第142話 私に遠慮なんて、しないで
階段を上りきると、ウォータースライダー待ちの列ができていた。と言っても数組だけだから少し待っていればすぐに順番がまわってくるだろう。
俺は那月さんをチラリと見て、名残惜しい気持ちもありながら、ゆっくりと那月さんの手を離して列に並んだ。
「……」
一瞬見た那月さんの表情がちょっと残念そうに見えたのは俺の勝手な、都合のいい解釈が見せた幻だな。一瞬だけだったから本当にそんな表情をしていたかも怪しいし。
少し遅れて俺の横に並んだ那月さんの顔はいつも通りの表情だった。
次が俺たちの番……前のカップルが係員の指示通りに動いている。
なるほど、ふたりで滑る場合はふたり用の黄色いフロートに乗るのか。手すりもついているから安全なんだけど、一つ問題がある。
あれ……俺は前と後ろ、どっちに乗るべきなんだ?
座って乗るタイプなら、さして問題もなかったけど、これは寝転がって乗るタイプだ。しかも厄介なことに、フロートの大きさ的に後ろの人は足を広げないと前の人が乗れない。
どうやら前のカップルは女性が前で、男性が後ろになって乗るようだ。
よほど仲がいいカップルなのか、彼女さんは平然と彼氏さんのお腹を枕のようにしている。
俺は脳内で、前のカップルを俺と那月さんに置き換える。
那月さんが俺のお腹を枕に───
「っ!」
いーやこれはダメだ! 何がとは言わないがとにかく色々ダメだ! プールを楽しんでいる那月さんを不快にさせてしまう! 嫌われてあの家を出て行ってしまう未来まで
「ふたりだとアレに乗って滑るんだね」
那月さんが前のカップルが乗っているフロートをふむふむと観察している。普段あまり見ない表情だからちょっと新鮮だ。
あ、那月さんがこっちを見た。このあと聞いてくるであろう質問も予想できてしまった。
「ねえ祐介くん。アレ、どっちがま───」
「お、俺が前に乗るよ!」
「……へ?」
うん。予想通りだ。
那月さんは俺が食い気味に答えたのにびっくりしているようだ。心の中で悪いと思っているが、ここは譲れない!
「と、とにかく俺が前に乗るから! 那月さんに嫌な思いをさせないためにも……!」
「? う、うん……わかったよ」
よ、良かった……ゴリ押しだけど那月さんも了承してくれた。
これで最悪な未来は回避できた!
俺が前になることが決定したが、もちろん那月さんのお腹に頭を乗せることはしない。かといって上体を起こしたままだと、那月さんは景色を楽しめないし、それ以前にトンネルになっている所は通れない。
だからお腹に力を入れて頭を浮かせる。幸いにも手すりがついているから、その体勢でもある程度は楽なはずだ。
そしていよいよ俺たちの番がやってきて、直前に話した通り、俺が前になる。フロートに乗る時に那月さんにドキドキしたが、なんとか顔に出さずに乗れた。
両サイドを見ると、那月さんの綺麗な脚があってまたドキドキするが、今は考えるな。
手すりをしっかり持って、お腹に力を入れる……ふん!
「ではいきますよ」
「お願いしま───」
「待ってください」
スタッフさんがいよいよフロートを押し出す直前、那月さんがそれを止めた。
なんで止めたんだろう? この体勢も長くは持たないし、この男性スタッフさんも那月さんを見てドキッとしてたから早く流してほしい。
「……那月さん?」
なんで止めたのかわからず、そのままの体制で那月さんを見ると、直後、那月さんの両手に俺の頭が挟まれた。
「!?」
なぜいきなり頭を持たれたかわからずにいると、那月さんは俺の頭を自分のお腹に乗せた。
「!?!?」
な、那月さんのお腹に……ラッシュガード越しとはいえ、那月さんのお腹に俺の頭が……!
「な、那月さん……!」
「いいから。私に遠慮なんて、しないで。ね?」
「っ!」
そんな慈愛に満ちた笑顔を見せられては、俺はもう何も言うことはできない……。
「う、うん」
俺は抵抗するのをやめた。
「すみませんお願いします」
「わ、わかりました。ではいきます」
スタッフさんの声の直後、俺たちが乗ったフロートが動き出した。
思っていたよりもスリリングな箇所があり、びっくりしてちょっと大声を出してしまったが、那月さんは案外と平気みたいで、「きゃー」と言ってはしゃいでいるように感じた。
滑っているうちに、いつしか那月さんのお腹に頭を乗せていることも忘れて、ウォータースライダーを楽しみ、滑り終えると俺たちは向き合い、「楽しかったね」と笑いあっていた。
そのあと、マッチョな人たちの出場するボディービル選手権を見たのだが、松野さんたちは優勝こそできなかったが、三人とも入賞を果たしていた。
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