第105話 握ったままでいてほしい

 は!? え、なんで? どうして!?

 那月さんの突然の行動にパニックになる俺。

 絶賛片想い中の相手に突然手なんか握られて動揺しない人なんていない。恋愛経験がないのなら尚更だ。

 状況がわからなさすぎて変な汗が出てきた。冷房が効いているのにお構いなしだ。

 これ、絶対に手汗もかく。那月さんが不快な思いをする前になんとか離してもらわないと……!

 で、でも……那月さんの手……や、柔らかい……!

 い、いや! そんなこと思ってる場合じゃない!

「あ、あの那月さ───」

「しー」

 俺が手を離してもらうようお願いをしようとしたら、那月さんは自分の人差し指を口に当て、さらに俺に身を寄せてきた。

「!!?」

 手だけでなく腕も密着する形となり、那月さんに俺の鼓動がバレるのではないかと思うくらい近かった。

 くっ、那月さんから……いい香りが……!

「その、あの人たちを誤魔化すために協力してほしいの」

「え?」

 那月さんがチラッと目配せをした先には、那月さん狙いの数グループが全員こっちを見ていた。しかも、現実を受け入れたくないみたいな視線ばかりだ。

「あ、なるほど……」

 ここで俺はようやく理解した。

 つまりは、恋人のフリをすればいいんだ。

 そうすればあの人たちも身を引かざるをえないからな。

 それに、俺がここに来た時に優美さんが言った『待ってたわ』も、きっとこれを想定しての言葉だったんだ。

 あれ? でも那月さんに彼氏がいないのは、あの人たちも知ってるんじゃないのかな? 彼氏持ちって思ってたら、那月さんを狙ったりもしないだろうし。

 まあ、なんにしても那月さんから悪い虫が遠のいてくれるのなら、那月さんが危険を回避出来るのなら、喜んで虫除けになろうじゃないか。

 となれば、俺も緊張であわあわしている場合じゃないな。ちゃんと彼氏役むしよけに徹しないといけない。

 俺は一度深呼吸をして心を少し落ち着けさせ、咳払いをしてから笑顔で那月さんを見た。

「じゃあ那月さん、帰ろっか」

「っ!」

 ……あれ? なんか思ってた反応と違うぞ。

 俺が予想したのは、那月さんも笑顔で『うん!』と言ってくれる場面だったのに、今の那月さんはびっくりして目を見開いている。

 そして頬がめちゃくちゃ赤くなっている。

 目を見開いたのは一瞬で、那月さんは頬が赤いまま少し俯いた。

「……う、うん」

 そして小声でそれだけ言って少し頷いた。

 会計を済ませるためにカウンターに移動し、那月さんの手を離してから会計を終え、再び那月さんと手を繋ぐ。もちろん那月さんが握ってくれた。

 俺は……無理だった。

 恋愛経験ゼロの俺が、自分からスマートに女性の手を握るなんて無理だ。

 那月さんを見ると、少し照れながらも俺に笑いかけてきてくれた。

 なんでこんなに可愛いんだこの人……。

 仁科ご夫妻は俺たちを微笑ましい表情で見ていた。

「じゃあ降神くん、那月ちゃんをお願いね」

「は、はい! い、行こう那月さん」

 ちょっと声が上擦ってしまった。情けないなぁ俺。

「う、うん……」

 那月さんはというと、まだ俯いていて顔が赤い。

 どうしたんだろうな那月さん? なんだか俺よりも緊張しているようにも見えるけど……。

 あ、なるほど演技か!

 こうして那月さんが俺に惚れているていを装って店から出ると、那月さん狙いのあの人たちがより信じるだろうと見越しての演技なんだ。

 すごいなぁ那月さん。さすが色んな人と付き合ってきただけはある。

 元カレたちのことは思い出さない。思い出すとよりムカムカするから。

 それはさておき、そろそろ店を出よう。視線も気になるし、何より那月さんと手を繋いだこの状況にそろそろ俺自身がもたなくなってきている。さっきの『帰ろっか』は、自分でもめちゃくちゃ頑張ったと思う。

 それに手汗も気になるし。

「で、ではおふたりとも、失礼します」

「お、お疲れ様です……」

「はーい。またねふたりとも」

「気をつけて帰るんだよ」

 仁科ご夫妻に手を振られ、そして那月さん狙いの人たちに見られながら、俺たちは店を出た。


 傾きだした西日が俺と那月さんを容赦なく照りつける。

 夕方だというのにまだまだ暑い。

 ……っと、そうだ。店を出たんだから手を離さないと。

 ……あれ? 手が、離れない。

 正確に言うと那月さんが離してくれない。なんで?

「な、那月さん?」

「お、お店を出たばかりだと、あの人たちが怪しむかもしれないから、も、もうしばらく……このまま手を握ったままでいてほしい、かな」

 俺は窓越しに店内を見ると、確かにあの人たちは俺たちを見ていた。

 これはここで離してしまったらせっかくの那月さんの演技も水の泡になってしまうな。

「わ、わかりました。じゃあしばらくはこのままで……」

「う、うん」

 その後、俺たちはお店が見えなくなるまで手を繋ぎ、ゆっくりと離した。

 離した瞬間、ものすごく残念と思ってしまった。

 また……繋げる日は来るかな?

 俺は頭の片隅で、そんなことばかり考えていた。

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