第90話 特別になりたい
私は、祐介くんとの生活をスタートさせた春から今までのことを思い返していた。
生活自体は、多分どこにでもある、ありふれた『普通』の同居生活のそれだと思う。でも祐介くんを好きになった今、その生活を思い返すだけで『幸せ』と感じている私がいる。
祐介くんは私のためを思って、あの家に来ることを提案してくれて、家具や服を買いに行って、家事も手伝ってくれて、毎日本当に助かっている。
だけど……。
「ん? それってどういうことですか?」
真夕さんの問いに、私はその答えを口にした。
「祐介くんから私にお願いをしてくれたり、頼まれたりしたことが、ほぼないんです」
いつもの家事のお手伝いは祐介くんが進んでしてくれるし、祐介くんのお誕生日をお祝いしたいと言ったのも、スーパー銭湯に行きたいと言ったのも私。
それに私が熱を出して寝込んでしまった時、私の看病をしてくれたり、おかゆを作ってくれたのも祐介くんの意思。
お願いされたことといえば、本当に些細なことだけで、私はそれが『お願いされた』と言えるのかどうか判断に苦しんでいた。
祐介くんは常に、どこか女性に対して線を引いたような対応をしている。それは私に負担をかけさせないための優しさとも言えるけど、同時に私は遠慮しているとも思ってしまう。
「そういえば私も……そんなにお願いされたことはないですね」
「真夕さんもですか?」
「はい。……と言ってもバイト先でしかほとんど顔を合わせないんですけどね」
それでも、一年以上の付き合いがある真夕さんにもあまりお願いをしないなんて……。
「元々そういう性格だったのかもしれませんが……過去のトラウマがそれに拍車をかけて、特に女の人にはお願いしづらいのかもしれないですね」
「トラウマ……」
祐介くんのトラウマって、一体何なんだろう? 聞かないようにって意識してたけど、祐介くんを好きになって、今真夕さんが口にして、一気に気になってきた。
「那月さんはまだ、祐介くんのトラウマについて……」
「聞いてないですね」
こっちの知り合いで、祐介くんが自分のトラウマについて話をしているのは、真夕さんと、それと椿さんと
その三人に、そして祐介くんに、私は今、とても浅ましいことを思ってしまった。
私も祐介くんのトラウマを知って、祐介くんの特別になりたい。
祐介くんの一番触れてほしくない場所なのはわかってる。でも、祐介くんを好きになった以上、好きな人のことを少しでも知りたいと思うのは人間の性。
全部を知ろうなんて思ってない。だけど、好きな人の一番触れてほしくない場所に触れる権利を、私はすごく欲してしまっている。
そしてそれを優しく包んで、そんなトラウマを消し去ってあげたい。
夢の中で、あの優しい光……祐介くんが私を照らしてくれたように。
それになんだか、そのトラウマを消し去らないと、祐介くんとお付き合いはできないと私は思ってる。ただの直感だけど……。
「まあ、男ってのは案外と臆病ですからねぇ」
私が思い悩んでいると、真夕さんがへらりと笑って言った。
「臆病、ですか?」
「カッコつけたい生き物なんですよ。だから嫌な部分、カッコ悪いと思っている部分は頑として見せたくない。今一番自分に近くにいる
「っ……」
『一番近くにいる』というワードに少しドキッとしたけど、今はそんな雰囲気じゃない。
「那月さんに言って何かが変わるわけじゃないのは、祐介くん自身気づいてると思います。でもどんなものであれ、自分のトラウマを打ち明けるのには勇気がいります。私の時も、打ち明けてくれるのに相当時間かかりましたからね」
「勇気……」
私は祐介くんに出会ったその日に、自分が男運ゼロなのと、元カレたちとのエピソードをちょっと話した。あの時は一宿一飯の恩義もあったけど、祐介くんが私の行動を不思議に思っていたから……そして私も、一晩部屋を貸してくれるだけの人だし、ちょっとくらいならいいかって気持ちもあったから打ち明けることが出来た。
『一晩部屋を貸すだけ』というのは、祐介くんにも言えることだと思った。
そんな薄い関係になるはずだった私には、自分のトラウマをわざわざ言う必要もないって、きっと祐介くんは思ったはず。
だけど私と同居して、時間が経つにつれて、逆に打ち明けにくくなってしまったと考えるなら、さっき真夕さんが言っていた『臆病』なのも説明がつく……気がする。
「まぁ、祐介くんが那月さんに自分のトラウマを打ち明ける日は、必ずやってきます。那月さんはそんな祐介くんの過去を、優しく受け止めてあげてください」
「わ、わかりました!」
祐介くんの過去……考えれば考えるほど気になってしまう。彼を好きになった今、私から聞いてしまいそうなほどに。
けどそれは絶対のタブーだ。
だから私は、いつ聞いてもいいように……そして祐介くんの過去を優しく受け止めてあげる心の準備はしておこう。
真夕さんと一緒に喫茶店を出た私は、真夕さんと別れてその足でスーパーに向かった。
私の看病をしてくれたお礼に、祐介くんの大好きなトンカツをたくさん買うために。
祐介くんの「うまぁ……」が自然と脳内で再生され、私は無意識に顔が緩んでいた。
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