第71話 何よりの良薬

 優美さんは袋から取り出した弁当箱の蓋を開け、それをレンジに入れた。

 ちらっと見せてもらったけど、少量の白米にお味噌汁、白身魚やほうれん草のごま和えとその他野菜など、わりと食べやすい物が入っていた。

 こういう弁当箱って、たしかランチジャーっていうんだっけ? 味噌汁も入れれるのはいいよな。

「今の那月ちゃんは食べきれないと思うから、残したらお夕飯にも出してあげて」

「その、助かります。本当にありがとうございます」

「いいのよ気にしないで。あとこれ……」

 そう言って、優美さんは袋の中に手を入れてゴソゴソとしている。他に何が入っているのだろう?

「はい、あとこれ……ゼリーと経口補水液も買ってきたから、あとで冷蔵庫に入れておいてね」

「こんなものまで……何から何までありがとうございます!」

 そういや、病院に行った帰り、こういった物も買ってこなかったな。

 那月さんの具合を気にしすぎて、他に気を回す余裕がなかったからなんだけど、マジで頭になかった。

 言い訳にしかならないけど、人の看病なんて、これまでロクにやってこなかったから……。

 俺が余裕を無くしたら、那月さんの回復が遅くなってしまうんだ。もっとしっかりしないと。

「いいのよ。困ったときはお互い様なんだから。だから降神くんも、もう少し肩の力を抜いたらいいわよ」

「え?」

 まるで、俺がさっきまで何を考えていたかを見透かしたような、そんな笑みをしている。

「那月ちゃんが熱で苦しんでいる時に、自分がしっかりしないとって思う気持ちはわかるわ」

「はい……」

「でもそればかり気にしていたら視野が狭くなっちゃうし、那月ちゃんだって落ち着かなくなっちゃうわ」

「……」

 優美さんの言葉が的を射すぎていて何も言い返せない。

「だから気負わないで、できるだけいつも通りを意識して那月ちゃんに接してあげて」

「……はい!」

 優美さんの言う通りだな。確かに気負いすぎていたかもしれない。

 俺が焦ったり余裕がない様子を那月さんに見せてしまったら、那月さんはちゃんと安心して寝てられない気がする。

 いつも通り、か。簡単に見えて実はめちゃくちゃ難しいんだな。……意識しまくってるからそう思うだけかもしれないけど。

 とにかくリラックスしよう。表情だけでも柔らかくして、那月さんに安心してもらわないとな。

「『病は気から』って言葉があるじゃない?」

「え? は、はい」

 なんだ? いきなりことわざを言って……。子供の頃からよく聞いた言葉だけど……。

「風邪を引くと、どうしても心は弱くなってしまうわ。一人でいたらなおさらね」

「は、はい……」

 それはわかる。俺だって子供の頃、風邪を引いたら、一人でいることがすごく心細いって思ったし。

 大人になった今でも、やっぱりそう感じてしまうもの……なんだよな。

「だから降神くんが那月ちゃんのそばにいてあげて。あなたがいてくれることが、きっと何よりの良薬だと思うから」

「え……?」

 俺がそばにいたら、那月さんの良薬に? こんな『振られ神』の俺が?

「いやいや、俺なんてそんな……。那月さんにはいつも助けられてばかりで、この三ヶ月……大したことなんてしてこなかったのに……」

 那月さんの世話になりっぱなしの俺が、那月さんにとってそんな存在になれてるとは到底思えない。

「あら、自己評価は低いのね」

「当然ですよ。俺には、何もないですから……」

 俺は一人だとほとんど何も出来ない。

 俺の両親が当時の俺を見かねて隣県に進学を提案してくれて、この部屋まで借りてくれて、一年間家事をやってきたけどほとんど上達しないし料理なんてコンビニや外食で済ましてたし。

 那月さんがここに住んでくれて俺のここでの生活が劇的に変化したんだ。

 普段から那月さんに感謝してるが、那月さんに感謝されることなんてした覚えは……。

「……那月ちゃんはね」

「え?」

「那月ちゃんは、店であなたの話をする時が一番楽しそうなのよ」

「そう、なんですか?」

 ちょっとドキドキするな。一体どんなことを話してるんだろう?

「店の常連の人と話す時ももちろん笑顔なんだけど、あなたの話をしている時のあの子の笑顔は、それ以上に輝いて見えるのよ」

「……!」

「それに……これは言うのを悩むけど、あの子はこんなことも言ってたわ」

「それは……どんな……」


「ここでの生活が本当に楽しくて、出ていきたくないって気持ちが日に日に強くなってるってね」


「っ!」

 那月さんが、そんなことを……!?

「きっと、あなたとの生活が楽しすぎて言ったんでしょうね。だから降神くんも那月ちゃんにいっぱいあげてるのよ。目に見えないけど、那月ちゃんが本当に感謝しているものを、いっぱい」

「優美さん……」

 本当に? 俺が、『振られ神』と呼ばれた俺が、本当に那月さんに、そんな感謝をされるようなものを与えていたのか?

「だから、那月ちゃんが早く元気になるには、降神くんの存在が不可欠なのよ。それは他の誰にも出来ないの。だから今日は───」

「ゆ、優美さん! ちょっとストップ!」

 俺は優美さんが喋っていたけど途中で止めた。声だけでなく手でも。

 今の俺は、俯いて両手を前に出して何かを食い止めているようなポーズをとっている。

「降神くん?」

 優美さんが不思議そうに俺の名を呼んでいる。俯いているのでどんな表情をしているのかはわからない。

「その……か、勘違いを、しそうなので、それくらいで……か、勘弁してください」

 俺は顔を上げずに、絞り出すように言った。

 い、今の優美さんが代弁したセリフは……那月さんは、俺のことが……!

 いや、そんなはずはない。明確にその言葉が出たわけではないし、それだけでその答えに辿り着くのは尚早すぎる。

 中学の頃、それで痛い目を見ているんだから、冷静になるんだ。

 あんな見た目も性格も完璧なS級美女が、俺なんかを……そんなありえない考えなど持ってはいけない。

 だからさ、静まってくれよ俺の心臓。那月さんがそんなことを思ってくれていたのを知って嬉しいのは重々承知してるけど、今だけは……頼むよ。

 じゃないと、まともに顔を上げられない。熱が引かないこの顔を優美さんが見たらなんて言うのか……。

「うふふ。じゃあもう言わないでおくわね。ごめんなさい降神くん」

「い、いえ……」


「……あながち勘違いじゃないかもだけど」


「え?」

 優美さんがボソッと呟いたのと、レンジが加熱終了の音を出したのが同時だったので、優美さんが何を言ったのかは聞き取れなかった。

「なんでもないわ。さ、早く那月ちゃんのところへ行きましょ」

 そう言って優美さんはレンジを開け、熱された弁当を取り出して俺が用意したトレイに乗せて廊下へ出ようとした。

「あの、待ってください優美さん!」

 だけど俺は、そんな優美さんを呼び止めた。

「ん? どうしたの降神くん?」

「その……お願いがあるんです!」

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