第140話 嬉しいに決まってます!

 流れるプールを堪能した俺たち四人は、また違うプールに向かうために移動していた。

 ちなみに那月さんはまたラッシュガードを着用している。

「ねーねー、次はどこ行く?」

「波のプールなんてどうだ?」

 あの人工で波を発生させるプールか。いいと思う。

「行きたい! 祐くんと那月さんは?」

「俺もいいよ」

「私もです」

「決まりっ! じゃあ流れるプールに向けて、しゅっぱ───」

 満場一致で決まり、椿が握りこぶしを天に掲げて号令を出そうとしたけど、それがピタリと止まった。

「椿さん? どうかしました?」

 みんなが不思議に思いながら、那月さんが声をかけた。

「あれ、デッキチェアで寝てるの、真夕さんじゃない?」

 椿が指さした方向を見ると、確かにマユさんがデッキチェアに寝転がって優雅にトロピカルなジュースをストローで飲んでいた。しかもサングラスまでかけて……どこのセレブだ?

「本当だ……って、あれ!?」

 マユさんにも驚いたけど、マユさんの周りにいる人たちにさらに驚いた。

「ね、ねぇ那月さん。マユさんの周りにいる人たちって……」

「う、うん。間違いないよね」

 というか見間違うはずがない。あのボディービルダーのようなムキムキな体のブーメランパンツの三人組は、喫茶店『煌』にいたマッチョな人たちだ!

 彼らもここに来ていたんだ。なんという偶然……。

 というかマッチョな人たちの飲んでるものって……あれ、まさかプロテイン!?

 え、ここまで来てもプロテイン飲んでるんだ!? どれだけ体を鍛えたいんだあの人たち!?

「なんだ祐介? あの人たちと知り合いか?」

「あ、あぁ……まぁ……」

「那月さんも?」

「はい。バイト先によく来てくれる人たちです」

 那月さんは椿にそう言うと、四人のいる方へと歩きだしたので、少し遅れて俺たちも後を追う。

「真鍋さん、津乗さん、千代原さん!」

「あら那月ちゃん! やっほー」

「「「!」」」

「マユちゃんがいるから、きっと那月ちゃんもいるって思ってたわー!」

「「「!?」」」

「あ、祐介くんもいるじゃない! お久しぶりね~」

 千代原さんは俺に向かってなんか可愛らしく手を振った。

「お、お久しぶりです……」

「「……」」

 この人たち……まさかオネエ系の人たちだったなんて。初めて会った時に、素を出してない雰囲気はあったけど、なるほどこっちが素なんだな。

 というか……今更だけどこの三人の名前……というか苗字もマッチョなんだよなぁ……。

 それから司たちと真鍋さんたちはそれぞれ自己紹介をしたんだけど、あの元気いっぱいの椿がたじろいでいるのはすごく珍しかった。

「それにしても、こんなところで会うなんて奇遇ですね」

 那月さんが真鍋さんたちにすごく気さくに話しかけてるけど、那月さんって最初この人たちを見た時の反応ってどんなのだったんだろう?

「本当ね。でも、あたしたちもただここに遊びに来たわけじゃないのよ?」

「プロテイン飲んでましたし、まさかここでもトレーニングを!?」

 レジャー施設でトレーニングなんて……どれだけ体を鍛えたいんだこの人たち?

 津乗さんはそばに置いていたフライヤーを手に取り、俺たちに見せてきた。

「これに出場するために来たのよ!」

「なになに? 『第三回 ボディービル選手権』?」

 え、ここって今日、そんなイベントやるの!?

 マッチョな人たちはおもむろに立ち上がった。

「そ。それに出て優勝を目指すのよ!」

 そしてマッチョな人たちはマッチョなポーズを取った。

「あれ? でもどこでやるんですか?」

 司の言う通り、大会をやるにしてもステージは見当たらない。まだこのプール施設の隅々まで行ったわけではないけど、一体どこでやるんだ?

「司くん。あれを見て」

「え?」

 千代原さんが指さしたのはここの端っこの方……俺たちがまだ行っていないエリアだ。そこには確かにボディービルの大会のステージがあった。

 でも、なんであんな端っこ?

「ここはあくまでプールを楽しむ施設だから、こういう場所でこういう催し物が開かれるのなら、ステージは端の方に作るしかないのよ」

「小さい大会だけど、それでも日頃鍛えた体を披露するチャンス……しっかりと結果を残したいわね」

 そしてまたマッチョなポーズを取る真鍋さんたち。息ぴったりだなこの人たち。

「頑張ってください。応援してます」

「ありがとう那月ちゃん」

 那月さんの激励にお礼を言うマッチョな人たち。千代原さんはウインクのおまけ付きだ。

「というかマユさん。優雅にジュースを飲んでますけど、いつからそこに?」

 俺はマユさんに意識を向けた。俺と那月さんが流れるプールに入った時にはいなかったから、それより前に一人でここに来てたんじゃあ……。

 マユさんは俺の質問にすぐには答えず、またジュースをちゅーっと飲み、グラスを置いたあと、ゆっくりと上体を起こしてサングラスを取った。ちょっとニヤリとしている。

「君たち二組のカップルの邪魔しちゃ悪いと思ってね。途中から別行動をとることははじめから決めてたのさ」

「カッ……!」

 俺は『カップル』という単語を聞いて顔がめちゃくちゃ熱くなってしまった。

 俺は嬉しいけど、那月さんはそう思われて嫌な気分になるんじゃ……。

 俺はおそるおそる那月さんを見ると、那月さんは頬がポッと赤くなってちょっと驚いているようだった。これだけでは那月さんの心境が読み取れないが、少なくとも嫌な思いはしていないと信じたい。

 というか、訂正しとかないと……!

「マユさん。司たちはそうですが、俺たちはカップルじゃないですからね!」

「祐介くんはこんなめちゃかわ美人の那月さんとのカップルは嫌だと?」

「誰もそんなこと言ってないじゃないですか! 微妙に話をすり替えないでくださいよ!」

「じゃあ嬉しいと?」

「うぐっ……そ、それは……た、大変、光栄というか、なんというか……」

 軌道を修正できない。マユさんに追撃されて、その勢いを削がれてしまった。

 俺の態度を見て、マユさんは「はぁー」と大きくため息をついた。

「過去のトラウマがあるのは私も重々承知してるけど、嬉しいか嬉しくないかは言えるでしょ。ほら、那月さんも待ってるから思い切って口にしたらどうだい?」

「え?」

 那月さんが待ってるって……どういうことだ?

「っ!」

 那月さん……俺をじーっと見つめている!? しかも上目遣いで!

 那月さんだけじゃなく、司たちやマッチョな人たちまで俺を見ている。

 こ、これは……言わないと逃がしてくれない……!

 ……ええい、こうなりゃヤケだ! 勢いつけなきゃ言えない!

「嬉しいです! 嬉しいに決まってます!」

 俺は声を大にして言った。

 言った直後、俺は息を切らしたかのように大きく呼吸をしていた。まるで五十メートル走を全力でやったかのような、なんとも言えない疲労感が主に精神的にあった。

 これで那月さんが嫌と言ってしまったら、俺は今日一日立ち直れない自信があるし、『振られ神』のことも那月さんに伝えられないだろう。

 俺は息を整えてから、ゆっくりと那月さんを見ると、那月さんは頬を染めて、俺を見て微笑んでいて、俺は一瞬で那月さんに見惚れた。

「ありがとう。祐介くん」

 小さくそう言い、那月さんはくるりと反対側を向いてしまった。

 い、今の「ありがとう」はどういう意味だったんだろう? 少なくとも俺の「嬉しい」に対して嫌悪感を抱いていないとは思う。

 那月さんも俺と同じ気持ちを……なんて都合のいい解釈はしてない。だけど、その一言はしばらく俺の中で反芻し、心地よい温かさとなり、自然と口角が上がっていた。


 今のこの顔は祐介くんには見せられない。

 真夕さんのいつものイジりとも言えるあの質問に、勢いで……だけど真摯に答えてくれた祐介くん。

 その「嬉しい」という言葉を聞いて、私の胸はすごく高鳴った。

 今、私は嬉しさが抑えられなくて、それが表情に現れてしまっている。

 胸のドキドキがおさまらない。顔が元に戻らない。

 私が嬉しさで内心舞い上がっていると、誰かの顔が私の耳のそばにやって来た。

「良かったですね。那月さん」

 私の耳元で真夕さんの声が聞こえた。

 私も真夕さんのイジりには何度も受けてきて、今回も祐介くんが困っていたからもう止めようかと思っていたけど……今回は止めなくて良かったと心から思ってしまった。

「ありがとうございます真夕さん」

 私は耳打ちで、声が弾みながらもそう伝えた。

 ごめんね祐介くん。

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