第107話 近くない?

「あ、祐介くん。おかえりなさい」

 俺が風呂から上がると、先に風呂に入っていた那月さんがまだリビングでソファに座りながらテレビを見ていた。

「た、ただいま……那月さん」

 珍しいと思いながらも、俺は那月さんにただいまと言う。

 那月さん、いつもなら風呂から上がったらわりとすぐに自室に行くのに、今日はどうしたんだろう?

「あ、お肌のケアは祐介くんがお風呂に入っている時にバッチリとしてるから大丈夫だよ」

「そ、そうなんです……そうなんだ」

 俺が那月さんを不思議そうに見ていたからか、スキンケアはしたのかと思われてしまったようだ。

 それにしても、まだ敬語が取れない……那月さんも俺が言い直しているからさして気にしていないみたいだけど、これは完全に敬語をやめるにはもう少し時間が必要なようだ。

 俺が敬語について考えていると、那月さんは笑顔で俺を見ながらソファをぽんぽんと叩いている。どうやらこっちに来ておしゃべりしようと言っているようだ。

 俺は時計を見る。

 時刻は……十時を過ぎているが、俺も那月さんもまだ寝る時間ではないから大丈夫か。

 俺はちょっとドキドキしながら無言で頷き、ゆっくりとソファへと歩く。

 近くなって気づいたけど……那月さんの顔が、ちょっとだけ赤い……? 今夜も熱帯夜だからか?

 エアコンは付けているけど、温度設定を高めにしてるからか? 風呂上がりの俺はそれでも全然風が心地いいんだけど、那月さん……暑いなら温度下げたらいいのに。

 俺はソファに座る前にエアコンのリモコンを持ち、温度を一度下げた。

「あれ? 暑かった?」

「い、いや……那月さんの顔がちょっと赤く見えたから、那月さん、暑いのかなって」

「へ?」

「その、寒かったら全然上げてもらっていいです……いいからね」

「う、うん。……ありがとう、祐介くん」

 那月さんはお礼を言うと、少しだけ下を向いて、両手をうちわのようにしてパタパタとあおぎだした。さっきより顔の赤みが増してるし、温度を下げて正解だったようだ。

 ちょっと照れながら扇いでいる那月さんを見て可愛いと思いながら、俺はソファにゆっくりと座った。

 そしたら、那月さんが扇ぐのをやめて、じっと俺を見たかと思ったら、何も言わずに距離を詰めてきた。

「え……?」

 …………近くない?

 人一人くらいのスペースを空けて座っていたのに、今はその半分くらいのスペースしか空いていない。

 一体どういうことなんだろう? 個人的にはう……嬉しかったり、しなくもないんだけど、暑いならさっきの距離を保てばいいのに。

 なんだかよくわからないけど、那月さんが距離を詰めてきたのなら、那月さんの涼を保つために俺が離れるしかないよな。

「……」

 俺はちょっと残念に思いながら那月さんから距離をとった。人一人分くらいのスペースが出来た。

「……」

 だけど、那月さんが俺が離れた分と同じくらいの距離を詰めてきた。

 ……マジでどういうことだ? 那月さんらしくないなぁ。

 那月さんを見ると、俺を見ているわけではなく、テレビより下……テーブルを見ているようだ。しかもさっきより顔が赤い。

 暑いなら無理しなくてもいいのに……。

 いや、そもそもなんで距離を詰めるんだ?

 考えられるとしたら、那月さんは何か言いにくいお願いをしようとしている……とか?

 いや、それだと距離を詰めようが離れようが変わらないよな。

 俺と同じ感情を持っている……なんてことはあり得ないな。あったらいいと思った願望を考えた自分が恥ずかしい。

 今日、マユさんの実家の喫茶店に行って改めて理解した。


 那月さんはめちゃくちゃモテる!


 完璧な容姿と性格、家事も完璧なんだから、そりゃ大抵の男の人が放っておかない。

 那月さんはそんなことをしないが、男なんて選びたい放題の立場にいる人だからこそ、俺のようにパッとしない『振られ神』を好きになってくれるなんてあり得ない。

 那月さんにちょっとでも振り向いてもらわないとと思って自分なりに色々やってるけど、成果はない。

 那月さんが熱を出した日、司に言われて、自分から一歩を踏み出す決意をしたから、立ち止まることはしないけど、この分だと告白もいつになることやら……。

「……」

 顔に出さないように悩んでいると、那月さんが今度は俺から距離をとった。

 一体どうしたんだろうな? 距離を詰めたりとったり……。

 俺が那月さんを不思議に、そしてやっぱり綺麗だなと思いながら見ていると、今度はスッと立ち上がった那月さん。

 今度は何をするつもりだ?

「祐介くん、ちょっとここで待ってて」

「え、那月さん?」

「すぐに戻ってくるから」

 そう言って那月さんはリビングから出ていってしまった。

 俺は那月さんが出ていったドアを見ながら、那月さんの行動に首を傾げていた。

 一分後、那月さんが戻ってきたんだけど、手にはなぜかドライヤーが握られていた。

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