余分に歩いて登校している。
ウィーン中心部のギムナジウムに通うシカは、いつも授業開始ギリギリの時間に登校していた。
父や祖母に送迎されていたときは決まって一番乗りで教室に入る。そして席順に決まりがないため適当に座って一人読書をしていた。徐々に生徒が増えると、仲良し同士で席につこうとするグループから一人、どうしてもシカに席を譲ってほしいとねだるような視線を向けられるのだ。その視線はおおよそ悪意を持ったものであったが、たまに申し訳なさそうなものもあった。それならはじめから座る席を固定すればいいのにと思ったが、生徒の数や教室、各グループの定位置まで毎回違っていたため、シカは席の移動を強いられていた。テトリスが得意な人でも、はじめから移動する必要のない席を当てるのは難しいだろう。
一人で登校するようになったおかげで、その手の問題に直面することはほとんどなくなった。歩くことで十分に目が覚めた状態で一限目の授業を受けられるから一石二鳥だ。以前バスが定刻より遅れて、他の生徒と共に最寄りで降りることがあるが、走って校舎に向かう生徒にかかとを踏まれたり、誰からも声をかけられないことで孤独であることを強調させられたりと、この上なく不快だった。それからは遅刻して内申点に影響することを覚悟で、一つ前のバス停で降りるようにしている。幸いにも、まだ遅刻をしたことがない。
教室に入って空いている席を確かめた。後方三列目の中央。並んで二席空いている。一限目の物理を担当する教師が、特にターゲットにしやすい席だ。シカは温厚なグループに近い席を選んで座った。
一息つく間もなく教師が入ってくると、その後ろを青年がついて来た。ブロンズヘアーにグリーンの髪。オーストリア人に一番多い容姿だ。
「今日からこのクラスで勉学を共にしてもらう。自己紹介をしなさい」
教師の隣に立つ青年は、紹介に預かって明朗に声を出した。
「今日からB組で一緒に勉強します、マリア・グルーバーです。よろしくお願いします」
拍手。マリアと名乗る青年は一切緊張している素振りを見せず、二十四人の生徒から注目を集めても堂々としている。当たり前のように容姿端麗。ダブルブレストジャケットを着ていることや佇まいから、マリアが男だということが分かるが、顔はまだ幼さが残っており中性的だ。名前だけ聞けば女だと思うかもしれない。雰囲気に関しては隣に立っている物理教師と同じくらい落着き払っていて大人だった。
マリアは唯一空いているシカの隣の席に座った。机に置かれた教科書が強制的にシカの視界に入る。使い古されているが色あせてはいない。
シカは予定外のイベントが嫌いだった。転入生は初めてだが、その一つに含まれている。
素直に楽しめない。その原因はおおかたクラスメイトだと思っている。休み時間にイベントを囲ってシカには見えなくするクラスメイトの。そうして徐々に孤立するのだ。せめて事前告知があれば覚悟の上で参加できるのに。
授業が始まると、転入生を構う小声がちらちらと耳に入った。授業の進度や教科書のページ、新学期が始まってから今までにとったノートを見せる約束。頼まなくても周りが最適な環境を提供してくれる。これだから容姿ファーストは、とシカは思った。
休み時間になると、マリアを囲むようにして瞬く間に群れが出来た。授業終了と同時にそそくさと教室を出たシカは、廊下まで聞こえる談笑とマリアの明朗な声にしばらくはイベントが続くことを覚悟した。一足先に二時限目の教室に移動する。
今更純血主義が一人増えたくらいでどうってことはない。声は大きいが、他のクラスメイトと同じようにこれから関わる事はないのだから、自分はいつも通りに過ごしていればいい。
しかしシカの予想は大きく外れることとなった。
「シカ・ブルーナーさんだよね」
放課後、明朗な声にシカは振り返った。マリア・グルーバーだ。
今日、もしかしたら今後クラスの主役となり続けるかもしれない青年がシカのすぐそばまで近づいてくる。
クラスメイトのほとんどは既にバスに乗っているか、反対方向の街へ遊びに行っているはずだ。シカは軽い運動ついでに遠回りをして雑貨店に向かうつもりだった。
「どこに行くの」
「雑貨店。グラスを買いに行く予定」
「そっちは公園しかないよ、反対方向じゃない?」
「知っている。知っていて遠回りしている。あなたは?今後の交友に大事な転入初日の放課後を、こんな偏屈な人間に費やすのは効率が悪いんじゃない?」
「そう?クラスメイトの中でまだ話していないのはシカ・ブルーナーだけだから、今後の交友のために話しかけたんだけど」
シカは驚いた。今までそうやって声をかけられたことがない。格好から裕福な家の出だろうから、純血でない者に対してはぞんざいに接するとばかり思っていた。差別に対して厳しい教育を施されたのだろうか。まさか。
「あいにく、私があなたと話す気がない。デメリットが大きい」
「デメリット?クラスで浮いている君と話すことがデメリットになるの?」
まるで純粋無垢な問いだった。しかし無神経でもある問いはシカの心を確実にえぐる。
「そう。私がクラスで浮いていることを分かっているなら、あなたもそうならないよう大多数に合わせるべき。あなたは純血なんだから、私と話さなくても居場所があるでしょう」
「いや、だからクラスメイトの中でまだ話していないのは君だけなんだ。それに」
くぐもったノイズがマリアの言葉を遮った。大気を切る音、飛行機よりも大きいこの音は——ロケットが打ち上げられたのだ。
マリアは数十秒間シカと目を合わせ続けた。ロケットの打ち上げ音が聞こえなくなってから、マリアはゆっくりと告げる。
「純血なんかじゃない。僕はあのロケットが向かう先から来た。カグヤと同じようにね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます