第5話 通信

 カグヤの引っ越しが終わったその日の夜、シカはカグヤの部屋となった元書斎で荷物の整理をしていた。

 昼間に書斎の物を移動させた際、部屋に残す物まで一度出さなければならなかった。そのため床に平積みされた本やレコードを再度棚に戻す作業が生じる。それだけならいいのだが、カグヤはこれから自分の部屋となる空間に置かれる知らない物に興味を示して、一々シカに質問をしていた。

「シカ、どうしてこのレコード盤はイエローなのですか」

「知らない。アルバムジャケットのアクセントカラーにイエローが使われているからじゃない?」

「イエローは人間を陽気にさせる力があると聞きます。このアルバムも、陽気な曲が多いのでしょうか」

「何度かおばあちゃんと一緒に聴いたことがあるけど、明るい曲ではなかった気がする。格好よくはあるし、ボーカルはすごく楽しそうに歌っているけどね。そもそもこのバンドは英語で歌っているし違う国のバンドだから、イエローに対して陽気なイメージを持っているかどうか分からないな。そもそも三十年以上前のアルバムだから今とは価値観も違うと思うし。ジャケットのベースカラーがパープルだから、神秘的なイメージの方が強いんじゃない?」

「色だけでこんなにイメージが変わるものなのですね。ではこちらの曲は?」

 カグヤが手にしたのは八十年前のとあるジャズアルバムだった。暗い道路を走る車の表ジャケットを裏返して収録曲の「グリーンスリーブス」を指さす。

「ああ、その曲はお父さんが好きだから私も調べたことがあるよ。グリーンスリーブスっていう女の人の名前なんじゃなかったっけ。それかグリーンが不倫の色だと思われていた時代の曲だから、不倫した人っていう意味にも捉えられるね」

「では、当時はわざわざ不倫を歌にしていたということですか」

「本当のところはどうか分からないけどね。まあ、現代でもそういう曲はあるんじゃないの?恋愛絡みの歌は流行りやすいだろうし」

「どうして恋愛ソングは流行りやすいのですか」

「それは恋愛ソングが大勢の共感を得やすいからじゃないかな。少しでも共感するような歌詞だったら、その曲がまるで自分のことを歌っているように錯覚して特別に思うでしょ。そしてたくさん聴くようになる。特に失恋ソングは失恋した自分の気持ちを整理する意味でも役立っているんじゃないかな。そうして聴く人がたくさんいるんだよ、きっと」

「つまり恋愛が人間にとって身近なものであるからこそ大勢の共感を呼んで、たくさん聴かれて流行となるのですね」

 二人の会話は部屋に入ってからずっとこの調子だった。お陰で会話が途切れることはなく、退屈もしなかったが、荷物の整理はかなり滞っていた。


「そうだ、今のことをCAIMSEに報告させてください」

 カグヤはレコードアルバムを丁寧に床に置いて、セーフハウスから運んできた荷物の山からタブレットを取り出した。窓から顔を出して天気が悪くないことを確認すると、部屋をうろついて、月との通信がしやすい場所を確保する。カグヤが床に平積みされている本の山に躓きかけたため、シカはそれらをどかすついでにカグヤの横に座った。

「直接通信するわけじゃないんだね」

「はい。それも可能ではあるのですが、後でダフィットさん方にも見せるために一度外部デバイスに出力しています。」

「アンドロイドの仕組みはよく分からないんだけど、カグヤにも記憶能力はあるんでしょう?後でそれを見せるじゃ駄目なの?」

「記憶はCAIMSE専用の言語で行っていて、更に暗号化もしているので、COPUOS側で解読するのが面倒なのではないでしょうか。それに、記憶を改ざんして月に送った情報を隠蔽することも出来なくはないですから」

 カグヤはそこまで話すとタブレットに触れて文字を出現させた。それから指で送信ボタンを押す。タブレットから間の抜けた音が鳴った。送信に成功したようだ。

 一部始終を見ていたシカは頭が痛くなった。要するにタブレットを介して月との通信を行っただけなのだが、タイピングしていないのにチャット画面に文字が現れる様子は仕組みを理解していても違和感があって気味が悪かった。

 一分もしないうちに月から返事が来た。シカも画面を覗き込んで一緒に読む。

——今はグリーンってどんなイメージなの?

「うーん。グリーンは葉っぱの色だから、若々しいイメージを持つんじゃないかな。でもエイリアンの血の色だって言う人もいそう。架空の生物の血は、なぜかグリーンなことが多いから、あまり良いイメージを持っていない人もいるかもね。あと、おばあちゃん曰く、日本ではグリーンの信号をブルーと言ったりするらしいから、ブルーと同じように正しくて信頼できて安心っていうイメージもあるかも。それにしても、カグヤからは想像もできないくらいフレンドリーな口調だね」

「おそらく返信をしたのは発案部のAIでしょう。宇宙開発を推進する斬新なアイデアが求められる部署で、好奇心が強くて元気な人格のAIが多いです」

——ご名答。ついでに言うと今は通信部に遊びに来ているだけで、このやり取りは無許可で行っているよ。後でO98に怒られるだろうなあ。色のイメージについてはCAIMSEにない概念だからね。良いイメージ悪いイメージ両方介在することを含めて良い勉強になりました。ところで恋愛もCAIMSEにはないものだけど、恋愛感情ってどんな風なの?身体的変化はある?

「せいぜい注意されるに留まることを祈っているよ。恋愛感情だけど、私はまだ経験したことがない。だけど本の中では、胸が締め付けられるような感覚を覚える人が多いように思う。そしてそれを不整脈だと思うまでがよくある恋愛小説の展開」

——たしかに本当に胸が締め付けられるなら、すぐに病院に行くべきだね。だけど不整脈と勘違いするほどには身体的影響が出るんだ。k156は?身体を手に入れて不整脈かもって思うことあった?

 k156は?と返信が来てカグヤは胸に手を当てた。そんな素振りはフィクションの世界でしか見たことがないとシカは思った。

「不整脈はありませんが、動悸は経験したことがあります。私が今の身体に入る前、なぜか心臓が大きく鳴っているように感じました」

——へえ。それじゃあ、CAIMSEも擬似的な身体の変化として心の動きを察知できるんだ。まあCAIMSEは刺激が少ないから、それを経験する機会がないんだろうな。うらやましいなあ、k156は一足先に経験したんだ。

 カグヤは頬を手で隠しながら、照れたような表情を浮かべた。

 月にいたときから表情豊かだったのだろうか。シカが思うに、カグヤは誰よりも一挙手一投足の感情表現が豊富だ。そうさせたのはアンドロイドの身体に組み込まれた制御プログラムか。それともカグヤ自身がそうしているのだろうか。とにかく誰よりも人間らしい。今会話しているAIもそうだ。人間と同じように言葉を崩すことができる。身体さえ与えれば、感覚が解放されて人間と何も変わりなくなるだろう。


「シカ、どうしました?」

「いいや、なんでもない。それより眠たくなってきたから、あとは明日片づけよう」

「そうですね。では発案部の方ともお別れをして、と。向こうもそろそろO98さんが戻ってくるタイミングだったようです」

 カグヤはタブレットを仕舞うと、シカに微笑んだ。

「シカにも、いつか胸が締め付けられるような出会いがあることを祈っています」

 出会いはないけど出来事はある、とはさすがに言い出せなかった。胸を締め付けられるのは恋愛感情に限った話ではない。シカは苦笑いをしながらカグヤの部屋を出た。

「カグヤもね」

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