第89話 イメージしてください

「那月さん、一度目を閉じてください」

「え?」

「いいから、早く目を閉じてください!」

「は、はい!」

 なんか質問も反論もしちゃいけない空気だったので、私は真夕さんに言われた通りに目を瞑った。

「いいですか? イメージしてください。那月さんは今、もうすぐ帰ってくる祐介くんのために、キッチンで夕食を作りながら祐介くんの帰りを待っています」

「は、はい……」

 私は頭の中に、夕食を作っている自分をイメージした。祐介くんの好物のトンカツ……その豚肉に衣をつけている。

「今どんな気分ですか?」

「……ど、ドキドキしてます」

「まだ帰ってきてないのに……」

「だ、だって! ……いざ好きな人が帰ってくるってなったら緊張しちゃって」

 今まで経験したことない気持ちだから、余計に緊張するのかも。

「それもそうか。はい、ということで祐介くんが帰ってきました」

「え、もうですか!?」

 いきなり祐介くんが帰宅したことにより、私の肩がビクッと跳ねてしまった。ま、まだ心の準備が出来てないのに……。

「帰ってくるときなんていつもいきなりですよ。はい、祐介くんがあのリビングとダイニングが一緒になっている部屋にゆっくりと向かってきます」

「あ、あわわ……」

 祐介くんが部屋に近づいてくる足音が聞こえてくる気がする。

 それに伴って私の心拍数もどんどん上がって、心臓がバクバクしている。

 そしてイメージの中の私はまだ同じ豚肉に衣をつけている。

「はい、部屋のドアが開いて祐介くんが「ただいま」と言いながら入ってきました」

「はうっ!」

 つ、ついに祐介くんが帰ってきちゃった。

 どど、どうしよう……イメージなのに、祐介くんの顔を見れなくて一心不乱に同じ豚肉に衣をつけてる。

「祐介くんが帰ってきて、那月さんは調理を一旦止めて祐介くんの方へ向かいます」

「え、あ、あの……真夕さん!?」

 イメージの中の私は豚肉に衣をつけてるのに、真夕さんが言ったように、私の中のイメージが『祐介くんの方へ向かう私』に書き換えられてしまった。

「はいここで目を開けて、実際目の前に祐介くんがいる想定で「おかえりなさい」と言ってみてください」

「ええ!? …………」

 い、いきなりそんなこと言われても……えっとえっと……。

 私はゆっくりと目を開けると、店内の照明と、外から入ってくる夏の日差しに少し眩しく感じながらも正面にいる真夕さんを見る。


「お、おかえりなさい……ゆうすけ、くん」


「ぐはぁ!!」

 私が「おかえり」を言った直後、真夕さんは喀血かっけつしたような仕草をしてテーブルに倒れ込んだ。

「ど、どうしました真夕さん!?」

「……め」

「め?」


「めちゃかわ美人お姉さんの赤面、上目遣い、恥じらいながらの「おかえりなさい」……破壊力がありすぎてもはやオーバーキルです……ぐふ」


「ごめんなさい。ちょっと何言ってるかわからないです」

 よくわからないことを言われたのが良かったのか、逆にちょっと冷静になれた。

 真夕さんは何事もなかったかのようにスっと起きて、ブラックコーヒーをストローでちゅーっと一口飲んだ。

「とにかく、そんな表情の那月さんに「おかえりなさい」なんて言われたら、祐介くんもイチコロでしょうね」

「い、イチコロ……」

 祐介くんが私にイチコロになる場面を想像してしまい、私はストローでアイスカフェラテをかき混ぜる。中に入っている氷がカラカラと音をたてている。

 真夕さんの言ったように、もしそうなら嬉しいけど……。

「那月さん、どうしました?」

「え?」

「いや、ストローで混ぜるのをやめていきなりそんなずーんと気落ちしたら誰だって気になりますよ」

 真夕さんが言ったように、私はちょっとネガティブな想像をしてしまって、それで一気に気落ちしてしまっていた。

「……私が祐介くんとお付き合い出来るのかなって思いまして」

「付き合いたいんですか?」

「そ、そりゃあ……好きになった以上、お付き合いをしたいと思うのは当然です。でも……」

「でも?」

 祐介くんは今までの人とは明らかに違う。三ヶ月以上も一緒にいて、毎日の生活がこんなにも楽しいなんて思ったことは一度もなかった。

 祐介くんは私のことをいつも気にしてくれていて、本当に優しい人だというのは十分すぎる程に理解している。だけど……。


「その優しさが原因で、私は祐介くんとお付き合い出来る可能性は薄いと思ってしまっているんです」

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