第112話 当たり前なので……
壁側の児童書をメンテし終えて後ろを向いたら、那月さんがいた。
嬉しいのはもちろんだけど、今の俺は驚きと戸惑いの方が強かった。
那月さんは今日、バイトだったはず……バイトが終わって駅から家とは逆方向のこのショッピングモールに……ましてや本屋の児童書コーナーになんているはずないから。
でも、俺の正面……少し離れた場所にいるのは間違いなく那月さんだ。好きな人を見間違うはずがない。
俺が声をかけると、那月さんはゆっくりと俺に近づいてきた。
ドキドキが尋常じゃないくらい加速する。
那月さんが俺のすぐ近くで止まり、お互い見つめあう。
那月さん……ちょっと顔が赤いな。今日暑いからな。
俺の顔は熱くなってる。好きな人に会えたのだから当然だ。
ど、ドキドキしてるだけじゃいけないな……な、何か話さないと……!
「えっと、那月さん、どうしてここに?」
「き、今日は気分を変えて、ショッピングモールでお夕飯の材料を買おうと思って、そ、それで祐介くんの様子を見に来たの」
「あぁ、なるほど。ありがとうございます那月さん」
やっぱりついでか。わかってたけどね。
でも、家に帰る前に那月さんの顔が見れて嬉しいな。残りの仕事も頑張れそうだ。
ほ、本当のことなんて言えないよ!
優美さんたちに色々言われて、祐介くんに会いたくなったから……なんて。
あぁ、そう考えたらまたドキドキしてきちゃった!
そ、それに今の祐介くんの姿も……。
普通の私服に、エプロンをしているだけなのに、なんだかいつもよりかっこよく見えちゃう。
仕事着の好きな人を見るのって、どんな些細な変化でもドキドキするんだ。
な、なんか那月さんの顔が赤いけど、やっぱり外が暑かったからか!?
視線もなんだか熱っぽいというか……これって熱中症なんじゃ……!
「な、那月さん! 大丈夫なんですか!?」
そう考えた瞬間、俺は那月さんに一歩詰め寄っていた。
「へ!? な、なにが……?」
そして那月さんは一歩後ずさる。
「顔が赤いから……熱中症なんじゃないかと……」
「ち、違う! 違うよ! その……これは熱中症とは関係ないから」
那月さんは慌てた様子で、手を胸の辺りでぶんぶんと振って否定した。
「ほ、本当に? 本当に違うんですね?」
違うと言われても、やっぱり好きな人の体調に関することだから念を押して聞いてしまう。
「うん。本当だよ。ありがとう祐介くん」
那月さんは心配してくれたことが嬉しかったのか、目を細めて微笑んだ。
そして俺はそんな美しすぎる笑顔を受け止めることが出来ずに、頬が熱くなるのを自覚しながら顔を逸らした。
「い、いえ……パートナーの心配をするのは、当たり前なので……」
「パートナー……うん。とっても嬉しい」
祐介くんがパートナーと言ってくれたことに、今日一番の喜びを感じている。
思えば、祐介くんからその言葉を言ってくれたことがほとんどないから余計に、かな。
もうちょっと一緒にいたいけど、これ以上はお仕事の邪魔になっちゃうよね?
まだ離れたくないけど……夜に帰ってきてくれるし、我慢しないと!
「じゃあ、お仕事の邪魔しちゃいけないから、そろそろ行くね」
那月さんはにこっと笑ってそう告げた。
だけど俺は、その言葉を聞いた瞬間、寂しさが心を支配した。
バイトが終われば那月さんの待つ家に帰るのに、たった数時間会わないだけなのに、那月さんがサプライズで顔を見せに来てくれた喜びが凄かったから、寂しさもまた強いんだろうな。
「那月さん俺っ……なるべく早く、帰りますから」
「っ! ……うん。待ってるね」
那月さんはさっきよりも笑みが深くなった……気がした。
今思えば、一つ前に見せてくれた笑みには、俺と同じように寂しさが混じっていたような……?
熱を出した日の夜、寝言で『一人にしちゃ嫌』って言ってたし、きっとそれだな。
『俺がいなくて寂しい』とか、都合のいい解釈はしないように気をつけないと。
俺たちは「また後で」と言い合い、那月さんは俺に手を振りながら、ゆっくりと書店を後にした。
また仕事を頑張ろうと意気込んでいたら、この児童書コーナーに自分の子どもと一緒にいた女性のお客さんに、何やら暖かい目で見られているのに気づき、ちょっと照れながらぺこりと頭を下げ、メンテナンスを再開した。
バイトから帰り、リビングに入ると、那月さんはいつも以上の嬉しさが混じった笑顔で「おかえり」と言ってくれて、俺も自然と笑顔になった。
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