第97話 ……へへ
那月さんは丸い銀のトレイを胸に抱き、俺を見て口をパクパクさせている。予想外の俺の来店に、処理が追いついてないみたいだ。
那月さんが大声を出したことにより、店内にいる人の全員の視線が俺に突き刺さる。この状況はあまり予想していなかったなぁ。
それから五秒ほど経過し、少しだけ状況を理解したであろう那月さんが言った。
「な、なんで……どうして祐介くんがここに!?」
うん、予想通りの質問だ。
「えっと、先日のお礼をかねて、来ちゃいました」
俺は「あはは……」と無理して笑う。
そうでもしないと、この雰囲気に飲まれてしまいそうだったから。
今も若い男性客から、「なんだあいつ?」、「那月ちゃんの知り合い?」、「どういう関係だ?」なんて声が聞こえてくるから。
『彼氏か!?』とは聞こえてこないということは、那月さんがフリーというのはみんな知ってるのか。
こんな視線を受けるのははじめてだから、どうしていいかわからん。ただ気をしっかりと保つことしかできない。
と、そこに優美さんが来てくれた。
「まあ降神くん! いらっしゃい。待ってたわ」
ん? 待ってた? どういう意味だ? 今日来ることは伝えてないのに。
とと、そんなことよりも挨拶とお礼が先だな。
「こんにちは優美さん。先日は本当にありがとうございました。それでこれ……入浴剤なんですが、良かったら……」
俺がお礼の品に選んだのは入浴剤セットだ。
菓子折りが基本なんだろうけど、喫茶店を経営しているご夫婦に食べ物を持ってきてもなぁと思い、消えもの繋がりで入浴剤をチョイスした。
「あら、そんなこと気にしなくてもいいのに。でもありがとう。大切に使わせてもらうわね」
「は、はい」
俺は入浴剤セットが入った紙袋を優美さんに渡した。
「それで席なんだけど……降神くんが良ければ、相席でもいいかしら?」
「あ、相席……ですか!?」
はじめて来た店でいきなり相席!? ど、どうして?
俺が優美さんの提案に戸惑っていると、優美さんはチョイチョイと指だけで手招きをしたので、俺は優美さんに顔を近づけると、優美さんは俺の耳元に顔を持ってきた。
「降神くんも気づいたと思うけど、那月ちゃん狙いの人が何人か来てるの。降神くんが一人でいたら、その人たちに絡まれるかもしれないの。ちょうど安心できる人も来てるから、その人と相席してほしいの」
な、なるほど……あの人たち対策ってことか。やっぱりあの人たちって那月さんが好きなんだな。
そりゃそうか。これだけの美人……気にならない男の方が少数だろうし。
ただ……俺に絡んでくるかもしれないのか……外ならまだしも、店内でそういう行動はマナーが悪いと思うんだが……。
優美さんが俺を案じて言ってくれてるんだ。どの人と相席になるのかは気になるし緊張もするが、ここは提案にのろう。
「わかりました。じゃあ、それでお願いします」
「ありがとう降神くん」
「いえ、お礼を言うのはこっちです。ありがとうございます」
「うふふ、本当にいい子ね。ねぇ那月ちゃん」
「へっ!? あ、あの、えっと……そ、そうですね」
「?」
優美さん、なんでにこにこしてるんだろう? 特にそんな表情になるような会話はしてないはずだけど……。
「それじゃあ那月ちゃん、降神くんをシゲさんの座っている席まで案内してあげてちょうだい。そしたら私のところにいらっしゃいね」
え? シゲさんってもしかして……。
「わ、わかりました。……それじゃあ祐介くん、どうぞ」
「は、はい……」
俺は那月さんのあとに続いて店内を歩く。若い男性客の視線が全て俺に集められている。
これが……普段は那月さんに集中しているのか? それも明らかに下心丸出しの視線に変わって。
もしかしたら、出待ちとかもあったんじゃないのか? それでしつこく言い寄られたりもしたことあるんじゃ……!?
そう考えると、嫌な汗が出てくるのと同時に、少しムカムカしてきた。
俺が休みの日は、ここに迎えに来ようかな? 好きな人が危険な目にあってるかもしれないと考えると、やっぱり心配だし耐えられない。
「シゲさん。悪いんですが、今日はこの祐介くんと相席でもよろしいですか?」
俺が考えごとをしていると、前から那月さんの声が聞こえた。どうやらシゲさんの座っている席に着いたようだ。
「あ……」
俺がシゲさんを見ると、さっき店の外で会釈をし合ったあのご老人だった。やっぱりシゲさんだったんだ。
「おお、那月さん。構わんよ」
シゲさんは俺に優しい笑みを見せてくれた。とても話しやすそうな人だなぁ。
「ありがとうございます。祐介くん、どうぞ」
「あ、はい! ……失礼します」
俺は一言言ってからゆっくりとシゲさんの対面に座った。
「お飲み物は何がいいですか?」
「えっと……」
俺はテーブルに備え付けられているメニュー表を開く。
……こういう喫茶店って、実は来たことがないからなぁ。コーヒーの銘柄が書かれているけど、違いがわからない。
「う~ん……」
「那月さんのおすすめでいいのではないかの?」
「え?」
俺が決めかねていると、正面のシゲさんが言った。
「わ、私のですか? ……祐介くん、それでもいい?」
「は、はい。那月さんのおすすめでお願いします」
俺はほとんど間を開けずに答えた。
那月さんのおすすめなら間違いないし、俺たち、味の好みも似てるし。
そんな俺の言葉を聞いた那月さんの表情が、なぜか明るくなった
「わかった! それじゃあ少し待ってて……あ、んんっ! かしこまりました。少々お待ちください……へへ」
「っ!」
いつもの調子で言おうとした那月さんだけど、仕事中だと気づいて言い直し、恭しくお辞儀をした。
それだけでなく、お辞儀をしたまま、顔だけを上げ、頬を少し染め、ウインクをして所謂『てへぺろ』をしたもんだから、俺の顔は一瞬で熱を帯び、心臓も鼓動を早めた。
オーダーを伝えにカウンターに向かう那月さん……俺に背中を向ける際に見えた横顔は、とても美しい笑顔だった。
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