第94話 呼び捨てで呼んで
夕食を終え、那月さんが洗い物、俺が使った食器をシンクに持っていくいつもの分担作業をしている時、ふと『つかつばカップル』のことを思い出した。
あの二人も那月さんをめちゃくちゃ心配してたからな。那月さんの耳に入れておいた方がいいよな。
「那月さん」
「どうしたの祐介くん?」
スポンジで食器を洗いながらこっちを見る那月さん。器用だなぁ。
「司と椿に那月さんが回復したって伝えたら、二人ともめちゃくちゃ安心してましたよ」
「そうだ。あの二人にちゃんとお礼を言ってなかったから、今度…………ん?」
あれ? 那月さんが急に止まったかと思ったら、首を大きく傾げた。
「……んん~?」
あ、今度は反対方向に傾げた。可愛いけど、何か気になることでもあったのか?
「……ねえ、祐介くん」
「は、はい……」
え、なんか圧がすごい……。
「さっき、なんて言ったの?」
「さっきですか?」
えっと……。
「二人とも安心してたと……」
「その前」
前?
「えっと……司と」
「と?」
「……椿」
「それ! それだよ祐介くん! なんで椿さんを呼び捨てにしてるの!? 私と同じで『椿さん』って言ってたのに!」
「ええ!? えっと、実は───」
俺は椿を呼び捨てにし始めた経緯を那月さんに話した。俺が話しているあいだ、那月さんの圧が落ち着くことはなかったんだけど、なんでこんなに那月さんに追求されてるんだろう?
「へ~そうなんだ~。前々から椿さんに呼び捨てで呼ぶようにお願いされてて、それで今日呼び始めたんだ~。ふ~ん……」
那月さん、今度はジト~っとした目で俺をすっごい見てくる。な、なんでだ!?
「祐介くん!」
「は、はい!」
こ、今度はいきなり名前を呼ばれてびっくりした。普段なら那月さんの色んな表情を見れて嬉しいんだけど、この時ばかりはそうも言っていられない。那月さんがこうなった原因がわからないから尚更……。
と思ったら、那月さんの頬が赤くなってきた。いや、マジでなんで?
「……わ、私も」
「え?」
「わ、私のことも、呼び捨てで呼んで!」
「い、いや……それは無理です!」
俺は那月さんのまさかすぎるお願いを考えるまでもなく断った。
「なんで!?」
「な、なんでと言われましても……那月さんは、年上ですし、年上の人を呼び捨てにって、さすがに不敬というか、恐れ多いというか……」
年上の仲のいい人って、俺の周りだとマユさんくらいしかいない。
マユさんのお母さんの優美さんとは知り合ったばかりだし、さすがに年が離れすぎているから間違っても呼び捨てには出来ない。
そもそも一年以上親交のあるマユさんを『さん』付けで呼んでるんだ。那月さんを呼び捨てにするなんてさらにハードルが高い。
つつ、付き合ったら……それもアリなのかもしれないけど、今の俺たちの関係は『同居人』だ。そんな関係の年上の人を呼び捨てになんて出来るはずがない。
「ど、どうしてもダメ?」
「う……」
近距離からの上目遣いでのお願いは効果抜群だ。どタイプな人にそんな顔でお願いされたら思わず頷きたくなってしまうけど、ここは気を強くもつんだ!
「だ、ダメです……!」
俺は目を瞑り、首を右に勢いよく振り、那月さんのお願いをなんとか断った。
「私たち……パートナーなのに……」
「うう……」
どうしたんだ今日の那月さん。いつもはこんなに食い下がってくることないのに……。
「し、親しき仲にも礼儀ありですから、やはり呼び捨てには……」
だけど、なんと言われても那月さんを呼び捨てには出来ない。無意識に脳がストップをかけてくる。
「私たち、もうなんにも知らない仲じゃないし…………ゆ、祐介くんと、もっと……仲良く、なりたいから」
「っ!」
那月さんからまさかすぎるセリフが聞こえて、俺は反射的に那月さんを見た。
すると、那月さんは若干顔を下に向け、眉が八の字になっていたんだけど、眉を見たのは一瞬で、俺は眉の少し下から目が離せなかった。
那月さん……頬、すごく赤い。
「いや、まぁ……仲良くなりたいのは、俺も……お、同じですけど……」
沈黙はまずいと咄嗟に判断し、俺も本心を明かした。心臓が信じられないくらいドキドキしてるし、顔もすごく熱い。
「「……」」
お互い横を向いたまま何も話さない。テレビから流れる音楽と人の声だけが、このリビングダイニングの音の全てだった。
三十秒ほど沈黙が続き、その沈黙を那月さんが破った。
「……じゃあ」
「え?」
「呼び捨ては無理でも……敬語は取ってほしい」
「敬語を、ですか?」
年上の人に対して敬語で話さないのも、なかなかに難しいお願いだ。
「うん。私が敬語をやめたように、祐介くんも普通に話してほしい。これなら、どうかな?」
俺は腕を組んで「うーん……」と唸った。
敬語をやめる……確かにこれなら呼び捨てにするよりかは難易度が低い。
那月さんの……好きな人のお願いを断り続けるのも出来れば避けたいし、那月さんの悲しそうな顔も見たくない。
俺は頭の中で結論を出すと、腕組みをやめ、咳払いを一つして那月さんを見た。
「……わかったよ。那月さん」
「!」
「その……やっぱりまだ慣れないから、少しずつで、いいですか?」
「うん……うん、うん!」
那月さんは何度も頷き、頬が赤いまま、満面の笑みを見せてくれた。
こんな素敵な笑顔を見れたのだから、頑張った甲斐があっかな。
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