第78話 怖いんだよ

 俺は司と一緒にリビングダイニングにいた。

 司と椿さんが来てくれてマジで助かった。来てくれなかったら今頃、俺は那月さんの汗をふいていて、今でも那月さんの部屋で気まずい沈黙が流れていたと思うから。

「ほいお茶」

 那月さんがいつも座っている椅子に腰掛けている司に、俺はお茶が入ったグラスを差し出す。

「サンキュ。悪いな」

「何言ってんだよ。二人が来てくれて大助かりなんだからさ」

「ま、俺はほとんど椿の付き添いだけどな」

 司は軽く肩をすくめた。

 軽口は健在なんだけど、どこか司がまとっている空気がいつもと違う気がする。

 なんというか、いつもより真剣な感じがする。口数もなんか少ないし。

 俺が椅子に座るのと同時に、司はグラスを持ち、中のお茶をグイッと飲んだ。中に入っている氷がカランカランと音を立てる。

 司は「うめぇ」と小さくこぼし、ゆっくりとグラスをテーブルに置いた。

「なあ、祐介」

 そして、いつもより真面目なトーンで俺を呼んだ。

「なんだよ?」

「お前、九条さんのこと、どう思ってるんだ?」

「っ!?」

 いきなり、唐突、まったく予想だにしていなかった質問が司の口から飛び出した。

 いや、『予想だにしていなかった』は少し違うな。この場合は、『予想はしていたけどこんなに早く聞かれるとは思ってなかった』の方が正しいな。

 もう少し時が経って、それでもまだ那月さんがこの家にいてくれて、司と椿さんが那月さんともっと親睦を深めてから来る質問だと思っていた。

「好きなんじゃないのか?」

「……」

 だから質問の答えも、ゆっくりと見つけていけばいいと思っていたから、今の俺には、明確な答えを持っていなかった。

 ううん……まだ口にするべきではないと思っていた。

「最初お前に、見た目がタイプな人と一緒に暮らしていると聞かされた時は驚いたけど、俺は嬉しかったんだよ」

「嬉しかった?」

「ああ。お前の過去の一件……俺や椿はお前から聞かされた内容しか知らないけど、あんなクソみたいな過去を乗り越え、祐介は自分の意思で過去のトラウマを克服したんだって。でもその時はそうじゃなかったんだろ?」

「そう、だな」

 最初は那月さんをただナンパから救うために手を差し伸べただけだった。

 那月さんが美人とかタイプだったとかはなかった。あのままナンパがしつこかったら、いずれ戻ってくる那月さんの元カレと鉢合わせて、ナンパと修羅場になり、場は混乱していたと思ったから。

 そして那月さんが地元の隣県で彼氏に捨てられた事実を知り、俺は自分の部屋に来るよう提案し、そして那月さんはこの家に住まわせてほしいとお願いをしてきた。

 この時はまぁ、美人でタイプな人と同居ってことにドギマギはしていたけど、それだけだった。

 中学の頃、同級生につけられた『振られ神』というあだ名。そしてデタラメな噂のせいで、俺は恋愛には懲りていたから……。

「今はどうなんだ?」

「……いま?」

「ああ。この三ヶ月、九条さんと暮らして、お前の心には変化があったんじゃないのか?」

「……」

 俺は答えることが出来なかった。

 そんな俺を見た司の口は弧を描いていた。

「好き、なんだな?」

 俺は頷かず、両手に思い切り力を込めて握っていた。

 俺の気持ちは……もう疑う余地もない。それは俺自身も理解している。

 だけど、だからこそ───

「……怖いんだよ」

 俺は言葉の通り恐怖していた。

 両手を力いっぱい握ったのも、怖さからくる震えを紛らわせるための自己防衛……だったのかもしれない。

「怖い?」

「ああ。この気持ちを言葉にして、那月さんに伝えても、俺は那月さんに振り向いてもらえるような器じゃないってのはわかってる。それに中学から高校までの記憶がフラッシュバックして、どうやっても気持ちを伝えられそうにないんだ」

「……」

 俺がこの気持ちを少なからず自覚し、那月さんにこの気持ちを伝える場面を想像しなかったと言えば嘘になる。

 だけど想像したら、同時に出てくるんだ……俺を『振られ神』と言い続けていた奴らが。

「『お前には無理だ』、『お前と付き合いたい人なんているものか』、『身の程を知って一人で細々と過ごせ』って聞こえてくるようで、そいつらは那月さんにも、俺の過去や『振られ神』のことを耳元で囁いていて、そして最後には那月さんがドン引くような顔をして俺の元を去っていく……そんな想像をしちゃうんだ」

「……」

「俺が一番怖いのは、那月さんがここからいなくなってしまうことなんだよ」

「九条さんが、ここから?」

「ああ。那月さんが俺に幻滅して、ここからいなくなってしまうのが本当に怖い。那月さんと過ごした三ヶ月は、出会いこそ特殊だったかもしれないけど、暮らしは『普通』だった。でも最近になって、那月さんと過ごすこの『普通』が、俺の中で『幸せ』に変わっていった」

「……」

「那月さんが急にいなくなってしまったら、心にぽっかりと穴があくような感じになるんだよ。最近想像したら、マジで怖くなって」

 那月さんとの生活が本当に楽しくて、こんな生活がずっと続けばいいと今は思っている。

 だけど、ずっと続くとは思ってない。那月さんはいつか必ずここから去っていく日がやってくる。俺はその日が遠いことを願うしかない。

「九条さんがここからねぇ……ないんじゃないか?」

「……え?」

 司からすごくあっけらかんと言われてしまい、俺は面食らってしまう。

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