第108話 やらせてほしい……です

 白いドライヤーを持った那月さんは、ソファの近くにあったコンセントにドライヤーのコードをさし、俺の後ろに立った。

「な、那月さん? もしかして……」

 もしかしないでもそうなんだろうけど……。

「うん。今更だけど、私の看病と、おかゆのお礼をしようと思って……って、それが髪を乾かすというのは、全然割に合ってないけどね」

 やっぱり、なんとなくそんな気はしていた。

 というか、俺に近寄ったのは髪の濡れ具合を確認するためだったのか。

 ……それにしては俺の髪、というか俺をほとんど見てなかった気もするけど……まぁ風呂上がりだし、確認するまでもないか。

「い、いやいや! そんなことないですよ!」

「……本当?」

「はい。というより、俺がしたくてやったことですし、お礼も必要な───」

「わ、私がお礼をしたいから……だから、やらせてほしい……です」

「っ!」

 俺の髪は短いから、普段ドライヤーなんて必要ないのだけど、それを言ったら那月さんは落ち込んでしまうよな。

 でもなんでドライヤー?

 お礼というならもっと別の方法があったのではないかと思ってしまう。

 それこそ、那月さんの得意な料理でいつもより腕を振るったりとか……。

 ……ちょっと待て。

 那月さんに髪を乾かしてもらうということはつまり……那月さんが俺の髪に触れるということか!?

 その考えに至った瞬間、俺の顔が一気に熱くなった。

 さっきの食器の片付けの時の、指が触れるなんてレベルじゃない。

 那月さんが俺の髪に……頭に触れるということだ!

 那月さんが俺の頭に触れる!? なんか訳がわからなくなってきた……。

 頭に触れるって、そんな簡単にしてもいいことなのか? 普通は恋人や夫婦がするようなことなんじゃないのか!?

 こ、これって、同居人の距離感なのか? なんかマジでわからなくなってきた。

 俺は那月さんにこ、好意を抱いているから、もちろんそれは嬉しいわけであるけど、那月さんは本当は嫌なんじゃないのか?

 嫌なのに、『お礼』という言葉で自分の本音をガードして、嫌々しようとしてるんじゃ……。

「!」

 そう考えた瞬間、俺はソファから勢いよく立ち上がって、那月さんの方を向いた。

「わっ!」

 いきなり立ち上がった俺に驚いた那月さんは、小さく両手を挙げていた。

 驚かせてしまったことに罪悪感が出たが、謝るのはあとだ。

「その、那月さん……やっぱりいいです」

「え?」

 那月さんが『なんで?』と表情で訴えかけている。

 次の瞬間にはハッとした表情になり、そしてみるみるうちにサーッと那月さんの顔から血の気が引いた。

 那月さんは少し俯き、両腕を下ろした。

「……いや、だった?」

「嫌なわけないです! その、むしろ逆で、俺はう、嬉しかった……です」

 俺の言葉を聞いて、那月さんは顔を上げて、わずかにだけど表情に明るさが戻った。

「じゃあ、なんで……」

「那月さんに嫌々させるわけにはいかないと思って……」

「……え?」

 那月さんは訳がわからない様子できょとんとしてしまった。

「お、お礼という理由で、ただの同居人の男の髪に嫌々触れさすような真似は、俺には出来ません。お礼というなら……ひ、昼間のメイド服を見せてくれただけで十分……というか、俺がまた、お礼しなきゃいけないレベルだと、思うので」

 後半はボソボソと言ってしまった。ちゃんと言わないといけないのに、照れくささが勝ってしまった。

「あ……」

 那月さんはというと、俺の声がちゃんと届いたのか、昼間のことを思い出したのか、顔が赤くなった。

 暑く感じる。エアコンの風が直接当たっているのに全然効いてる感じがしない。

 下からプラスチックが軋む音が聞こえた。多分、那月さんがドライヤーを持っている手に少し力を込めたんだ。

 そして、那月さんは顔が赤いまま、俺の目を見て言った。

「祐介くんは、私に髪を乾かしてもらうの、嫌じゃないんだよね?」

「……は、はい」

 なんでまた確認を?

「私も嫌なんかじゃないよ。私がやりたいから言ってるだけで、嫌なんて微塵も思ってないから……だから、させてほしい」

「……ほ、本当に?」

 那月さんはゆっくりと首肯して、微笑んだ。

「本当だよ」

 この微笑み、そして優しく言った那月さんに俺の心臓は痛いくらいドキッとした。

 ドキッとしたことで汗がぶわっと吹き出る。エアコン、マジで効いてるのか?

 那月さんは手に持ったドライヤーを一度床に置いた。

「だから祐介くん、ソファに座って」

「は、はい……って!」

 それから那月さんは、俺の両腕を掴み、くるりと俺の身体を回した。

 さ、最近はこんなさりげないボディータッチが多いから、本当に心臓がもたない。

 それから那月さんに両肩を持たれ、少しだけ力を入れられて俺はソファに座らされた。

「……」

 俺は動揺を紛らわすために髪を掴み、くしゃっと握る。

「……あれ?」

 そして気づいた。

「な、那月さん……」

「ん~?」

 後ろを向くと、那月さんはドライヤーを再び手に持っていて準備万端の体勢でにこにこしていた。

 こんな嬉しそうな那月さんに言わなければならないのは少々心苦しいが、どうせこのあと那月さんも気づくんだ。言っても変わらないか。

「えっと……髪、乾いちゃいました」

「………………え?」

 にこにこ笑顔から一転、一瞬で真顔になってしまった。

 その顔のまま、那月さんはドライヤーを持っていない左手を伸ばし、俺の髪に触れた。

「っ!?」


 な、那月さんに髪! 触られてる! 那月さんに……撫でられている!?


 突然の事で処理が追いつかずただただ混乱する俺。

 そんな俺に気付かず、那月さんは俺の髪に触れて、そして肩を落とした。

「本当だ……」

「そ、そんなに悲しい顔しなくても……」

 そんなに俺の髪、乾かしたかったんだな。

 俺が動揺して無駄な問答をしてしまって、エアコンの風に当たっていたのも相まってすぐに乾いてしまったんだな。

 ちょっと申し訳ないと思いながら、那月さんを見て可愛いと思ってしまった。

「じ、じゃあ、明日……お願いして、いいですか?」

 だけど、こんな落ち込んだ那月さんを見たくないので、恥ずかしさはあるが、俺から提案した。

「……いいの?」

「え?」

「明日、させてくれる?」

「も、もちろんです! お、お願いします」

「……うん!」

 那月さんは満面の笑みを見せてくれた。

 やっぱり好きな人の表情は笑顔だと俺も嬉しい。

 明日か……明日のこの時間まではドキドキしながら過ごすことになりそうだな。

 学校とバイト……ちゃんとこなさないとな。

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