第3話 人格
祖母が帰宅してから、別室で電話をしていた父がリビングに戻ってきた。リビングに戻る前に着替えたらしく、先ほどよりもゆったりとした雰囲気だった。
「カグヤ、今回のことをレポートにできるか」
「はい、可能です。レポート出力を行うために、一度セーフハウスに戻る必要があります」
「それについては僕のパソコンを使うといい。セーフハウスには明日行こう」
「承知しました」
カグヤは父に招かれて別室に移動した。リラックスウェアで職場の部下のようにカグヤに接する父を見て、シカはなんだかちぐはぐだと思った。しばらく一人でくつろいでいると、今度は父だけ戻ってきて、リビングにはシカと父の二人きりになる。
「さて、お父さんからシカにお願いがあります」
向き直ってかしこまる父に、シカは嫌な予感がして無視しようとした。しかし真剣そうな父には抗うことができず、シカは頷くことしかできない。
「カグヤが実は、お父さんが働いているところのアンドロイドだということは分かったよね。カグヤが地球に来た目的はもう聞いたかな」
「聞いた、一応。月のAIに新しい人格を導入したいんでしょ」
「そうだ。そのために、カグヤにはシカと一緒に暮らしてもらおうと思う」
ビンゴ。シカの予想通りだった。きっと父が職場に電話したのも、カグヤについての報告だけでなく、ブルーナー家に居候させる許可を得るためだったのだろう。もし父も祖母やカグヤと同じく運命の出会いだと言うのなら、シカはどのように自虐して否定しようか考えていた。そしてそれを言うべきタイミングに向けて、シカは質問を続ける。
「言うと思った。カグヤに私の人格を学習させる気でしょ。どうして私なの」
「シカが一番信用できるから、かな。それにカグヤを他の人に任せても、ろくな人格にならないことは、シカが一番分かっているんじゃないかい?」
今度は予想に反していた。しかし父が言うことも図星だった。シカが一番危惧していたことは、カグヤが他の手に渡って純血主義に染められることだった。もしカグヤをアンドロイドだと知らない純血主義者の元に居候させたら、家主はカグヤのことをぞんざいに扱うかもしれない。そうなればカグヤは月に意地の悪い人格を持ち帰るだろうし、CAIMSEも破滅まっしぐらだ。純血主義にはカグヤを任せられない。だからといって、シカは自分の人格を学習させるのも嫌だった。失敗作の人格をカグヤによって浮き彫りにされるのは、何よりも耐えがたい恥だと思った。
「分かっているけど、お父さんだって私が嫌がることくらい、分かっていたでしょ」
「ああ、分かっているつもりだ。シカのためを思って、じゃ都合よすぎるかな。正直に話すと、地球にはカグヤ以外にもCAIMSEから派遣されたアンドロイドがいるんだ。誰かの家に居候しているアンドロイドもいれば、独立して活動しているアンドロイドもいる。彼らに関わる人間は、少なからずシカが嫌うような差別者ではないよ」
「それじゃあ、どうして」
「シカは何事も悲観的に捉える癖があるだろう。自覚していないだろうけど、お父さんはシカのことをそう思っている。既に学習した人格には、まだそのようなものはない。それにCAIMSEの人格を作った人は、シカとは真逆の性格だからね」
悲観的だと言われて、シカは肩を強ばらせた。その通りだ。物事を悪い方向に考えて、行動することを諦める。それは人間関係で身に着けたスキルだ。学校でも塾でも、どう頑張っても友人が出来ないことを学んだ。会話に参加するどころか、何度も教師や同級生に貶められた。それなら何も期待しない方がいい。はじめから悪い方向に考えて、運が良ければサプライズ的な喜びがある方がどんなに楽だろうか。しかしその考えでは、人は前に進めない。シカもそんなことは承知だった。だからこそ宇宙開発の未来を担うCAIMSEに人格を学習させたくない。シカは奥歯を噛みしめて質問を続ける。
「どんな性格なの。その、CAIMSEを作った人は」
「彼はいわゆる天才だったよ。数学や物理の問題を間違えたことがないらしい。失敗を知らないんだ。だからいつも自信に満ち溢れていて、楽観的。もちろんAncestorと呼ばれるCAIMSEの元祖も、同じような性格だ。同一人物なんじゃないかって思うくらい」
「私に拒否権はある?」
「本当に嫌なら。とりあえず数日一緒に過ごしてみてほしい。友人のように接するだけでいい。それでも嫌だったら、カグヤには出て行ってもらおう」
結局、シカは父に根負けしてカグヤと共に過ごすことになった。翌日、カグヤの引越しを手伝うため、父が運転する車にカグヤと乗ってセーフハウスに向かう。車はCOPUOS の公用車だ。父はシカが一人で外出するようになってから車を売った。元々シカの送り迎えにしか使っていなかったため、不自由になることもなかった。久々に運転する父の姿を見てシカは嬉しくなったが、いつも座っていた助手席ではなく、カグヤと一緒に後部座席に乗せられたことで、囚人としてどこかに連行されているような気持ちになってしまった。
「運命の出会いって言ったって、私は何もしてあげられないよ」
父に会話は聞かれないだろうと思って、シカがカグヤに話しかけた。車内では父が好きなチェット・ベイカーのアルバムが流れている。音楽を真剣に聴いていたカグヤは、シカに話しかけられると瞬時にシカの方を見た。それから嬉しそうな表情を浮かべて答える。
「いいえ、何もしなくていいです。ただ私と一緒に過ごしてくれれば」
「だから私と過ごしても、ろくな人格にならないって」
笑顔のカグヤを見て、シカはカグヤがAncestorから楽観的な性格を受け継いだのだろうと思った。それなら昨日、路地裏で呑気に雨宿りをしていたのも頷ける。しかしアンドロイドだというのにどうして方向音痴になったのだろう。迷子にならない機能くらいあってもいいと思うのだが。
「そういえば、どうして天気が悪い日には方向音痴になるの?太陽の向きで方向を把握していたわけじゃないんでしょ」
「はい。私が方向音痴になるのは、月が隠れてしまったときです。CAIMSEは地球から見ることができる月の面に拠点を置いています。CAIMSEと連絡するときだけでなく、インターネットやGPSなどの通信も全て月を介して行っているので、昨日のように天気が悪いとマップが手に入らなくて方向が分からなくなってしまうのです。ウィーンは降水量が少ないので、油断していました。今はマップをダウンロードしたので、方向感覚は完璧ですよ」
自信満々そうに力こぶを見せるカグヤに、シカは吹き出しそうになった。なんだ、カグヤは想像と違って早速失敗しているじゃないか。CAIMSEにAncestorから徐々にずれた人格が生まれるなかで、カグヤはおっちょこちょいな性格に分派したのだろう。それなら、カグヤには悲観的になるまで考え込む私の性格が丁度いいのかもしれない。そう考えるだけでシカは安心できた。はじめは良き理解者が欲しかっただけなのに、互いに見た目がちぐはぐで、性格が正反対な隣人ができたなんて、夢みたいなことだった。
「カグヤ、そのポーズはマップが使えるようになってもしないと思う」
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