第99話 当たり前のことをしただけ

「あ、あの!」

 カウンターに到着し、俺はおそるおそる勇さんに声をかけた。

「いらっしゃい。君が降神くんだよね?」

「は、はい! 降神祐介です」

「ここ、喫茶店『煌』のマスターで、真夕の父親の仁科勇です。いつも真夕が世話になってるみたいで、ありがとう」

「い、いえ! マユさんにはむしろお……僕の方がお世話になっていて、本当に助けられています」

 バイトでもそうだし、『振られ神』のことを打ち明けた時も親身になって聞いてくれたし、那月さんが熱を出した時もお見舞いに来てくれた。

 ぶっ飛んだ言動も多いけど、それでもマユさんには本当に感謝してるんだ。

「はは、『俺』でかまわないよ」

「す、すみません……」

 どうやら一人称を咄嗟に変えたのはバレバレだったみたいだ。

「それで、どうしたのかな? うちの妻とシゲさんと楽しく話していたみたいだったけど、わざわざ挨拶をしに来てくれたのかい?」

「そ、そうですね。挨拶と……お礼を言いたくて……」

「お礼?」

 やはり勇さんもピンときていないみたいだ。今日初めて会ったのだから、いきなりお礼というのも変な話だよな。

「はい。先日、那月さんが熱を出した日……マユさんと、お忙しいのに奥さんの優美さんをお見舞いに来させてくれた判断をしていただいて……本当に感謝していて、それでお礼を言いたかったんです。本当にありがとうございました」

「!」

 そう、俺はずっとこのお礼を勇さんに言いたかった。

 優美さんがお見舞いに来ると言ってもここがあるから、最終的な判断は店主である勇さんに委ねられる。

 マユさんと優美さんがお見舞いに来てくれて、お昼ご飯の心配はなくなったし、おかゆも自分で作ることが出来た。

 マユさんは那月さんの話し相手になりながら那月さんを診てくれていた。

 たとえ間接的だとしても、その判断をしてくれた勇さんに、俺はとても感謝していたんだ。

「その、どうしても、それを言いたくて……」

 勇さんが驚くだけで何も言ってくれないので、続けて何かを言おうとしたけど、俺も緊張して何言っていいかわからない。

 俺が話題を探して内心であたふたしていると、勇さんから「ふっ」という笑い声が聞こえた。

「え?」

「あぁ、すまない。降神くんは噂通りの人物だと思ってね」

「噂通りって……」

「那月さんも、そして先日、君と初めて会った妻が口を揃えて言ってるんだよ。『君は本当にいい子だ』ってね」

「!」

 優美さんもさっき、そんなことを言っていたけど……俺、いい子か? 二十歳の男に『子』ってのも変な感じだけどさ。

「その……俺はただ、人として当たり前のことをしているだけなので……」

 だから、那月さんも優美さんも、俺を過大評価しすぎなんだよ。

「君が当たり前と思っているそれを、全ての人が出来るわけではないんだよ。俺もこの仕事を通じて色んな人を見てきたからね。だから───」

「おじさーん、那月ちゃんはー?」

「!?」

 勇さんが話しているのに、突然後ろから勇さんを呼ぶ馴れ馴れしい声が聞こえた。

 声がした方を見ると、さっき俺を見ていた男性客の一人……金髪でいかにも遊んでそうな、失礼だけどこの喫茶店にはあまり似つかわしくないような男が手を挙げて、それをひらひらと振りながらこちらを見ていた。

 他の男性客のほとんどが、勇さんや優美さんに同じようなことを目で訴えている。

 というか『おじさん』って……しかも敬語もなし!?

 客と店員だけど、どう見ても勇さんの方が目上の人なのに、なんで敬語を使わないんだよ!

「あぁ、すみません。九条は今、席を外してます。もうすぐ戻ると思いますので」

「早くしてよー。那月ちゃんを見にここまで来てるんだからさ」

 やはり那月さん狙いでここに通っているんだ!

 というか、あまりにも失礼すぎる!

「もうしばらくお待ちください。ですがお客様」

「なに? おじさん」

「え?」

 勇さん?

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